◇タバラン攻防戦 Ⅴ
炎と瓦礫が居住区へ繋がる大通りの道を阻み、天をも焦がさんばかりの火柱が上がってはタバランの街全体に火の粉が荒れ狂うように降り注ぐ。
「何か既視感。……そうじゃなくて、ボクが言いたいのは、こいつがそれなりに強いってこと」
真っ赤な頭巾を被り、ため息を吐きながらぽつりと呟くと、フランは腰に手を当ててシンを諭す。頭巾の隙間からこぼれ落ちる金髪は燃え盛る炎の赤に照らされ橙色に輝いていた。それを眩しそうに目を細めて見ながらシンはやれやれと肩を竦め、黙りこくる兵士に向かって問う。
「分かってるって。アンタがこの軍隊を率いてる指揮官か?」
シンの呼びかけに佇んでいた兵士がようやく振り返り、シンとフランを見る。その兵士は他の兵士と同じように胸に十字の紋章が象られた鎧を纏っていたが、顔を覆う甲だけは違った。シン達が遭遇した他のストラの兵士は顔全体を覆い隠すタイプの甲を被っていたが、この兵士だけは顔の上半分までを覆う甲を被っている。しかも、それが何とも奇妙な形で鳥の頭を模しているのだ。鼻を覆っている部分は嘴の上の部分になっていて、まるで何かの儀式か祭典の際に使用するのではないかと思うほど精巧に作られていた。素人目に見ても戦場に持ち出すには惜しい見事な品だと分かる。
大抵、何処の国も防御性に優れた顔全体を覆うタイプの甲を使っている。故に、敵味方の判別は自国の紋章を象るなり色で識別せざるおえない。ならば別の型の甲にすればいいと常々思うのだが、この防御性能を凌ぐ甲は他にないらしい。顔全体を覆うのだから視野が狭いという難点はあるが、魔法でそれを補うため支障はないのだそうだ。
――しかし、あの兵士が被っている甲は装飾が邪魔になったり重かったりして戦闘には不向きのはずだ。ああいう類のものは王の側近がなるべく王を視界に入れないためにつけるものじゃないのか?
手でひさしを作りながらシンは訝しげに甲を注視し、回想する。
前に町民Cから聞いた話。今の帝国は側近をつけるもつけないも王の自由だが、その昔は必ず護衛と世話役が側に付き従っていたらしい。王の側に身を置く世話役は常に下を向き、如何なる時も王の顔を見てはいけない。
真偽のほどは定かではないが、その昔、帝国で自分を神と称し王座に着いた絶対君主たる王は、王が落とした耳飾りに気付き、換えの耳鳴りを付けるべくその横顔を見てしまった世話役の目を潰したという逸話が残っている。
――どの国もそうって訳じゃねぇだろうし、ストラの場合は王がいねぇから関係ないのかもな。仮に統治者の側近だとしても、それなら前線に出る指揮官より、作戦を練り、総括的に隊を動かす司令官の方を任されるはずだ。
戦場であのような装飾の施された甲をつけるということは恰好の標的になるということは言わずもがなだが、それを逆手にとって囮、または自分の強さを誇示する目的で使用することもあると聞く。この場合は後者だろう。
振り向いた兵士が女かどうかはさておき、色白で線の細いしゅっとした輪郭から大層な美人であることが窺えた。去って行った馬車同様に魔具の力か魔法かは分からないが、この煙の中、鼻と口を塞がずに平然としているのだから既に対策済みらしい。
どうやらシンの問いかけに答える気はないようで、相変わらず無言だった。炎がそこらかしこに転がる瓦礫を呑み込み、ジリジリとその距離を狭めていくのを尻目に、シンも返答など最初から期待していないので気にせず続ける。
「頬の輪郭と身長、バスト、ウエスト、ヒップから総合的に判断するに、十代後半の少女……。因みに、バストは65、ヒップは……」
「だ、黙りなひゃいっ!」
そこでようやく兵士は慌てて口を開く。声は紛うことなき女のもので、鈴の音のように澄んだ声だった。
「あっ、噛んだ。もしかしなくとも図星?」
「ハッ。俺の目に狂いはねぇぜ」
へぇ~と意外そうに感嘆のため息を漏らすフランに、シンは剣を肩に担ぎながら誇らしげに胸を張る。
「まぁ、それはそれとしてだ。タバランに奇襲仕掛けたのは、神のお導きか何かか?」
女兵士はこほんと咳ばらいをして、甲の奥から冷ややかな目で虚空を見つめる。その眼差しには静かな怒りが込められていた。
「魔族も人間も平等かつ対等の立場でなくてはならないのに、このタバランでは同種の人間さえも下等の者として売買を行っていると聞きます。教祖様はこの現状に大変御心を痛め、同時にこう預言なさった。
――心の腐敗は、すなわち魂の腐敗。死したる後、魂は地へ還る。故に大地は腐るのだと。そのような魂は場所もろとも焼き払わなければなりません」
「フランがそんなようなことを前に言ってたな。火葬は魂が焼かれて天に昇ってしまうから駄目だとかなんとか……。教祖様もその口か」
意外そうに呟くシンにフランが尋ねる。
「教祖って?」
「ストラ聖教っていう宗教の創始者にして、神聖ストラ共和国の建国者ってわけだな。性別不明、年齢不詳。公に姿を現さないからそこんところは未だに謎だ。んでもって、そんな訳分かんねー教祖の為なら命をドブに捨てることも厭わない狂信者共で組織された軍隊が神聖ストラ十字軍っつーことよ」
剣から滴り落ちる血を見ながらシンは哀れむように目を伏せ、馬鹿な奴らだとせせら笑う。
「教祖様の御言葉を理解出来ない愚人には我々の崇高な理念など到底理解出来ないでしょうね。何を言われようと哀れに思うだけです。…あなた方は見たところ、奴隷商人でも、ましてや奴隷というわけでもなさそうですね」
「どっからどーみても通りすがりの旅人だろ。こちとら疲れを取る為に来たっつーのに、疲労二割増しになってクソ苛立ってんだよ」
腹立たしげにつま先を地面に打ち付けて地面を踏み鳴らすシンに、女兵士は小首を傾げて微笑む。全貌は見えずとも、その仕種だけで思わず見惚れてしまうほど美しい笑みだった。
「捕虜になればいくらでも休めますよ」
「先を急いでんだ。んな暇ねぇよ。つぅか、旅人込みで今いるタバランの奴ら全員を賄えるほどの物資がストラにあるとは思えねぇが。それともなんだ、さっきの狂信者みたく奴隷以外は皆殺しか?」
対照的に、シンは犯罪者さながらの悪人面で嘲笑を浮かべ挑発する。彼の狙い通り、それを聞いた女兵士の笑みが凍りついた。途端、辺りの温度が急に下がったのを肌で感じた。吐く息は白く、足を動かすとジャリッという砂を引きずるのとはまた違う感触と音がして、見れば、足元の地面には霜が降りている。
「……熱いか寒いか、どっちかにしてくれないと反応に困るんだけど」
「涼しいから良いじゃねーか。さっきから布で蒸れてしょうがなくてよ。俺は大助かりだ」
フランとシンは互いに目配せし合い、軽口を叩きながら静かに武器を構え、戦闘態勢に入る。
感情の高ぶりによる魔力の漏洩。魔力の多い魔族によく見られる現象だが、人間でその現象を引き起こせるほどの魔力を持つ者は稀である。
――こいつは水の魔法が得意な訳か。
前にリリスがガルナの森で魔力を漏洩させた時には発火現象が起きたというように、魔法にも属性があるならば、それを発動させる魔力にも当然その属性の因子が含まれる。属性の因子には個人差があり、最も多く含まれる属性の因子が魔力が漏洩した際に現象として現れるのだ。故に漏洩によってその者がどの属性の魔法を得意とし、どの属性を不得手とするのかが分かる。
「口を慎め、下郎」
「外道のお前等よりはマシだな」
その言葉に、女兵士が矛を握る手に力が篭ったのをシンは見逃さなかった。
女兵士は柄を長く持ち、中腰の構えになって下肢に力を込めると、地を蹴り、穂先を突き出す。距離を詰めなくとも剣と比べ圧倒的にリーチの長い武器だからこそ、先手を打つことが出来る。
シンは上半身を捻り、最小限の動きで躱す。突きから次の動作に移るまでの僅かな隙を狙い、女兵士が後ろへ跳んだ瞬間を狙ってお返しとばかりに一歩踏み出し剣を突き出せば、左手の籠手に取り付けられた円形の盾を使う必要もないとないと判断され、甲冑を着ているとは思えない軽やかな身の熟しで躱される。流石は軍の兵士とだけあって、こちらの芸のない攻撃は既に見透かされているようだ。分かりきったこととはいえ、舌打ちせずにはいられない。
「ボクほどじゃないけど、まあまあ速いな……。足封じるか」
屋根からその様子を見物していたフランは独り呟くと、女兵士の動きを狙いを定め、躊躇いなく拳銃の引き金を引く。短い発砲音と共に放たれた銃弾は、フランの狙い通り女兵士の太股を貫通するはずが、途中、キンッと不可視の壁に阻まれて軌道を変え、地面に弾痕を刻んだ。
「なっ……! 逸らされた!?」
目を見開き、驚愕のあまり素っ頓狂な声を上げて辺りを見回すが、遮蔽物らしき物は見当たらない。そんな馬鹿なとよくよく目を凝らして見れば、硝子のように透明な光の板がそこにはあった。銃弾が当たったというのに傷一つない。
「結界……。いや、あんな形のは存在しないから、光魔法の障壁か。アレが原因なわけね……」
小さく舌打ちして、フランは銃を構え直す。横槍を入れられたのは気に食わなが、今自分がやるべきことはシンの援護だ。
「邪魔はさせない」
「……っ!?」
不意に聞こえた怒りの篭った呟きに、フランは反射的に上に跳ぶ。するとフランが今し方立っていた建物が真っ二つに割れた。轟音を響かせ倒壊する建物と、少し離れた場所でフランを見上げている茶髪の少年兵士を見下ろし、フランはあくどい笑みを浮かべる。
「だぁぁぁっ! 邪魔邪魔邪魔邪魔っ!! 雑魚はすっこめっての!」
魔力を込めた弾を立て続けに撃てば、茶髪の兵士は盾で身を守りつつ光の障壁を出現させて弾を弾く。
「ちっ…! 盾か障壁がどっちかにしてほしいんだけど!」
フランは敵のかく乱に完全に冷静さを欠いているようで、所構わず辺りに弾を乱射しまくる。それらの弾は全て不可視の壁に阻まれ、進路を変えて全てシンの方へ跳ね返ってくるので、シンは兵士の攻撃と流れ弾の嵐を何とか剣で弾きながら堪らず叫んだ。
「フラン、お前は俺を殺す気か!? 腕攣るっつーの!俺の方はいいから、そっちを頼む! ……あと、絶対に銃は使うな」
「ごめんごめん、悪気はないって。と、とにかく合点承知! どっちが先に片付けられるか勝負ね!」
フランは素早く銃を腰のホルダーに戻すと、「血祭りに上げてやらぁぁぁ!」と何やら物騒なことを叫びながら突っ込んで行く。
「シルバ、そちらの始末は任せました」
「た、隊長……! おっ、お任せ下さい!」
女兵士の方も茶髪の少年兵士に声をかけると、シルバと呼ばれた少年兵士は背筋をぴんと伸ばし、顔を真っ赤にしてしどろもどろになりながら威勢よく返事をする。
彼も紛うことなきストラの兵士のようで、女兵士を隊長と呼んでいるところを見るに、彼女の隊の一員で間違いないだろう。着ている鎧には十字の紋章が象られているが、彼の場合、本来兵士が着けるはずの甲を身につけていなかった。
――着けていないということは、視野を補う魔法がまだ使えないのか。つまりはこいつは新兵。しかし、仮にこの女兵士が指揮官だったとして、指揮官管轄、それも直属の隊に配属されているということは、魔法か武術でそれなりの実力があるということになる。加えて、兵士になるには年齢制限があり、大体十六からのはずだ。見たところこいつは十八そこら。その歳で如何に実力があろうと指揮官直属の隊に配属されるということは志願しなければ有り得ない。つまりは――。
「…………ぞっこんか」
ぼそっとシンが呟くと、シルバは即座に殺気を噴出させ、射殺さんばかりにシンを睨みながら長剣を構えた。隙あらば斬り殺す気満々のようだが、フランが立ちはだかり牽制しているので手が出せずに短く舌打ちする。
「フラン。そんなぞっこん野郎はさっさと血祭りに上げて、こっちの加勢頼むわ」
「こんな奴、速攻の瞬殺だよ!」
言い終わるやいなやフランはシルバに向かって強烈な蹴りを放つ。それを尻目に女兵士も再び戦闘体勢に入った。フランに負けじとも劣らない速さから繰り出される突きは視認ギリギリで完全に見切ることが出来ない。
「くっ……!」
穂先が頬を掠めた。鮮血が飛び、切れ目から血が頬を伝う。少し遅れて風が脇を吹き抜けた。
これまでの戦いはウォーミングアップだといわんばかりに女兵士の動きにキレが増し、徐々に加速していっている。シンの繰り出す斬撃に対し、女兵士は足捌きや矛の持ち手の位置を変え、常に一定の距離を保つことで追撃を防ぎ、即座に攻撃に打って出てくるので、シンが再び攻撃を繰り出すには女兵士の攻撃を躱しつつ距離を詰めるしかない。その繰り返しでら徐々に、しかし確実に体力は削られ、シンの動きは明らかに鈍り始めていた。
――ニコラスの野郎が西の遠征の際に何処ぞの国に勝負吹っかけて負けた。帝国以外にそんな力のある国がまだあるのか?
――国相手に負けたんじゃねぇ。その国の軍の隊長相手に負けたんだ。西の神聖国は知ってるか?
不意にバーンと交わした言葉が思い起こされる。
(ニコラスの野郎が敗れた相手は、こいつなのか?)
そんな気もするし、それならバーンの情報とも一致する。しかし、それはそれで腑に落ちない。ニコラスは光属性の魔術を得意とする。水と光の相性はまずまずといったところで、上の兄二人には劣るものの魔法と武術の両立させているニコラスならば楽々とはいかなくとも、隊が壊滅的被害を受けることなく勝つことが出来たはずだ。
「兵士でないにしては中々の技量がおありのようですね。しかし、その剣の型にあっていない決定打に欠ける稚拙な剣捌きや、これしきの動きで肩で息をするところを見るに、素人よりかは幾分か優れ、言うなれば新兵に毛が生えた程度というのが妥当な評価でしょうか。……何故、魔法を使わないのです?」
「答える義理はねぇよッ!」
太股を狙った突きを弾き、振り下ろした斬撃は呆気なく空を斬る。反動で多少よろけながらも体勢を立て直す。視界を遮る汗を拭う暇もなく、再び剣を構えて出方を探るべく睨み合う。
これほどの技量があれば適当に受け流して先手を打つことは十分に可能なはずだ。こちらの斬撃を避けているのは体力の温存の意味合いもあるのだろうが、距離を保ち攻撃の機を窺う辺り相当慎重な性格なのだろう。
万が一押し切られるのを防ぐため、そして恐らくは増援到着の時間稼ぎの可能が十分に高い。奴隷保護が目的とはいえ、話を聞く限り最終目的はタバランの征圧。ともなれば、どれだけ腕に自信があろうと少数部隊で街を征圧というのは些か考えにくい。少数部隊にしたのはタバランの現状把握、および奴隷保護のための索敵陣形に過ぎないだろう。
(問題は、いつどのタイミングで増援が送られてくるかだ。奴隷全員の保護が終われば征圧に切り換えるはず……。こいつらが奇襲を仕掛けて一時間以上は経ってる。もし、さっきの馬車が最後の奴隷を乗せたものと仮定するならそろそろ突入して来てもおかしくないか……)
少年兵シルバと交戦中のフランを一瞥すれば、圧倒的な速さと凄まじい蹴りでおしてはいるものの、思いの外シルバの守りが固く、焦りの色が浮かんでいる。フランも違う意味で苦戦しているようだ。
フランの加勢が期待出来ないなると、いよいよ腹を括るしかない。これまでの一連の動作から鑑みるに、剣技では及ばなくとも力では優位に立っている。敵の増援が到着する前に何とかして押し切ってしまえば勝機はあるかもしれない。
――次で決めるッ……!
女兵士も同じ考えに至ったのか、おもむろに構えを変えた。
中腰に変わりはないが、両手で縄を手繰り寄せるような、どちらかと言えばビリヤードの構えに近い体勢から片手で柄をやや先端よりの真ん中に持つ構えになる。
互いの視線が交差した瞬間、二人は弾かれたように駆け出した。
「やぁぁぁあぁぁァァっ!!」
「うぉぉおぉぉォォっ!!」
咆哮に等しい叫び声を上げながら、一抹の望みを賭けて渾身の一撃を叩き込む。火花が散り、刃が円形の盾に食い込んで、鈍い音をたてた。痺れる手から伝わる確かな手応えもそうだが、何より、歯を食いしばり左手のみで盾をかざす女兵士の表情がそれを実感させた。
――このまま押し切れば……!
握る手に力を込めると、ブチブチと何かが断たれていく感触がして、血が噴水のような勢いで噴き出る。ちらりと視線を寄越せば、右の肩口を穂先が貫いてそのままの状態で停止していた。傷を知覚したことで痛みが息を吹き返し、シンは顔を歪ませる。
「ざけんじゃ、ねぇ……」
「……?」
怒気の篭った声で何かを呟いたシンを、不思議そうに女兵士は見つめた。
顔を歪めたのは痛みではなく、屈辱からである。このまま無理に力を込めれば自滅は免れない。つまりは、このまま防いでいれば向こうは自らの腕を落しにくるようなもの。
彼女はここで決着を着けるより時間稼ぎを選んだのだ。
「ナメんじゃねぇッぞ!」
死に物狂いで剣を握る手に力を込め、重心を前に傾ける。
怒り、もとい屈辱に我を忘れて押し切ろうとしたが、ふとある違和感を感じ、体の熱が急激に冷めていく心地がした。
防戦に回った女兵士が構える盾の感触が明らかに弱いのだ。押し切られるかもしれないのに力があまり入っていない。否、入っているには入っているのだが、両手にしてはあまりにも弱すぎる。
まさかと思い、身を乗り出し、盾に隠された女兵士の右手を確認する。悪い予感は見事的中し、盾の影で空いた右手が空間に魔法陣を刻んでいるのが目に入った。
ヤバい、と声に出す間もなく陣から氷柱が盾を貫き弾丸の如く放たれる。咄嗟に剣で弾くも、近距離から放たれたそれを全て弾くことはいくらなんでも不可能で、二本の氷柱が脇腹をえぐり、太股を貫く。その勢いでシンは二三歩たたらを踏んだ。背中に熱気を感じ慌てて踏み止まれば、ズズッ…と熱と痛みが脳を支配し、肩口の異物が強引に引き抜かれる。それを視認する間もなく、すぐさま穂先が喉元に突き付けられた。
「ぐっ……」
「シンっ!」
どうやら意識が混濁しつつあるらしく、フランの声や荒く弾む自分の息遣いさえどこか遠くに聞こえる。炎は再び勢いを増し、まるで蒸し風呂の中にいるように息苦しく、息を吸う度に肺が焼けるようにひりひりと痛んだ。
「まだまだ青いですね。貴方は、私が貴方に一撃を食らわせ、自滅を促したことから防戦に回った――勝負を捨てたと判断した。貴方はそれを遺憾に思うと同時に、私がもう攻撃をしないものだと過信して油断した……。結論を急ぎ、私を甘くみた結果です」
「こればっかりは返す言葉がねぇわ。俺としたことが、マジしくった。あんた、意外と律儀というか真面目というか……。冷血に見える割に、内面は熱血なんだな」
ギャップ半端ねぇなと呟き、思わずシンは苦笑する。
「女性を外見で判断するなと教わりませんでしたか? ……大人しく投降しなさい。そうすれば命は保障しましょう」
腹の内を探るように互いに無言のまま見つめ合う。炎が爆ぜる音が静寂を掻き消し、熱風が二人の間をすり抜けた。
やがて、はぁ……と深いため息を吐きながら、シンは負傷していない左手を上げる。
「念のために聞いておくが、その言葉に嘘偽りはねぇんだな?」
「えぇ。神に誓って」
「……分かった。フラン、もういい。抵抗するな」
「でもっ!」
この状態を見れば否が応でもそうするしかねぇだろうとシンが視線を喉元に突き付けられている穂先に移しながら諭すと、フランは分かったと渋々両手を上げた。
それを見た女兵士は、相変わらず淡々とした口調と表情のまま鷹揚に頷く。
「賢明な判断です。貴方達には今後私の指示に従って行動してもらいます。言わずとも分かるでしょうが、お仲間の反抗を止めるよう説得に行って下さい。成功すれば、お仲間も貴方達同様に命の保証はします」
「随分太っ腹だな。どういう心境の変化だ?」
「貴方の英断に敬意を表したまでです。それに、無益な殺生はストラ聖教の教えに反しますので」
「だったら最初からそうすりゃいい」
「駄々をこねる子供にいくら説き伏せたところで、子供が道理を理解出来ないのなら、分からせるしかありません。それと同じですよ。さて、最終確認です。我々の指示に従うつもりはあるのですか?」
甲の奥から注がれる真摯な眼差しを感じながらシンは愚問だと言わんばかりに鼻で笑う。
「ここはそうだな、大人しく指示に従う…………わけねぇだろうがッ!」
如何に穂先が喉元に当てがわれようと、一旦動作を静止させた以上、いざ喉元を貫くという時には武器を一度手前に引かなければならない。どんなにその動作が速かろうと、不意打ちを仕掛けたこちらの方が優位に立つのは必然。
上げたままの左手で柄の先端を掴み、下ろした剣を振り上げ、剣先で甲の嘴の部分を掬い上げる。反撃を仕掛けてくるのは予想の範囲内だっただろうが、こればかりは向こうも予想だにしていなかったらしく、呆気なく甲は宙を舞い、鈍い音を立てて二三度地面を跳ねて転がった。
その音を合図に、シンは横に、女兵士は俯きながら後ろに飛び退き、互いに距離をとる。
甲が外れたことで、女兵士の素顔が露わになった。雪のように白い髪が背中に零れ、魔族のように赤く光り輝く瞳が憎々しげにシンを映す。
「た、隊長っ!」
「大丈夫です。少し、油断しました」
長剣を放りなげそうな勢いで脇目も振らずシルバは女兵士の許へ駆け寄ると、気遣わしげに彼女の顔色を窺う。そしてギリギリと歯噛みしながら怒気と殺気を噴出させた。
「へっ、油断したな。あんたの言葉、そっくりそのまま返させてもらうぜ。あんたは暗殺者じゃねぇから心得てなくて当然だが、俺の喉元に穂先を突き付けた時、突きの構えではなく、刃を斜めに構えて薙ぐ姿勢になっていたならこんな子供騙しみたいなヘボい不意打ちを許すことなく俺を仕留められたはずだぞ? 突きと違って、ただ横に滑らすだけで良いからな」
「シン、さっすがぁっ!」
パチンっと指を鳴らし、フランは跳びはねながらシンに抱き着く。それを痛みで顔をしかめつつ、満更でもなさそうにシンは「だろ?」と胸を張る。
「赤目ってことは、あいつ、魔族なのかな?」
「いや、白髪に赤目、肌も色が白いところを見るにアルビノ――つまり、普通の人間だ。名乗んな、女兵士さんよぉ」
――その指揮官は自らを勇者と名乗っているらしいぞ。
「決闘の儀礼という訳ですか。……良いでしょう。私は神聖ストラ共和国神聖ストラ十字軍指揮官を勤めます勇者ノエル・シャリマン! 貴方の名を伺いましょう!」
「肩書き多くてイマイチぱっとしねぇな。俺の名は……」
シンは名乗りかけて、一旦口をつぐむ。ややあってから口角を吊り上げ、にっと悪戯っ子のように意地悪く笑った。
「――俺の名はフライド・マッシュポテトだ」
「シンというのですね、分かりました」
****
「くっ……、バリケードがもう持たねぇ……」
宿屋の一階。居酒屋として開放されているはずの広間には、あるべき椅子や机がなかった。それらの物は全て入口に押しやられ、居酒屋にいる二十人あまりの見るからに力自慢の男達が額に青筋を浮かべながら必死にそれを押さえていた。彼等の後ろに控えている腕に覚えのある剣士数人と回復担当のフィリップ、リリス、ルーナ、そして宿屋、もとい宿屋の主人であるバーンは後衛を務め、固唾を呑んで成り行きを見守っている。
「野郎共、腹括れ! 戦うぞ!タバランは俺達の街だッ!」
バーンは外からの攻撃を受けてパラパラと木屑や木片を零しながら崩れつつあるバリケードを見て頃合いと判断し、メリケンサックを嵌めた拳を打ち合わせながらその場にいる全員に向かって叫ぶ。彼の掛け声にタバラン住民は色めき、武器や拳を頭上に掲げて雄叫びを上げる。
確実に士気は上がり、酒場に満ちる緊張感がピークに達したその時、遂にバリケードが押し破られ、押さえていた数人が吹っ飛んだ。抑えのなくなった濁流さながらに押し寄せるストラの兵士を、鬨の声を上げながら剣士が迎え撃ち、吹っ飛ばされた者以外のバリケードを押さえていた男達は、その隙に一旦奥へ退いて各自武器を取ると直ぐさま加勢に入る。
土煙で濁る視界の中、打撃の鈍い音と、刀身と刀身がぶつかり合う金属音が鳴り響き、火花が至る所に散っている。そんな中、リリス、ルーナ、フィリップの三人はカウンターの隅で出来るだけ気配を消して縮こまりながら辺りの様子を窺っていた。
「は、始まっちゃった……。どうしよう、協力するとは言ったけど、立場上、ストラの兵に万が一正体がバレたらまずいから僕等は二階にでも避難してようか? それならストラ兵が来ても旅人という体でごまかせるし……」
「そうですね……。タバランの皆さんには申し訳ありませんが、ルゥもいますし、出来ることなら戦闘は避けたいです」
フィリップの提案に、リリスは彼女に抱き着き、怯えがたがた震えているルーナを抱きしめ、その背中をさすってあやしながら、しばらく俯いて考え込んでいたが、やがて覚悟を決めたように顔を上げてフィリップの方を見た。
「分かりました、行きましょう。この程度ならまだ見えますから、フィリップは私の後をついて来てくだ……」
立ち上がり、服越しにフィリップの手を掴んで二階へ向かおうとしたリリスだったが、フィリップの方を向いた瞬間、突然動きが止まった。表情は分からないが、息を呑む音が聞こえる。
「どうしたの?」
「ごめんなさい、やっぱりフィリップはルゥを連れて先に二階行ってて下さい! 私も彼等を助けた後すぐ行きますから!」
早口でそう言うと、リリスはルーナの手をフィリップに握らせ、土煙の中を何処かに向かって駆け出した。リリスがフィリップの方を振り向いた時偶然見てしまっのは、逃げ遅れ吹っ飛ばされた挙げ句、運悪くバリケードの下敷きになり、どうすることも出来ずうめき声を上げている数人の男達の姿だった。
「待ってて下さい、今助けます!」
「来るな……。きちゃ、駄目だ、嬢ちゃ……」
男の忠告も虚しく、下敷きになった彼等を助けようと飛び出したリリスを、部屋中に立ち込める土煙の中から突き出た何者かの太い二の腕が彼女の首を掴んで持ち上げる。
「きゃあっ!」
何が起きたのか理解する間もなく、容赦なく壁に叩きつけられる。そのまま背中を強打し、息が詰まった。
「リリス!」
リリスの悲鳴が聞こえたが、駆け付けようにも土煙の視界が悪く、何処に行けばいいのか全く見当がつかない。
フィリップは青くなりながら落ち着きなく辺りを見回したが、皆交戦中で助けを求めようにも誰もそんな暇はないだろうと思い直し、いよいよ蒼白になる。
「ど、どうしよう……。ルーナ、危ないから僕から離れちゃ駄目だよ……って、ルーナ?」
返事がないのを訝しみ、後ろにいるルーナを目を凝らして見てみれば、フィリップの背中にもたれかかってすやすやと眠っている。
「寝る!? この状況で!? あわわわ…。本当にどうしよう……。とにかく視界が晴れてくれないと動けないし、危険だし……」
フィリップはルーナを背負い、落ち着きなく立ったり座ったりをくり返す。
「そ、そうだ! 風の精霊を喚び出して、土煙を掃ってもらおう」
そんな一連の動作が十回目を迎えたところで妙案を思い付いたとばかりにフィリップは拍手を打ち、マントをめくって裾の中を探り、例の分厚い本を取り出すと開く。深呼吸を一つ。気持ちを落ち着かせると、彼方にいる恋人を思い、その名を呼ぶかのように柔らかな声色で囁きかけた。
「風を司りし精霊よ。我が呼び声に応え、我を助けよ」
頁と頁の合間から風が溢れ出し、風を孕んだ衣服がバタバタとはためく。
「せ、成功した……!」
ほっと息を吐く暇もなく、やがて風はフィリップの思惑とは裏腹に、彼を中心に大きく渦を巻きはじめる。
風の精霊は大層悪戯好きで、喚び出す者の器量が相応しくなければ好き勝手に風を起こして困らせるのだ。そして、この場合もフィリップの器量が伴わないために完全に見くびられていた。
「えっ、ちょっと待って! まさかとは思うけど……。ダメだって! 勝手なことしないでよ~」
切願するフィリップを嘲笑うかのように、風は徐々に速さと勢いを増していく。
「な、なんだっ!?」
「うわぁぁあぁぁっ」
周りから聞こえてくる悲鳴を戦々恐々としながらフィリップはぶるりと身震いする。こうなってしまえば、原因が自分であると判明しないことを切に願うばかりだ。
風は人や物関係なく周りにある全てを巻き込み、巨大な柱――竜巻となって天井、そして屋根を突き破り、やがて霧散する。
屋根を突き破ったことで多少土煙は立ち込めているが、先程より視界は随分良くなっていた。
「これは……。シンが言うところの結果おーらい、ってやつでいいのかな?」
徐々に晴れつつある視界に、突如、目の前に巨大な黒い影が浮かび上がった。その姿にフィリップは狼狽し、思わず腰を抜かす。
「とっ、トロール……。魔族が何でこんなところに!?」
引き締まった筋肉。大人二人分ある巨大な肉体。それを誇示するように腰布と編み込み靴、脛当てなどの最低限の防具しか纏わず、手にはフィリップと同じくらいの大きさの巨大なこん棒が握られている。
――帝国以外に魔族と与する国があるなんて……。
辺りを見渡すと、トロールに次に怪力を誇る魔族オーガがストラの鎧を纏い次々と侵入してきているではないか。
焦りと不安で一杯になりながらバリケードで塞がれていた入口付近に目を凝らせば、額に角を生やしたオーガがリリスの首を掴んで絞めている。
危うく心臓が止まりそうになったが、よくよく見ればリリスもそうはさせじと首を締め上げる手を掴み、ありったけの力を込めて引きはがそうとしている。
「リリスっ、待ってて!今助けに…」
フィリップは自身が攻撃魔法を使えないことも忘れて駆け出そうとしたが、そこではたと気付く。
騒音が全くしないのだ。突如発生した竜巻により敵も味方もある程度巻き込まれていくらか数が減ったとはいえ、戦闘を中断する理由にはならないはず。何より、何故今になってバリケードが破られる前のような息の詰まる張り詰めたような緊迫感が再び漂っているのだろうか。
(ストラ軍に魔族が加わっていることに驚いているとか? それにしては変な感じだし、だからといって魔族相手に怖じけづいたって訳でもなさそうだけど……)
そんなフィリップの読みはあながち外れではなく、現れたトロールやオーガ――魔族の軍勢を見た瞬間、酒場にいた住民達はしばらくの間、驚き、呆気にとられてその場に立ちすくんでいた。しかし、それも数秒のことで、俄に殺気立つと、ストラの人間兵を差し置いてタバラン住民全員が一斉に鬨の声を上げながら、魔族に突っ込んでいく。
そんな中、誰よりも先に立ち向かう影があった。
甲高い声で鳴きながら、土煙を裂いて現れた夜鷹が鋭利な爪でリリスを掴むオーガの目を潰しにかかる。
「何だ、この鳥……。このっ、邪魔だっ!」
夜鷹は俊敏な動きで巨大な鉈を振り回すオーガの攻撃をかわすと、鋭利な爪でオーガの目を引っ掻いた。
「ギャァアアアアッ!!!」
リリスの首を掴んでいたオーガは両目を押さえ絶叫する。束縛からようやく解放されたリリスはそのまま床に真っ逆さまに落ちていく。
朦朧とする意識の中、落下していく感覚だけがはっきりと伝わり、リリスは無意識に固く目をつぶった。
「ちょっと待ったぁーー!!」
ルーナを背負いながら慌てて駆け付けたフィリップが滑り込みながら落下してきたリリスを抱き止める。それから必死に呼びかけるフィリップの姿を薄目で確認し、少し咳込みながら、リリスは何とか大丈夫ですと返した。
フィリップ達の頭上で夜鷹が一鳴きし、その声にルーナの体がびくんと反応する。そして、うっすらと目を開けて辺りを見回す。
「こわい……」
元の身体に戻ったルーナはそうぽつりと呟き、フィリップの背に隠れる。
最早、酒場で繰り広げられるはタバラン防衛の為の戦いではなく、過去の因縁による私闘と化していた。




