◇タバラン攻防戦 Ⅰ
暁光が地を照らし、白夜は終わりを告げる。蒼天の下、再び活力を取り戻した太陽は煌々と輝いていた。
「――という訳で、旅に同行させてほしいんだけど。用心棒がもう一人くらい居た方がシンも楽出来ると思うんだよね。勝手について行くだけだから、勿論金は取らないよ」
「代わりに、食費とか宿代は僕等の負担か……」
フィリップは眠い目を擦りながらフランの提案を受諾すべきか思案していた。ウェーブの掛かった癖のある茶髪は、寝癖のせいでいつにも増して跳ねている。
「どう?」
「取りあえず、タバランまで一緒に行こう。それから君の働きを見て決める。それでいいかな?」
「了~解ッ!」
皆が起きてからフランは何故か妙に張り切っていた。おまけに上機嫌で今にも鼻歌を歌いだしそうな雰囲気である。
「昨日の事があったから落ち込んでいるかと心配でしたが、どうやら杞憂に終ったようですね」
「空元気かもしれないぜ?あぁいうのは割とそうなんだよ」
ホッと胸を撫で下ろすリリスに、シンはちらりとフランに視線を寄越してからため息を吐く。そうですよねと相槌を打ってから、リリスは先程からずっと気になっていたことを尋ねた。
「……シンは、何をしているのですか?」
リリスの見ている側でシンは自分の鞄から焦げ茶色の細長い布切れを取り出すと包帯を巻くように手慣れた手つきで顔を覆ってゆく。それが終わると先程の布切れと同色のマントを引っ張り出して羽織った。
砂漠越えの商人、あるいは旅人といった風貌であり、シンの面影は何処にもない。寧ろ、普段の粗野なイメージが見事に払拭され、黙っていれば、貴婦人好みの目鼻立ちが整っている色白の美男子だ。
失礼にならぬよう、リリスはちらちらと視線を寄越し、様子を窺いながらその変貌ぶりに舌を巻いていると、シンは支度を整えながら布を当てているためくぐもった声で彼女の問いに答える。
「何って見りゃ分かるだろ。変装だ、変装。良くも悪くも有名だからな。一悶着起こさないよう最低限の配慮だ」
配慮というシンに一番縁のなさそうな言葉が本人の口から発せられ、リリスは衝撃のあまり黙り込む。そうとは知らず、沈黙を肯定を受け取ったシンは渋い顔をした。といっても、シンの顔の大半は布に覆われているので目元でそう判断しているに過ぎないが。
「残る問題はお前等だよな。町民C、頼むから帝国の衣装以外のものを着るか隠せ。貧乳もその格好はやっぱ目立ち過ぎる。フラン、何か服持ってないか?出来るだけ地味なやつ」
「地味ねぇ……。焼けてなきゃあるよ。ちょっと待ってて」
シンの注文にフランは踵を返して森の奥へと駆けて行く。
数十分後。あったー!と声を張り上げながら戻って来て、持ってきた服をリリスに渡した。
「こ、これを着るのですか……?」
渡されたのは薄汚れた麻布の生地の簡素な服。肌触りは最悪としか言いようがなく、紙やすりのようにざらざらのごわごわで、着るのに些か抵抗がある。どうしても着なきゃ駄目ですかとリリスが目で訴えるとシンは小さく肩を竦めた。
「それしかねぇんだ、我慢しろ」
「はい…」
しゅんとしながら草陰に隠れて着替えを済ませ、顔を隠すためのストールを巻けば、ダークブラウンの髪も相まっていよいよ奴隷にしか見えない。
「…………。」
「向こう着いたら一式買ってやる。だが、時にはそういう格好をせざるおえないこともあるから、今のうち慣れておけよ」
がっくりと肩を落とすリリスを流石に哀れんだのか、シンは比較的気遣うような声色でリリスの肩を叩く。
「ボクも被っておいた方がいい?」
「そうだな……、頼む。分かってると思うが、町民Cはそれ脱ぐなよ?」
「分かってるよ」
フランやフィリップもストールやマントで顔や服を覆い隠し、リリスと同様の格好になる。鎖や手枷は無いものの、何処からどう見ても奴隷商人と奴隷だった。
「逆に、目立ちませんか?」
「行けば分かる」
それまで御神木の大樹の下で寝そべっていたモロクがパチリと目を開け、のそりと立ち上がった。四人の前まで来ると腹ばいになる。
「近くまで送っていこう。せめてもの礼だ」
「おっ、本当か?そいつは助かる。お言葉に甘えさせてもらうぜ」
言うやいなやシンは山を登るようにガシガシ毛を掴んで登っていく。リリスは魔具の瞬間移動の魔法を使って難無くモロクの背中まで移動した。
一方、フィリップはというと、岩肌ならまだしも、毛を掴んで登るという力業があまり筋肉のない彼に出来るはずもなく、見兼ねたフランがフィリップの襟首を掴み軽々と跳躍して跳び乗る。
全員が乗ったことを確認し、モロクはゆっくりと立ち上がると振り落とさないよう注意を払いながら駆け出した。
「あの……、その期限の日を過ぎたらどうなるのですか?」
十分は経過しただろうか。平坦な道と草原が延々と続いている。向かい風になびく髪を押さえながらリリスは沈黙に耐え兼ねてフィリップに尋ねた。
何故揃いも揃って全くの無言なのかというと、受ける風圧の強さとモロクが地を蹴る際に生まれる振動が原因だった。
口を開けば押し寄せる風が強すぎて窒素しかけ、それでも何とか喋れば振動で舌を噛む。
フィリップは振り落とされるのを恐れてずっとモロクの毛にしがみついたままの状態でとても答えられそうになかったので、代わりにシンが答える。内容は思いの外あっさりとしたものだった。
「継承資格が無くなる」
「だけ、ですか?」
あまりに月並みな答えにリリスはきょとんとしながら聞き返す。シンは目を細め前方を見たまま頷いた。
「おう。俺達にとっちゃそれだけのことだが、こいつ等にとっては死活問題だ。よく考えてみろ。王子ってのは、ゆくゆくは国王――この場合は帝王か。になる為に産んだんだぜ?暗殺とか病気を考慮して沢山な。その中の一人が帝王の座についたなら後はお払い箱なんだよ」
「そんな……。そんなのおかしいじゃありませんか!」
「おいおい、俺に怒鳴るなよ。帝国の権力だの金だの名声だの、欲の前に愛は霞んじまうようだな」
「シン、煽らないの。別も、王位を継承出来なかったから命を取られるって訳じゃないよ。それに、この課題以外にちゃんと功績を残せば一生好きな事をして暮らせるだけの支援は得られるっていうし、自立して然るべき歳なんだから」
モロクにしがみついたままフィリップが二人の仲を取り持とうと弁解するが、しかし、それも的外れな答えだ。このまま言い合っても無駄だと思い、リリスは諦めて話題を変える。
「フィリップは何か功績を残したのですか?」
「大器晩成っていうからね。今はこんなだけど、いつかきっと兄様達を超える偉業を成し遂げたいなって思ってはいるんだけど……」
「いるよね、そうやって俺はまだ本気を出してないとか言って言い訳する奴」
「が、頑張ります……」
フランの指摘にフィリップは力無く頷いた。毒舌家もフランが相手では本領を発揮出来ないらしい。
「流石のフィリップもフランには酷いこと言わないんですね」
「女だからな」
「あはは、そうですよね」
シンの言葉を笑顔で受け流したからリリスは気付いた。
――私、フィリップにまで女として見られてないってことですか?
「此処らで十分だ。ありがとよ」
何もない平野だったが、徐々にタバランの町並みが見えてきた。シンがモロクに声をかけると、モロクは頷いて走る速度を緩め、ゆっくりと止まる。
「あ、ありがとうございました……」
モロクに礼を言い、フィリップは生きた心地がしないとばかりによろよろと地面に降り立つ。
「……フラン、どうか達者で。お調子者だが、よろしく頼みたい。皆が無事に帝国に着くよう祈っている」
「モロクも元気でね」
「道中どうかお気をつけて」
モロクは一度頷くと、来た道を戻って行く。四人が見送る中、その後ろ姿は風と共にあっという間に消えてしまった。
名残惜しく思いながら四人は五十メートルほど先に見える目的地タバランへと歩を進める。
「……そういえば、主様は何処へ向かわれるのでしょうね?」
小首を傾げながらリリスはフランを見る。
「前に聞いたけど、魔族も人間も関係なく迎え入れてくれる場所、だって。そんな場所本当にあるのかなって半信半疑だったけど、なきゃ行かないよね」
「住み心地はどうなのでしょう?人間と魔族が一緒に暮らすだなんて今では考えられないことですから」
「うん。だからボクも反対だったんだ」
二人の前を並んで歩いていたフィリップとシンはまさかと互いに顔を見合わせた。
「邪推であってほしいけど……」
擦れた眼鏡を上げ、フィリップはそっとモロクの去って行った方向を見る。
「――なぁ、欲って大事だと思わねぇ?」
「何?突然どうしたの」
唐突過ぎるシンの問い掛けに苦笑しながら、フィリップは尋ねた。
「欲と執着はイコールだ。生命は欲と執着に依存する。欲のある奴はしぶてぇ。それこそ、ゴキブリみてーに生き延びる。野望とか願望とかある奴もな。その大抵がクズみてーな野郎だが、生きようとするだけまだマシだ」
「じゃあ、僕等は、そうとうしぶといんだろうね。リリス以外、全員腹に一物抱えているだろうから」
「貧乳にだって欲があるじゃねぇか」
「あぁ、確かに……。食欲ね」
呆れたようにフィリップは頷いて、ちらりとリリスの方を盗み見る。
「帝国はそのような形態を取っていると聞きますが……」
「じゃあ、モロクは帝国に行くのかな?夜の地だけど、確かに、人間と一緒なら皆渋るよなぁ」
「二人は、どう思います?」
リリスの問いに、フィリップは白々しく何の話?と首を傾げた。シンは黙って道端に転がる石を蹴って遊んでいる。
「だから、モロクが何処に向かったかだよ。モロクは帝国に行くと思う?住み心地良いのかな?」
「帝国では、ないと思うよ」
「住み心地なんて、行った奴しか分からねぇよ。まぁ、主様の行き先なんて見当もつかないが、旅してれば何時か立ち寄ることもあるんじゃねーの?」
「ちょっと、シン!」
縁起でもないこと言わないでよと小声で叱るフィリップを無視し、シンは立ち止まる。
数メートル先。門らしき巨大な建築物が遠目から視認出来た。
「…町民C、見張りは居るか?」
「うーん、魔力反応あるから居るか何か魔法が施されているかのどちらかだね。もうちょっと近付けば分かるけど」
どうする?と聞いてくるフィリップをよそに、シンは街を囲う煉瓦を積み重ねて造られた塀に目をつけた。
「ちょっくら迂回するぞ」
「え…。門ならあそこにあるじゃないですか」
「文句を言うな。貧乳、お前の持ってる魔具は物をすり抜けられる能力があったよな?それってその魔具を身につけてる奴しか対象にならないのか?」
「私も含めて定員二人です」
タバランを囲う塀に沿って門から数メートル離れたところまで移動し、シンは辺りに人がないことを確認して塀を見上げた。
高さはおよそ三メートルほど。防衛のためなのだろうがそれにしてはあまりにも低い。何か魔法対策を施しているようにも見えないので大丈夫だろう。
「じゃあ、貧乳は町民Cと一緒にすり抜けろ。フラン、この高さはどうだ?跳び越えられるか?」
「余裕だね。何ならシンを抱えて行こうか?」
「ははっ、魅惑的なお誘いだが遠慮しておく」
「そりゃ残念」
フランは楽しそうに笑うと、塀に背を向け、少し距離を開ける。そして足に力を入れ、一気に跳躍した。弾丸のようにフランの体が宙に浮かび、背面跳びよろしく塀を跳び越える。
「…本当に何もないみたいだね。それじゃ、僕等も行こうか」
「フランで安全を確認しないで下さいよ…。シンには、あそこまでの身体能力はないはずです。どうやって来るつもりなのでしょう?」
「……そうだね。巻き添えを食らわないよう早く行こう」
フィリップは嫌な予感がすると青ざめた表情で呟きながらフィリップはさりげなくリリスの手を握り、塀に向かって走り出す。
「えっ、あ、フィリップ!?」
ドゴッと鈍い音がして、フィリップは塀に激突する。シンはその様子を後ろで見ながら何やってんだとため息を吐いた。
「リリス…。頼むからちゃんとして」
「ご、ごめんなさいっ!悪気はなかったのですが、色々驚いてしまって…。ほら、もうすり抜けられますよ!」
「おぉっ、リリスの手が壁から生えてるっ!」
塀の向こう側でフランが嬉々とした声を上げた。リリスはそのままフィリップの手を引いて塀の向こう側へと移動する。フィリップは立ち止まろうとするリリスを引っ張り、突っ立っているフランの背を押しながら、塀から遠ざけた。
「二人共、危ないから離れて。僕の予想が正しければ……」
最後まで言い切る前に三人が通り抜けた塀の一部が吹き飛んだ。破片が辺りに散乱し、土煙が立ち上る。
シンは何事もなかったかのように剣を担いだまま歩いて来た。予想が見事的中し、フィリップは思わず頭を抱える。
「――着いたぜ、サバラン」
「タバラン、ね」




