◇タバラン攻防戦 Ⅱ
行商街タバラン。ガーナ王国の保有する領土の一つで、物資の供給源である。ガーナ王国の国境地帯上にあり、ガーナが保有する領土の中では第一に襲われる可能性の高い領土だった。故に国境付近の守備強化も兼ねて軍国と同盟を結んだとされている。
「シン、壊すならせめて僕が結界張ってから壊して」
「いーんだよ。ほっといても勝手に直る」
悪びれた風もなくシンは剣を鞘に収め、尻目で崩れた塀を見た。
地面に散らばった煉瓦の破片が時間を巻き戻したかのように集まり、元の形に戻る。
その光景を目にしたフィリップは眼鏡を中指で押さえながら驚嘆の声を上げた。
「時間魔法……。何処かにある魔具の魔法の力が作用しているんだ」
「お前が見抜けなくてどーする」
ため息を吐いて、シンはやれやれと言わんばかりに頭を掻く。
「――そういえば、フランの時といい、ニコラスさんの魔造兵の時といい、フィリップは魔法を分析出来るのですか?」
「町民Cのこの眼鏡も、こいつが考案して試作した立派な魔具だ。魔力を感知し、魔法を解析する無属性の創作魔法がかかってる」
シンの説明にリリスは感嘆しながら尊敬の眼差しをフィリップに向けた。
魔具は未だに製造方法が不明とされている。魔具に用いられる装飾の素材や、魔法を記録・発動に至る機構は解明されていない。
魔法の創作も自分の魔力量や魔法の構造から何まで熟知していなければ不可能な業である。
「魔法も魔具も自ら創作しただなんて……。フィリップはすごいですね」
「そ、そうかな?と言っても、魔法の創作は言うほど難しくないよ。魔具の方も魔法をかけただけの紛い物なんだ。この場合は眼鏡に……」
「そんなのどうでも良いから早く行こうよ~。此処に留まってたってしょうがないじゃん。人来ちゃうよ」
フィリップの言葉を遮り、フランが待ち兼ねたらしく横から口を挟んだ。
フランの言う通り、ずっと此処にたむろしている訳にもいかないので、とりあえず四人で横に並んで歩き出す。
物流地点として多くの商人が訪れる為か荷馬車が通りやすいよう道幅はかなり広くなっていた。しかし、道行く人の姿は見えず、今のところ外を歩いているのは四人だけのようだ。
「思ったより人通りが少ないですね」
「裏門付近だからな。用がなきゃ来ねぇだろ」
「此処は居住区だね。此処が裏門ってことは観光・商業区はあっちかな」
辺りに建ち並ぶ家を見回し、正面を指差したフィリップにフランは猜疑の視線を送る。
「よく分かるね?」
「大体こういうのは対称になってんの。此処はガーナの玄関口みたいなもんだ。前から敵が来るのは当たり前だが、後ろは味方だからな。後ろから襲われる心配はまずねぇと踏んだんだろ。正門から略奪者が襲って来ても裏門から逃げられるっつー算段だ」
「へぇ~。なるほど、そういうことか」
「……別にいいけど、僕とシンとで態度違い過ぎない?」
フランの隣でフィリップはぶつぶつと不平を漏らしながら鞄から地図を取り出すと、広げた。リリスは横からそれを覗き込み、思わず声を上げる。
「まぁ! 街中も分かるのですね! もしかして、この地図もフィリップお手製の物ですか?」
「うん。解析魔法を施した魔法の地図。便利でしょ?」
地図にはタバランの街の建物や店が案内図のように細かに記してあり、タバラン全体の様子が分かる。
見たところ、タバランは他国に侵略される可能性が高い領地だというに、道はほぼ一方通行だった。まるで元ある道の端に後から建物が建ったと言わんばかりの単純極まりない構造である。
「――種族戦争後、魔族によって住家を追われた人間が苦肉の策でこの道を新たな自分達の居場所にしたんだ。だから、攻め入られたら簡単に陥落してしまう。ガーナ王国の王様は結構そういう人間の歴史みたいなのを重んじる人だから、タバランに多額の寄付金を贈与して此処まで街の規模を拡大させたなんて噂もあるくらいだよ」
「魔族としては複雑な心境です……」
「お前等、お喋りはそこまでにしとけ。そんでもって俺の後ろに一列に並んで極力下向いてろ。話す時は小声で。じゃなきゃ不審に思われる。……分かったな?」
シンは有無を言わせぬ口調で言い放つ。フランとリリスは互いに顔を見合わせながら渋々頷き、フィリップは地図をシンに見せると黙って後ろに並んだ。
「さぁさ、お立会い!」
「まとめて買うならお安くしとくよ! 今なら銀貨七枚から……」
大通りは活気と人の熱気に包まれていた。リリスやフランは好奇心が勝って、時折顔を上げては辺りの様子を窺った。近くに店らしき建物は見えず、人々の視線も下に向いてはいないので、地面に物を置いて売っている訳ではないようだ。
「何ですか、これ……」
群衆が何を売り買いしているのかに気付き、リリスは愕然と呟く。
路肩に並ぶは瑞々しい野菜や果物ではなく、手足を魔法で拘束された十代から二十代くらいの男女だった。
男子は腰布だけ宛がわれ、あとは裸である。女子は今リリスが着ているのと同じ素材の、太股が露出するほど丈の短い袖無しの服を着ていた。
奴隷商人に合図を送られると一人ずつ順番に木箱の上に立ち、怯えた表情で周りを囲う群衆を見ている。群衆は奴隷を凝視し、金・銀・胴の通貨の枚数を指で示しながら奴隷の価格を競っていた。
胴貨が最も価値の低い硬貨。銀貨は一枚胴貨十枚分の価値があり、胴貨と銀貨が食物を覗く一般的な売り買いの相場である。金貨は胴貨とは逆に最も価値の高い硬貨にして、一枚銀貨五十枚分に相当する。
「今時珍しくねぇよ。見ての通り、奴隷市場だ。しっかし、何時になく賑わってるな……」
「行商街タバラン。行商っていうのは、店を持たずに商品を売り歩くことで、此処に来る商人や旅人が旅先で手に入れた荷を立ち売りするからついた通り名なんだ。皮肉だよね、近年制定された奴隷制度が出来てからはすっかりこの有様だ」
「裏を返せば、そういった商人達が皆揃って奴隷商になったことを表してる。田畑が駄目になって食料もあんま手に入らなくなってきたからな。娯楽品も売れないとなると、残る選択肢はあれしかない。金欲しさに家族を売る奴も少なくないから供給には困らないし、需要もある。欲深い奴が生き残るご時世だ」
土地が枯れ、凶作が相次ぐ今では農作物は全て物価が高騰し、金貨で売買するのが常である。それと同時期に、まだ未開拓の枯れていない土地を農地として開拓する為の労働力が求められるようになり、需要が高まったのが『奴隷』だった。
「……どうにかならないのですか?」
シンは辺りの様子を窺いながら小さく首を横に振った。
「黙って下向いてろ。こればっかりはどうにもなんねぇ。この前ので学習しただろ? それと同じだ。勇者の出る幕じゃねぇんだよ」
「でも……!」
「リリス、前にも言ったよね。出来ないなら何もしないで。僕達の目的は帝国に行くことだ。彼等をどうこうすることではなく」
フィリップは冷ややかにリリスを突き放す。それでもリリスはめげずにフィリップの後ろから縋るような視線をシンに向けたが、返ってきたのは嘆息だった。
「貧乳。お前の目にはあいつ等が不憫でとてつもなく可哀相に映って見えるのかもしれねぇ。確かに、金欲しさに親から売られた奴や身寄りのない孤児…。あそこにいるのはそういう同情に値する境遇の奴等ばかりだろうよ。
奴隷商の肩を持つつもりはねぇが、奴隷商は病気などの例外を除いて、絶対に奴隷を殺さない。物価の高い今の世じゃ、孤児なんかはいくら金を盗もうと食いぶちは稼げねぇ。奴隷商はあいつ等を商品としか見ていねぇかもしれねぇが、結果的に空腹に喘ぐ奴等に食い物を与え、衛生管理を努めてる。商売のためとはいえ、養っていることに変わりねぇんだ。……今の俺等に、あれよりマシな環境をあいつ等に与えることが出来るか?」
「できません……」
「だろ?せめて良い買い手に買われることを祈っとこうぜ」
子供をあやすかのような柔らかく優しい口調でシンはリリスをなだめる。表情は見えなくとも、何となくだがリリスにはシンが笑っているような気がした。しかし、シンの笑顔というものがまるで想像出来ない。浮かぶのはいつもの意地悪な笑みばかりだ。
「ねぇ、フラン。シンの笑顔って想像出来ます?」
「ん~?それなら昨日見たよ?すげー胸がドキドキした」
「えぇ!?いつもの意地悪な笑みじゃなくてですよ?」
「うん。一般的な笑顔だろ?」
「ず、狡いです! 私も見たかった!」
「お前等、黙れ」
大通りを抜けると、宿屋は至る所に建っていた。シンは先程地図を見た時、泊まる宿屋の目星をつけたらく、脇目も振らずと、ズンズン先へ進んで行く。
「あっ、シンとフィリップの似顔絵がある。……この下に書いてある数字は?」
フランは物珍しそうに辺りを見回し、煉瓦の塀一面を白く覆い尽くすほど数ある貼り紙の中から目敏く二人の似顔絵が描いてあるビラを見つけると側へ駆け寄った。リリスも興味をそそられたので、一緒になって貼り紙を見に行く。シンとフィリップも仕方なく二人の側に来る。
「指名手配書ですね。下に書かれているのは懸賞金です」
器物損壊、王女誘拐、窃盗……。数えきれないほど罪状が克明に記され、その下にシンとおぼしき、ぎょろ目に厚い唇、頬骨の張った黒髪の男の似顔絵が描かれていた。
「こっ、これがシン……」
「アハハハッ! 最終進化!?」
「しねーよ。つーか、進化というより退化だろ」
隣にはフィリップのビラもあり、罪状はないものの、顔だけはかなりそっくりに描かれている。
「まさに平凡を絵に描いたって感じだろ?」
「さぞ描きやすかっただろうね」
好き勝手言いまくる二人に、フィリップは何だかとてもやるせない気持ちになった。
「よく見るとフィリップの方が額が大きいですけど……」
「町民Cのビラはこいつの婚約者が出してるんだ。良かったな、町民C。未だにお熱みてーだぜ?ある意味、旅路の最大の障害物だな」
「どうしてです?」
「町民Cの婚約者はミレアっつーんだけど、何とも疑い深いお嬢さんでな。あの手この手を使って邪魔してくんだよ。俺等は王位継承の課題を達成すべくこうして旅をしている訳だが、何故かお嬢さん的には逃避行と解釈されてる」
「……愛の?」
「おぞましいことにな。俺が女と勘違いされてる。だが、お前等がいるからそれも直に解消されるだろ」
そんでもって、お前等もあそこに貼られるな~と呑気にシンは笑う。
「シンの方は連絡先がいくつも書いてあるのは何でなんだ?」
「身柄を引き渡せば、此処に書いてある分のお金が貰えるんですよ。国によって額が違うみたいですけど。えぇっと……軍国、ガーナ王国が金貨千枚……。ティルノア共和国が金貨一万枚!?」
「良かったね、シン! 向こうも色んな意味でまだ諦めてないみたいだよ?」
満面の笑みを返すフィリップにシンはチッと舌打ちする。
「あとは、砂漠の蠍さんです。こちらは金貨三枚です」
「…………おい。今、砂漠の蠍って言ったか?」
「は、はい。ほら、此処に書いてあります」
二人とも心当たりがあるらしく、シンは眉をひそめ、フィリップは僅かに表情を強張らせた。
「ボクも名前は知ってる。砂漠の蠍って、結構名の知れた盗賊団だったよね? 確か殲滅させられたって聞いたけど、まだ残党がいたんだ」
「まさか、シンが殲滅させたのですか!?」
「十年も前の話だから、シンがボク等と同い年ならまだ六、七歳くらいでしょ? 有り得ないよ」
「……二人とも、その話はいいから早く宿の方に行こう? 買い出しだってしなきゃいけないんだ。こんなところで時間を潰している暇はないでしょ。シンも呆けてないで行くよ」
フィリップは手を叩いて二人の会話を中断させると、シンの方を見る。シンは指名手配のビラを凝視したまま動かなかったが、フィリップの呼びかけに我に返った様子で頷く。その時のシンの表情は複雑ではあったが、微かに安堵の色が表れていた。
歩くこと半刻。ようやく目的の宿屋に到着した。
一階は居酒屋として開放しているらしく、広々とした空間には机や椅子が並んでいる。店内は閑古鳥が鳴いており、宿屋の主人とおぼしき体格の良い禿髪の男は奥のカウンターで突っ伏しながら酒を煽っている。
「此処の主人か? 二部屋一泊いくらだ?」
「一泊銀貨一枚。加えて、一人胴貨五枚なぁ~。四人なら宿泊代込みで銀貨三枚頂こうかぁ」
大分飲んでいるらしく、宿屋の主人は突っ伏したまま視線を上げ、ひっく……としゃくり上げながら酒臭い息を吐く。
「なっ……、人数分お金を取るなんておかしいじゃありませんか!」
「嫌なら他所あたんな~。ウチは割とまともな方だぜぇ?」
憤慨するリリスに、宿屋の主人は酒気を帯びて赤くなった顔で四人を見ると、卑しい笑みを浮かべた。
「連れの言うことは気にしないでくれ。銀貨三枚だな?」
シンはポケットに手を突っ込んで革袋を取り出すと、紐を解き、銀貨3枚をカウンターに滑らせる。宿屋の主人は満足げに銀貨を拾い集めると、客人名簿らしき紐で括った紙束を投げて寄越す。
「じゃ、この紙に署名よろしく。代表者だけでいいから。部屋は何処でも勝手に使ってくれ。鍵は掛かってない」
「俺が書いとくから、先に部屋行ってな」
備え付けの羽ペンで名簿に名前を記入しながらシンは三人に声をかけた。フィリップは分かったと素直に頷き、リリスとフランを連れて二階へ移動する。
三人が二階へ移動するのを確認してから、宿屋の主人はおもむろに話を切り出した。
「……アンタ、奴隷商じゃねぇな。本物の奴隷商なら、奴隷はもっと従順だ。そして奴隷の数も多い」
「何か問題あるか?」
シンは名簿に視線を落としたままペンを走らせ、そのままわざと体勢を変えて宿屋の主人に剣の存在をちらつかせる。しかしそれにも宿屋の主人は臆した様子なく、わざとらしく怖がった振りをし、亀のように首を竦めてみせた。
「おぉ、おっかねぇ……。別に俺は勇者様を摘発しようって腹積もりはねぇぜ。ビラと違って随分な色男だったから驚いてるだけだ」
「男に褒められても嬉しくねぇよ。そういうあんたは帝国の元傭兵、剛毛のバーンか?」
「嫌味か、クソガキ。豪傑のバーンだ。……よく分かったな?」
「この剣を見て勇者と分かる奴なんて帝国の兵士か王族だけだ。だが、帝国人の顔つきじゃないからどっかから来た傭兵だろうし、加えて、悪名ってのは広まりやすい」
「ハハハッ、成る程な」
バーンは豪快に笑うと、樽のジョッキに入った酒をぐびぐび飲み干す。
「まさか、帝国の第四王子様と噂の暴君勇者様が泊まってくれるとは夢にも思わなかったぜ。あんた達が悪名と汚名でなく、その立場に相応しい評価がつけられていたなら手を叩いて喜んだんだが。まぁ、お前さんは仕方ないが、へなちょこ王子はちょっとは良くなったか?」
「知るか、んなもん。……そんなことより情報が欲しい。あんたなら大なり小なり何か知ってると思ってな」
「何のだ?」
酒を飲む手を止め、バーンは神妙な顔つきになって問いかける。シンはそんなバーンの目をじっと見て、淡々と語った。
「ニコラスの野郎が西の遠征の際に何処ぞの国に勝負吹っかけて負けた。帝国以外にそんな力のある国がまだあるのか?」
「ニコラス……。あぁ、帝王の三男坊か。……いくら払う?」
バーンはカウンターから前のめりに身を乗り出して凄む。元々の顔が厳ついので迫力がある。シンは無言で金貨三枚を置いた。
「まず訂正一つ。国相手に負けたんじゃねぇ。その国の軍の隊長相手に負けたんだ。西の神聖国は知ってるか?」
「ストラだったか? 確か、神を主君とした王なき国家だったよな。神聖を掲げてる癖に軍隊持ちかよ」
「その指揮官は自ら勇者と名乗っているらしいぞ。巷で噂の暴君勇者は真っ赤な偽者で、自分こそが本物だと。どうだ?気にならないか?」
「……代わってもらえるなら是非ともお願いしたいね。どうせ、その神聖国が帝国と並びたいが為に作り出した偶像だ。ニコラスの野郎が負けるくらいだから強いんだろうがな」
やれやれとため息を吐きながらシンは踵を返し、二階へ向かおうとする。それをバーンが野太い声で引き止めた。
「ちょいと待ちな! 耳寄りな情報が一つある」
足を止め、振り向いたシンにバーンはほくそ笑んだ。
「――近々、均衡が崩れるかもしれねぇぞ」




