#065「ロノウェ・後編」
軍に入隊して二年ちょっと。
僕は十九歳。いや、もうすぐ二十歳になる。
まだまだ若造だ。
軍人としても、隊長殿と呼ばれる地位を得ていたが、経験で言えばまだまだ新米の域を出ない。
それでも、新米なりに色々なことを学んだ。
これまで学んだ中で最も大事だと思うことは、剣の扱いでもなければ、軍隊生活のルールでもない。
「敵を作るな」ということだ。
何も、敵軍の兵士と仲良くしろ、ということではない。
味方の中に敵を作るな、という話だ。
嫌な人間はどこにだっている。
僕の故郷ハイラール、あの素朴な田舎町にだって、嫌な奴はいた。
例えば、マルコの兄アンドレフとその仲間たち。アンコ勝負で勝った僕たちは、彼らを空き地から叩き出した。
だけど、軍隊の中では、そうはいかない。
上官であれ同僚であれ部下であれ、彼らと決定的に対立することはできない。
彼らは戦友だ。戦場で肩を並べる間柄なのだ。彼らと対立してしまっては、いざというときの連携に支障をきたす。それどころか、彼らと修復不可能な溝を作ってしまっては、後ろから刺される可能性だってある。
軍規は厳しいが、感情のまま突っ走る兵士も、確かにいるのだ。
どんなに嫌な相手でも、少なくとも表面上は、波風を立てないでおく。
つまり、事なかれ主義だ。あまり格好が良いとは言えないが、それが一番賢いやり方だった。
僕が河で溺れていた蛮族を助けたのも、事なかれ主義の延長かもしれない。
もちろん、冷静になって考えれば、国境をうろつく不信人物を助けるなど、処罰されてもおかしくない軽率な行為だった。
だけど、目の前で溺れていた蛮族は、聞けば中立部族の人間だという。それまで戦場で相対した獰猛な蛮族とは違い、彼は「人間」らしかった。
きちんと話のできる「人間」を前にして、殺すには忍びないという同情が湧いたのだ。逃がしてやれば、その「人間」は生きながらえ、僕は歩哨の任に戻る。
どうにか穏便に、という気持ちが、無意識のうちにあったのかもしれない。
僕の気持ちが、感情が、事なかれ主義に染まっていたのだ。
「とまぁ、たまに良いことをした結果がこれですよ。
何か良いことをすれば、何か良いことで返ってくる。
そんなことはありませんでした。
僕の道徳心は、紙くずのように吹っ飛んでいきました」
「お前の言う『何か良いこと』は、確かにあったではないか。
お前の仲介によって、我が部族と帝国は同盟を結んだ。
帝国は五大部族の大攻勢に耐え、そして、お前は出世した。
な?
人を助け、良い結果が返ってきただろう」
「ええ、仰るとおりです。
あなた方の血迷った行動がなければ、小さな美談で終わるはずでした。
それが、この裏切りだ。
本当に迷惑ですよ」
「違うさ。
我々は裏切ったのではない。
見限ったのだ」
敵の長槍が、僕の頬をかすめる。
相手の攻撃は速い。
「お前らの国は腐っているぞ。
我々はドミナ教への改宗を受け入れた。
軍の指揮監督権だって譲った。
だが、翻ってお前らはどうだ。
いつまで経っても交易の許可を出さず、このままでは飢えると懇願してみれば、返ってきたのは賄賂の要求だ。
我々はどれだけの財貨を、何人の女を、お前らの役人様へ渡してやったと思うのだ!」
相手は敵将ディレックス。
反乱を起こした同盟部族の首魁。以前、僕が助けた男だ。
「なるほど。
確かに、我が国はろくでもないかもしれませんね」
馬の突進力と、己の力を槍に込め、ディレックスへ突き出す。
だが、ディレックスは僕の突き出した槍をいとも簡単そうに受け流した。
「良い突きだ。
お前は小柄だし、あまり腕力に優れているようには見えないが、それでも、素晴らしい戦士のようだな。
どうだ、そんなろくでもない国など捨てて、私の元へ来ないか?
お前には助けられた恩もある。
私の末の娘は、まだ未婚なのだが、お前になら嫁にくれてやってもいいぞ」
ディレックスの提案に対し、僕は槍を突き出して応えた。
「お断りします。
僕は国ではなく、ある個人に忠誠を誓っているのですよ。
国はともかく、我が主は、多分それほど腐っていないと思いますので」
「ほう。
それは、喜ばしいことだ。
実感のない国や、会ったこともない神様に忠誠を誓うよりは、よほど人間らしい」
そのとき、ディレックスの後方から、我が軍の騎兵の一人が突進してきた。
それに気づき、ディレックスは振り返ると、奇襲をかけてきた騎兵に槍を向ける。
騎兵はディレックスの槍を素手で受け止めた。ディレックスは振り払おうとするが、槍を掴む騎兵の手はびくともしない。
チャンスだ。
僕は身動きの取れないディレックスに槍を突き刺した。
「やったか!?」
しかし、やってなかった。
ディレックスは再び僕に向き直る。彼の顔は、苦痛にゆがんでいた。口元からは血が流れている。
「ここは、戦場、だ。
恨みは、ない。
だが、せめて……道連れに、してやる」
ディレックスは騎兵に掴まれてしまった槍から手を離し、腰にぶら下げる剣を抜いた。
僕も慌ててディレックスに突き刺さったままの槍を捨てて、剣に手をかけた。だが、やはりディレックスは速い。間に合わないかもしれない。
まずい、と覚悟したとき、ディレックスの首が落ちた。
「『やったか!?』なんて言ってる暇があったら、さっさと止めを刺せよ、隊長殿」
首級を挙げたのは、ディレックスの後ろで槍を受け止めていた騎兵だった。彼は剣についた血を払うと、下馬し、今しがた討ち取った敵将の首を拾い上げる。
「君に武勲を譲ったんだよ、マルコ」
「よく言うぜ、隊長殿」
配属されて間もないマルコは、誰もが認める僕の隊のエースだ。
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「敵将は僕……私、とラングフォード十人隊長によって討ち取った。
第二十一軍団の連中も形勢を立て直したようだ。
これより、我が隊は敵残存戦力の掃討に移る」
隊形と進軍ルートを定めると、僕の隊は敵の追撃に移った。
「ああ、そこの君。
君は砦まで行って、援軍到着を第二十一軍団の司令部に具申してきてくれ」
「はっ」
「それと、砦の中にハイラール伯爵とフォキア・フィッツブニトという学生がいるはずだ。
安否を確かめてきてほしい」
「わかりました」
砦は無事なようだが、正直言えば、砦自体はどうでもいい。
問題はシトレイ様とフォキアの安否だ。そもそも、援軍部隊に志願したのは、彼らが危ないと知ったためである。
急いで砦の方角へ馬を走らせていった部下を見送ると、僕とマルコは馬上で話を始めた。おそらくシトレイ様とフォキアは無事だと思う。だが、誰かと話をしていないと、不安な気持ちが大きくなってくるのだ。それは、マルコも同様なのだろう。
「まぁ、無事だろうさ。
シトレイもフォキアも、研修中の学生だ。
いくら戦いが起こったからといって、実際に蛮族と殺し合いをするはずがない。
おそらく、安全なところにいるはずだ」
「そうだね。
じゃないと困る」
シトレイ様に万が一のことがあったら、僕は人生を見失うだろう。
気を紛らわすために話をしているのに、悪い想像をしてしまいそうだ。これではだめだ。話題を変えよう。
「ところで、マルコ。
大丈夫だった?」
「ん、何がだ?
見ての通り、俺は無事だぞ」
「ああ、確かに見ての通り怪我一つしてないね。
そうじゃなくて、僕が聞きたいのは、蛮族に間違えられなかったかってことさ」
「余計なお世話だ、チビスケ」
マルコは笑った。
話題を変えたいという僕の意図を察してか、彼も軽口を叩いてくる。
「それよりもよ、ロノウェ。
さっきの蛮族の話、もったいなくないか?
族長の娘、きっと美人だぜ」
「どうしてそう言えるんだ?」
「そりゃあ、蛮族とはいえお姫様だ。
美人に決まってる」
マルコは口を開くと女の話しかしない。
こんな戦場の真っ只中であっても、それは変わらないらしい。
「僕にはヴィーネがいるよ」
「ああ、ヴィーネか。
随分と会っていないが、あいつ、綺麗になったか?」
「僕も二年以上会っていないけど……でも、ヴィーネは昔から綺麗だったじゃないか」
「んー、まぁ、な。
ああ、俺も恋がしたい」
この後の追撃戦で、僕たちは数人の蛮族を討ち取り、第二十一・異教徒への鉄槌軍団が駐屯する砦へと足を運んだ。
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第二十一軍団の司令部で、シトレイ様と再会した。
部下から士官学校の生徒は全員無事だと報告を受けていたが、やはり自分の目でシトレイ様の無事を確認すると、自然と顔が綻んでしまう。
「見違えたよ、ロノウェ」
「シトレイ様こそ、随分とたくましくなられました。
気高い戦士としてのオーラがにじみ出ています。
幼少の頃より、貴方はタダモノではないと感じていましたが、僕の目に狂いはなかった。
第一の側近としては、鼻が高いですよ」
「外面は変わったが、中身は相変わらずだな。
安心したよ」
五年ぶりにあったシトレイ様は、本当に成長していた。
以前にもまして鋭さに磨きがかかった目つき。顔は笑っているのだが、目つきのおかげで何か企んでいるようにしか見えない。
目の下のクマは、子供の頃よりも濃さを増している。墨でも塗っているかと思うくらいだ。
身長は伸びた。僕は昔から小柄な方だったが、シトレイ様とは二歳の年齢差があったから、身長は並ぶくらいだった。それが、今では十センチ以上、彼の方が高い。身長差と顔つきのおかげで、何やら威圧されているようにすら感じる。
シトレイ様は成長した。全体的に悪化していた。
嬉しい限りだ。
「とにかく、無事で何よりです、シトレイ様」
「うん、ありがとう」
また、彼が笑った。
怖い。
「ところで、お前、百人隊長になったのか?
すごいじゃないか。
まだ入隊して二年だろう」
「え……ええ」
痛いところを突かれた。
蛮族の大攻勢を生き残れば十人隊長になれる。
そう言われて、僕は頑張った。
十人隊長になり、さらに新しく赴任してきた方面軍司令官に目をかけられ、一気に百人隊長まで昇進した。
だけど、待っていたのは周りの嫉妬だ。
嫉妬から身を守るため、同僚だけではなく、時には部下にまで媚を売ったのだが、それでも嫉妬を消すことはできなかった。
主であるシトレイ様が、僕の出世を知ったらどう思うか。
周りと同じ反応を示すのではないか。怖かった。
ヴィーネへの手紙に軍務について詳しく書かなかったのも、シトレイ様に出そうと思えば出せた手紙を書かなかったのも、それが原因だ。
「……本気で言っているのか、ロノウェ。
私がお前の出世を喜ばないと、本気で思っていたのか。
お前とは何年の付き合いだ」
「すいません……」
「わかったら、すぐヴィーネに手紙を書くんだ。
未来の旦那様が、栄えある帝国軍の百人隊長殿と知ったら、ヴィーネは絶対に喜ぶぞ」
シトレイ様は笑った。怖い。
ああ、よかった。
彼は、成長はしていたが、変わっていなかった。
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「次は筆頭百人隊長か」
シトレイ様と別れ、我が軍団の駐屯地へ帰等する際、大隊長に声をかけられた。
「わかりません。
司令部が判断されることですので……」
「お前は敵将を討ち取ったのだ。
大した武勲だ。
確かに昇進を判断するのは司令部だが、お前には、司令部は司令部でも、方面軍司令部からお声がかかるだろうさ」
「……」
「お前はロアノン閣下のお気に入りだからな。
それに、閣下が最も気になさっているであろう、お前のご主人様は無事だったのだ。
よかったじゃないか。
ご主人様が死んでいたら、お前の立場も危うかっただろう?」
急速に出世した僕は、周りから嫉妬を買っている。
慣れたとはいえ、やはり気分は良くない。
「ハイラール伯爵がご無事だったのは、大隊長殿が、騎兵大隊の先行を司令部に具申して下さったおかげです。
ありがとうございます」
「友軍を危機から救うには、騎兵の先行こそ上策だと思っただけだ。
別に、お前のご主人様を助けるためではない。
お前に感謝される筋合いもない」
「だとしても、我が主が無事だったことは事実です。
ありがとうございます」
気分が悪い。
だが、このぐらいでは、まったく頭に来ないぞ。
僕はもう慣れている。
「……今回の戦いでは、お前は随分と調子が良かったな。
お前の仲介した同盟相手が反乱を起こし、お前が敵将を討ち取って後始末をした。
ご主人様を危機から救う、という演出つきでな。
随分と調子の良い……都合の良い話だ」
額の血管が脈打つのを感じる。
同盟部族の反乱の知らせを受けてから、僕は一部の兵士たちから「蛮族の一味」と中傷されていた。だけど、それだって嫉妬からくる悪感情の発露だ。別に気にしていない。
しかし、ここまで面と向かって言われたのは初めてだ。
しかも、大隊長の言は、僕が自分の出世のために主を危険に晒したとでも言いたげな内容である。
我慢の限度を越してしまいそうだ。
「……ご冗談を、大隊長殿」
それでも僕は、貼り付けたような笑顔で大隊長に答えた。
「ふん。
冗談だといいけどな」
大隊長は捨て台詞を吐くと、馬に鞭を入れ、僕から離れていった。
「何だアレ。
ロノウェ、お前、よく我慢してられるな」
入れ替わりに馬を並べてやってきたマルコが、僕の感情を代弁する。だけど、感情だけではやっていけないのだ。
「頭に来ることもあるけど、仕事だからね。
彼は上司だし、戦友でもある。
戦場に出たら、普段の些細な諍いが、友軍との連携に悪い影響を及ぼすこともある」
「お前、変わったな。
そんなに世渡りうまかったっけ」
「おかげで、今まで生き残れることができたよ」
戦場でも、人間関係でも、どうも周りが殺伐としていると、マルコのような人間が癒しに思えてくる。
マルコがいれば、まだまだ東部方面軍でもやっていけそうな気がした。
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「次は大隊長だな」
七月。
我が軍はカラボネソス族に対し攻勢をかけた。
カラボネソス族の集落へ遠征した我が軍は、かつての同盟相手を、女子供構わず殺しまくった。
「大隊長、ですか」
駐屯地に戻ると、僕は方面軍司令部の所在地であるシント城塞への出頭を命じられた。
面談の相手は方面軍司令官のロアノンだ。
彼とは何度か、こうして直接話をしている。
「一つ、階級を越していますが」
「遠征準備で忙しかったからな。
第二十一軍団へ援軍に向かってもらった際、君は敵将を討ち取った。
それが、筆頭百人隊長への昇進分。
そして今回の遠征が、大隊長への昇進分だ」
軍に入隊して二年半。
爵位も持たぬ平民にしては異例の出世だ。
「今現在も、過分の地位を頂いております。
大隊長は、また別の機会に頂ければ、と思います」
「そう言わず、素直に昇進を受け入れてくれ。
君は今度から大隊長だ。
上級将校に昇進するからには、爵位持ちになる。
異動にもなるがな」
何でも、平民出の将校が大隊長に昇進する際、騎士に叙されるため、慣例的に異動させられるらしい。
つい三ヶ月ほど前に、数年ぶりにマルコと再会したばかりだった。それなのに、異動する羽目になりそうだ。しかも、彼がいるから、この職場でもやっていけると気を持ち直した矢先のことである。
「どうして、そこまで目をかけてくださるのですか」
「それはもちろん、君がハイラール伯爵の重臣だからだ。
だが、それと同時に、私は君の能力を買っている。
君は将来、もっと高い地位に就くことになるだろう」
正直、異動することは気が引ける。
しかし、僕にも、それなりの野心があった。
「君には才能がある。
軍務のことだけではない。
君には、年齢や経験に比べて高い地位を与えたが、それでも、君は結果を出した。
周りの嫉妬に足を引っ張られることも多かろう」
「そのようなことは……」
「否定しなくていい。
『蛮族の一味』などと、馬鹿げた話だ。
あの不届きな蛮族と同盟を結んだのは、君の判断ではなく、前司令官の判断だというのに。
それでも、君はよくやっている。
君には才能がある。
戦場、あるいは軍隊内において生き残る才能がな」
「……ありがとうございます」
しっかりと考えよう。
僕は軍人だ。戦場へ、友だちごっこをしにきたわけではない。
僕は、将来シトレイ様の副将として、彼に付き従うのだ。シトレイ様は、僕の出世を喜んでくれた。
「君なら、ゆくゆくは軍務府の幹部とて夢ではないだろう。
同じ、コルベルン王家の与党として頑張っていこうではないか」
「はい」
ロアノンは、コルベルン王家の支持者だと自ら言う。
だとすれば、彼は味方だ。
もちろん、それが本心かどうかはわからない。
仮に本心だったとしても、コルベルン王家が彼をどう扱うのか、それもわからない。
僕には判断が余る。本当なら、シトレイ様にご判断を仰ぐべきだろう。
だけど、シトレイ様はここにはいない。彼は、既に船に乗って都へ帰ってしまった。
であれば、ここは僕が判断しなくてはならない。
そして、僕の判断は決まっている。敵を作るな、だ。
「どうだね。
私にも娘が何人かいてね。
一番上の娘が今年成人したばかりなのだが、年齢的に君とぴったりだ」
ロアノンも、僕と同じ平民出の軍人だ。
男爵に叙されたのも、彼が上級将軍まで出世したためである。
新興貴族にとって、僕は一番結びやすい相手だろう。
歓心を買いたいコルベルン一門の、ハイラール伯爵の重臣。しかも、平民で、自分の部下でもある若者。
「は、い。
いずれ、娘さんとお会いしたいですね」
僕も、本心を偽ることに抵抗がなくなったものだ。




