#034「ガラの悪い男に絡まれている女の子を助けるガラの悪い男」
マルコに体力をつけたほうがいいと忠告されて半年。
俺は二年に進級していた。
剣の稽古を再開した当初、俺は自分の体力の衰えを感じていた。ハイラールにいた頃は、三十回は素振りしても大丈夫だったのに、いざ再び木刀を振ると、二十回もしないうちに息が切れた。
成長期でも、体力というものは使っていないと落ちるらしい。
そんな俺も、半年間稽古を続けた。
相変わらず剣の腕自体は下の下といったところだったが、体力は中の下ぐらいまでに向上したと思う。
軍事教練(体育)で長距離を走る際は、二周遅れもザラにあった。しかし、一ヶ月も稽古を続けた頃には一周遅れで済むようになり、三ヶ月もした頃にはクラスで最下位ではあっても、周回遅れになることがなくなっていた。半年たった現在では、クラスの中でも比較的足の遅い生徒たちと、最下位争いを繰り広げられるまでに成長した。
「お、やってるな」
放課後、寮の前で素振りをしていた俺に、マルコが声をかけてきた。フリックも一緒だ。
「半年かけて怠けてた分を取り戻したよ。
もう半年かけて、さらに向上させたいと思っている」
半年後の十月、野外演習が行われる。
去年の野外演習でのフリックの醜態は、本人やマルコから聞き及んでいる。クラスの連中と良い関係を築けているフリックは許されたが、フリックとは違い、俺はクラスの中で孤立している。
失敗すれば、またヴェスリーたちに攻撃される材料となるであろう。それは避けなければならない。
「あんまり、根つめるなよ。
体力つけといた方がいいって言ったのは俺だけど、
続けることが大切であって、体をいじめることが目的じゃないんだからな」
「そうでゲス。
たまには息抜きも必要でゲス。
というわけで、明日街へ遊びに行くでゲス」
明日は休日。
マルコとフリックは街へ繰り出すらしい。
幼年学校に入学してから、街へは何度も出ている。といっても、俺が街へ出るときはほとんど公用のためだった。
一番多い行き先は、ハイラール伯爵家の都の屋敷だ。都の屋敷まで行けば、家臣と話をすることができる。俺が幼年学校にいる間もハイラールの様子を知ることができたのは、家臣たちから報告を聞いているためだ。また、祖父アーモンとサイファ公爵の確執の話も、家臣たちから聞いて知ったことである。マルコやフリックと出会った今も、都の屋敷は、一番の情報収集源であった。
一方、私用で街に出ることは少なかった。
一度、目的もなしに歩いてみようと街に出たことがある。その時は、見物も兼ねて適当にブラつき、小腹が空いたので商店で買い食いをしてみた。
出てきたのはレモンの果実水と鶏肉の油揚げだった。とてもおしかったのだが、その懐かしさを感じる味から、ハイラールの友人たちのことを思い出してしまったのだ。
あの頃は、ずっと友人たちと一緒にいられるだろうと、根拠もないのに信じていたっけ。
俺はすっかり意気消沈し、公用を除き、あまり街へ出なくなった。
「シトレイくん。
女の子は好きでゲスか?」
「えっ、いきなり何ですか?」
「明日は他校の女の子と遊ぶんでゲス。
向こうは三人、こっちも、シトレイくんを入れれば三人。
来るでゲスよね~?」
なるほど、これは合コンというものだ。
前世の世界ではそんな儀式が存在していると、まことしやかな噂を聞いたことがあった。前世ではユニコーンは空想上の生き物だったが、こちらの世界では実在していた。合コンという都市伝説も、こちらの世界では実際に行われる儀式として存在しているのだろう。
「女の子は大好物です!
是非、お供します!」
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「…………」
休日の昼下がり。
俺とマルコ、フリックの三人は都の大路で立ち尽くしていた。
話は一時間前にさかのぼる。
今回の合コンは、フリックの知り合いである他校の女子が企画したものだった。その女子もフリックと同じ帝都出身で、フリックとは家が近く、幼馴染の関係にあるらしい。
フリックの幼馴染の女子は普通の子だった。容姿も性格も普通だった。普通に気配りのできる子だったのだが、問題は、そのフリックの幼馴染が連れてきた二人であった。
「ヤッベェ、こいつ、目つきヤバすぎっしょ(笑)」
「えー、その人より、こっちの大きい人の方が笑えるよ。
お兄さん、名前は……マルコシアスさん?
どうしてそんなに整髪料塗りたくってきたんですか?
ベッタベタのテッカテカで、すごい臭いですよ」
「ホントだ、クッセ(笑)
ポマードポマード(笑)」
ショックなのは二人の態度だけではなかった。やたら(笑)をつけて話す女子はストレートの長い黒髪を持った清楚な感じの外見をしており、おっとりした物言いでマルコを罵った女子は金髪碧眼の、上品な服を着た子だったのだ。
「ちょっと、二人とも……」
フリックの幼馴染が嗜めたのだが、二人の言動が改まることはなかった。
「てか、アミアの幼馴染、何この小汚いコロボックルは(笑)」
この世界には、小人族など存在していない。だが、前世と同様、この世界の人間は想像力が豊かだった。ゆえに、物語の中に、小人族は存在しているのだ。やたら語尾に(笑)をつけて話す少女は、フリックのことを小人族と馬鹿にしていた。マルコの整髪料のこともそうだが、俺は少しイラついた。
「えー、そんなことないですよね。
ちょっと歯が出てて、チビでそばかすが汚いだけですよね?」
「汚い汚い(笑)
……おい、目つき、何睨んでんだよ、こえぇよ(笑)」
ああ、もういいです。帰ります。
俺はマルコとフリックに声をかけようと思った。
「アー、てか、帰るわ。
ノリもわりーし、きめーし、クセー(笑)」
「ねー。
帰ろっか」
何か捨て台詞を吐いて出て行こうと思っていた矢先、向こうに先手を取られてしまった。
フリックの幼馴染は謝っていたが、怒りが収まらない。
俺とマルコとフリックの三人は、都の大路でやり場のない怒りを持て余していた。
……と思っていたのは俺だけらしい。
フリックは怒りよりも申し訳なさを感じているようだ。
「すいません、マルコシアスくん、シトレイくん。
バッチリ可愛い子を頼んだつもりだったんだけど、外見だけだったでゲス」
確かに可愛かった。外見は。
「いや、大丈夫です」
気にしていません、とは言えなかった。俺は怒っている。フリックはどうして怒らないのだ。俺たちへの気遣いは無用だ。目つきのことは言われ慣れていたが、君は小人族と馬鹿にされたのだぞ。マルコだって怒り心頭のはずだ。
だが、フリックと同じく、マルコも怒っていなかった。マルコは怒りとは別の感情を持ったようだ。
「……最高だった」
「は?」
「あんなに可愛い子が、あんなに罵ってくれたんだぜ。
最高に良かった……。特にあのおっとりした金髪の子」
マルコは恍惚とした表情を浮かべている。
マルコは、学校ではいつもボサボサ頭だったが、今日は整髪料を使っている。量が多すぎたせいか、女子に指摘されたとおりベッタベタだったのだが、もしかしたら罵られるためにわざとやってきたのではないかと思うぐらいだ。マルコの横に立っていると、整髪料特有の匂いが漂ってきた。
「真性マゾヒストはおいといて……。
これからどうするでゲス?
まだお昼過ぎたばかりでゲスよ」
「そうですね。何か食べていきましょうか」
三人とも寮住まいである。
俺たちは学校の方角へ向かいながら、飲食店を探し歩いた。
マルコの発言で、俺の怒気は鳴りを潜めてしまった。
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目的の店を決めず、飲食店を探すことは大変リスクが大きい。
良さそうな店を見つけても、もうちょっと探せばもっと良い店が見つかるのではないか、という根拠のない期待、というか欲が湧いてくるのだ。
歩いていくうちに選択肢は狭くなり、最後にはなくなった。
「もう、いいや。寮で食おうぜ」
マルコの提案に、俺もフリックも賛成した。
ここまで来ると、初見の店に入る冒険心も消え失せていた。寮で出される食事は美味くもないが、まずくもない。大きなハズレを引くことがないなら、もうそれでいい。
目的地が決まると、行動は早かった。
地元民であるフリックの案内で、近道である裏路地を進んでいく。
ふと、大声が聞こえた。
「無礼者!」
聞き覚えのある、嫌な声だった。
見ると、女子が二人、ガラの悪い男に絡まれている。
「私は、公爵家の娘ですのよ!
下賎な者が、気安く触れないでほしいわ!」
「なんで貴族様の娘が、こんなところにいるんだよ」
ガラの悪い男はヴェスリーの腕を引っ張っていた。もう一人の女子は横で怯えている。名前はアティスとか言ったっけ。取り巻きの男二人の名前は忘れたが、女子の方は覚えていた。
「私は幼年学校の生徒ですわ。
この道は学校へ行く近道ですの。学校に用事があるのです。
ですから、貴方に構っている暇はないのです。さぁ、手を離しなさい!」
「貴族様の娘とは思えねぇ格好してるじゃないか。
軍人とも思えねぇ格好だ」
護衛もつけずに何をやっているのだ、と思ったが、マルコやフリックは俺の護衛ではなく友人だ。俺も人のことが言えなかった。帝都の、特に城壁の中は治安が良い。……治安が良いはずだと今の今まで思っていた。しかし、考えを改めなくてはならないだろう。
ガラの悪い男が言うとおり、ヴェスリーはなかなか露出の高い格好をしていた。特に胸元が凄い。スカートも凄い。あの女、足も結構いいな。
「どうする?シトレイ」
「どうするって?」
「助けるか?」
俺は一瞬、お見合いで目撃したヴェスリーの泣き顔を思い出した。
……。
いいや!まさか。
俺があのヴェスリー・サイファを助けるだと?ありえない。
「絶対に嫌だね」
「う~ん、俺のフェミニストとしての心が、あの女を助けろと命じている……」
「おいおい、マルコ。
相手はあの女だぞ。ヴェスリー・サイファだぞ。
……ん、そうだ」
ただ無視するだけじゃ、もったいない。
「マルコ、あの女の胸をガン見しながら通り過ぎよう」
「何のために?」
「復讐と好奇心」
「悪趣味だな、お前」
仮に、絡まれているのが親しい女性だったらどうか。
フォキアやヴィーネや、そしてアギレットだったら、俺は躊躇せずに助けるだろう。
だが、相手はヴェスリー・サイファだ。ガラの悪い男に絡まれそうな場所で、ガラの悪い男に絡まれそうな格好をしているのが悪いのだ。助けてやるつもりなどないし、むしろささやかな復讐をしてやろう。
どうせ、あの女の俺に対する好感度は最低だ。これ以上悪くなることがないのだから、やりたい放題やってやる。
……ここで、俺は再びヴェスリーの泣き顔を思い出した。
……。
……まぁ、決定的に危なくなりそうになったら、間に入ってもいいか。相手は大人といえど一人、こちらは子供だが三人いる。それにマルコは大人顔負けの体格を誇っている。あの女に恩を売るのは、悪いことではない。
「どうしても危なくなったら、助けよう。
でも、復讐はともかく、私の旺盛な好奇心は何者であろうと抑えることはできない。
胸のガン見は強行する。
フリックさんもどうですか?」
「聞くまでもないでゲス」
俺たちはゆっくりと歩を進めた。
最初、俺たちに気づいたのはアティスだった。何やら、助けを求めるような目で見てくる。
おいおいおい、君は俺のことを散々無視してたじゃないか。俺に助けを求めるのは虫が良すぎだろう。
そんな目で見なくとも、危なくなったら間に入るつもりだ。だが、今はそのまま怯えていたまえ。
さらに歩を進める。
十メートルぐらいまで近づくと、ヴェスリーもこちらに気づいたようだ。彼女の表情は、俺の姿を認めても特に変わらなかった。ガラの悪い男に向けていた敵意の目を、そのままこちらに向けてくる。
さらに進む。ヴェスリーたちのいる場所まで三メートルを切った。
俺はわざと、歩く速度を落とした。そして、ヴェスリーの胸をガン見した。大きく覗いた胸元は白く、くっきりと谷間ができていた。それを俺はガン見する。
お見合いの時も思ったが、なるほど、一年の頃より成長してるじゃないか。
気づくと、フリックはもちろんのこと、マルコもヴェスリーの胸を凝視していた。どうみても性欲の対象にしか見ていない目だった。おい、フェミニストじゃなかったのか。
俺たちが牛歩で横を通り過ぎようとしていると、さすがにガラの悪い男もこちらに気づいたようだ。
「なんだ、テメェら。
……」
フリックはともかく、俺は目つきが悪い。そして強面のマルコは、既に身長が185センチを超えていた。特に、整髪料で髪を固めたマルコは、到底カタギには見えなかった。
ガラの悪い男は、凶悪な面構えの男と、これまた血走った目で睨んでくる大男に恐れをなし、「覚えてやがれ」というお決まりの文句と共に逃げていった。
「……」
「……」
睨みあう俺とヴェスリー。
いや、ヴェスリーは俺を睨んでいただろうが、俺はヴェスリーの胸を睨んでいたのだ。教室ではこんなことできないが、今はマルコとフリックがいる。横で青くなっているアティスを勘定に入れなければ、三対一だ。好き放題やれるのはこちら側である。
「何見てるんですの?」
「別に、何も。婚約者殿」
俺は彼女の胸から視線を離さない。
「……チッ」
彼女は舌打ちをした。機嫌が悪そうな表情でもしているのだろう。俺は胸を見ていたからわからなかった。
「婚約者と呼ばないで下さい、と申し上げたはずですけど」
「学校ではな。ここは学外だ」
俺は胸を凝視しながら答えた。
「……助かりましたわ」
「はい?」
俺はそこで初めて、しっかりとヴェスリーの顔を見た。彼女はとても不機嫌そうな顔をしている。
「お礼は言いました。
ですから、この件はこれで終わりですわ。
今後も貴方のことは無視しますので。
それと、教室の中では絶対に婚約者と呼ばないで下さい」
そう言って、彼女はアティスを伴い足早に学校の方へと向かっていった。
「アティス。
婚約者というのは、あの男の妄想ですわ。
忘れて下さい」
「え?
はい、ヴェスリー様」
再び、俺とマルコとフリックの三人は、今度は裏路地で立ち尽くした。
「なぁ、マルコ、どう思う?」
「でかかった」
「うん。フリックさんは?」
「でかかったでゲス」
「うん、そうだね。
でかかった」
男三人の間に、妙な連帯感が生まれた。なぜか、ヴェスリーと話し合いで決着をつけたあのときよりも強い連帯感を感じた。
「ところで、シトレイ。
あの女と婚約してるのか?」
「祖父の政治活動の一環さ。
おそらく、結婚することはないと思う」
サイファ公爵家との縁組は、祖父の政治工作の一環だ。祖父の考えは、あまりおおっぴらに教えることはできない。しかし、俺とヴェスリーが将来結婚することだけは否定した。ヴェスリーと夫婦になるなど、そんな事態になってたまるか。
「そうか。
まぁ、相手があの女だから、結婚なんてしたらお前が早死にしそうだ。
だけど、なんかもったいない気もするな」
俺たち三人は、ゆっくりと学校へ向かって歩き出した。
別の欲が湧いたためか、空腹にも関わらず、食欲はあまり感じていなかった。




