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異世界でも現実は厳しい  作者: 懐中電灯
幼年学校編
32/79

#031「マルコの気持ち/スティラードの気持ち」

 まったくひどい話だ。噂の内容を聞いた俺は、そう思った。


 シトレイが人を殺した?あのシトレイにそんなことできるはずがないだろう。ましてや、自分の父親を殺し、その地位を奪ったというのだ。

 シトレイの顔だけ見れば、首肯できる。だが、一度あいつと話せばそんな考えは抱かないはずだ。そう思うのは、俺がシトレイと友だちだからだろか。


 だったらシトレイに話かけ、シトレイを知る努力をすればいいのだ。あいつのことを知る努力もせずに好き勝手噂しやがって。


 その噂も、一ヶ月を過ぎ、二ヶ月を過ぎ、三ヶ月を過ぎる頃にはすっかりと聞かなくなった。


 最初、シトレイから相談を持ちかけられたときは、噂を口にする生徒を片っ端から捕まえていけばいいと思った。だが、フリックの「放っておけ」という提案を聞き、すぐに考えを改めた。


 結果はフリックの言うとおりになった。あそこでフリックに賛同しておいてよかった。


 フリックは結構頭が回る。勉強はあまり得意ではなかったが、何と言うか、悪知恵が働くタイプの人間だ。


 そういえば、ハイラールにもいたな、そんなやつ。

 黒髪で背は同年代に比べれば低い方だった。勉強ができないくせに、やたら難しい言葉を知っているやつだった。

 人を挑発することに長けていた。だが、絶対に喧嘩をしない男だった。あいつは喧嘩が弱かったからな。腕力もなかったし。

 リュメールさんの孫で、アギレットの兄だ。

 ムカツクやつだったけど、悪いやつではなかった。名前は忘れた。


 あいつと同じで、フリックも腕力がなかった。体力もなかった。


 この前、俺たち二年は野外演習に出かけた。

 スタート地点は都の郊外だ。そこから、重い荷物を背負い、十五キロの道を踏破する。野外演習はクラスごとに到着の速さを競わせるものだった。一番のクラスには学食の食事券三ヶ月分が支給される。

 俺たちは張り切ったものだが、食事券三ヶ月分への望みはすぐに絶たれた。

 野外演習が始まって三十分もしないうちに、フリックが根を上げたのだ。


「ダメでゲス。

 もう無理でゲス」


 一クラスの生徒は九人。軍の十人隊を模している。十人隊は軍の最小構成単位だ。十人隊は戦うのも、食事をするのも、夜営するのも一緒に行う。十人隊は一心同体なのだ。

 フリックを見捨てることは、心情以上にできない相談だった。


 結局、俺たちは最下位だった。一位を取ったのは一組、貴族様の特別クラスだ。食事券を獲得し、皇子様(セエレ)が満面の笑みを浮かべている。

 お前ら、どうせ腐るほど金持ってるんだから、食事券なんていらないだろ。


 残念な結果になったが、フリックを責めることはできない。フリックにはフリックの得意なことがある。それに助けられたことも、何度もあった。だから責めない。俺たちは同じクラス、一心同体なのだ。


 しかし、シトレイのクラスの中での立ち位置はあまりよくない。

 来年はシトレイも野外演習に参加するはずだ。フリックのような醜態を晒せば、シトレイへの風当たりがさらに強まるのではないか。


 シトレイには体力トレーニングをするよう忠告してある。

 どうか、俺の忠告を素直に聞き、トレーニングを続けてくれるよう願うばかりだ。




============




 シトレイ様、じゃない、シトレイの噂は、クラスの友だちから聞いて知った。

 シトレイは伯爵家の当主様だったが、なんでも、その地位は父親を殺して奪ったというのだ。

 確かに彼の顔を見れば信憑性は高い。


「なんだ、何か用か」

「いえ、なんでもありません」


 ベッドからシトレイの顔を覗いてたら、彼に感づかれてしまった。


 そう、顔だけ見れば何人も殺してそうな感じがする。だけど、彼は目つきほど悪い性格の持ち主ではなかった。


 最初は、貴族様と寮の部屋が一緒と聞いて絶望したものだ。


 自分の父は地方の貴族の従士をしていた。父親が従士で、軍人だったから、自分も幼年学校に入ったのだけど、その父親の主君はひどい領主だった。

 重税を強いて領民を苦しめる領主。金に汚く、領地に出入りする商人たちから賄賂を取る領主。初夜権などという、本当に存在するのかわからない権利を振りかざし、若い花嫁をさらっていく領主。

 領主は、貴族は汚い連中だ。


 そんな貴族と三年間一緒の部屋に住むのだ。

 なんで自分がこんな目に……。だいたい、なんで貴族が寮に入るのだ。貴族なら都にも立派な屋敷(タウンハウス)を持っていると聞く。おかしいじゃないか。


 だけど、シトレイ様、じゃなくてシトレイは、自分が思う貴族とはだいぶ違った。


 自分が気を使うと、彼は露骨に嫌そうな顔をする。

 普段、自分はシトレイの邪魔にならないよう、ベッドの中で息を殺していたのだが、彼も彼で自分に気を使っているようだった。自分はイビキがうるさいとよく家族から言われていたのだが、シトレイから注意を受けることはなかった。それに、クローゼットも全て明け渡したのに、彼は律儀の半分しか使っていなかった。


 入学してから一ヶ月ぐらい経ったある日、自分が帰ってくると、シトレイがベッドの中で布団を被っていることに気づいた。

 帰って来てすぐにベッドに潜り込んだのだろうか。それとも、早退でもしたのだろうか。自分はシトレイを起こさないよう、慎重にベッドの上の段へと上った。


 それから数日して、シトレイの態度が変わった。


 それまで何度か、彼が話しかけてくることがあったのだが、彼は一言二言話すとすぐにそっぽを向いていた。

 そんな彼が執拗に話しかけてくる。しかも、命令してくる。


「では、私は今日からお前をブルックスではなくスティラードと呼ぶ。

 お前も私のことは伯爵と呼ばず、シトレイと呼んでくれ」


 彼の命令は、呼び捨てにしろとか、机やクローゼットを使え、とか心地よいものばかりだった。


 いや、ダメだ。ここで調子に乗ってはいけない。シトレイは貴族なのだ。しかも、皇族なのだ。平民の自分が調子に乗っていい相手ではない。自分の分を(わきま)えなければいけない。


 そんなシトレイの噂を聞いて、自分は怒った。どうして怒りが湧いてくるのかわからないが、とにかく怒った。


 無責任な噂だ。

 呼び捨てにしろと命令してくる姿や、自分の就寝時間に合わせて灯りを落としてくれる姿を見れば、その噂がまったくのデタラメだとすぐにわかる。

 少しは彼の性格を知ってから、噂して欲しいものだ。


「シトレイ様、じゃなかった、シトレイ」

「なんだよ」

「噂、聞きました」

「……。

 そうか……」

「自分は、まったく信じません。

 噂なんて気にしないで下さい」


 シトレイは、驚いた様子でこちらを見て、その後笑った。目を瞑って笑っていたが、力が入りすぎているのか、眉間や目尻に(しわ)が寄っていた。顔の中心を覆うクマと相まって、怖気が走る笑顔だ。


 その後、シトレイは普段以上に、親しげに話しかけてくる。

 今度は敬語をやめろと命令されてしまった。彼と親しくなるのはいいが、その度に命令が増えていく。もう少しペースを落としてくれないだろうか。

 敬語をやめるのは、少し時間が必要だ。今度お願いしてみよう。

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