#031「マルコの気持ち/スティラードの気持ち」
まったくひどい話だ。噂の内容を聞いた俺は、そう思った。
シトレイが人を殺した?あのシトレイにそんなことできるはずがないだろう。ましてや、自分の父親を殺し、その地位を奪ったというのだ。
シトレイの顔だけ見れば、首肯できる。だが、一度あいつと話せばそんな考えは抱かないはずだ。そう思うのは、俺がシトレイと友だちだからだろか。
だったらシトレイに話かけ、シトレイを知る努力をすればいいのだ。あいつのことを知る努力もせずに好き勝手噂しやがって。
その噂も、一ヶ月を過ぎ、二ヶ月を過ぎ、三ヶ月を過ぎる頃にはすっかりと聞かなくなった。
最初、シトレイから相談を持ちかけられたときは、噂を口にする生徒を片っ端から捕まえていけばいいと思った。だが、フリックの「放っておけ」という提案を聞き、すぐに考えを改めた。
結果はフリックの言うとおりになった。あそこでフリックに賛同しておいてよかった。
フリックは結構頭が回る。勉強はあまり得意ではなかったが、何と言うか、悪知恵が働くタイプの人間だ。
そういえば、ハイラールにもいたな、そんなやつ。
黒髪で背は同年代に比べれば低い方だった。勉強ができないくせに、やたら難しい言葉を知っているやつだった。
人を挑発することに長けていた。だが、絶対に喧嘩をしない男だった。あいつは喧嘩が弱かったからな。腕力もなかったし。
リュメールさんの孫で、アギレットの兄だ。
ムカツクやつだったけど、悪いやつではなかった。名前は忘れた。
あいつと同じで、フリックも腕力がなかった。体力もなかった。
この前、俺たち二年は野外演習に出かけた。
スタート地点は都の郊外だ。そこから、重い荷物を背負い、十五キロの道を踏破する。野外演習はクラスごとに到着の速さを競わせるものだった。一番のクラスには学食の食事券三ヶ月分が支給される。
俺たちは張り切ったものだが、食事券三ヶ月分への望みはすぐに絶たれた。
野外演習が始まって三十分もしないうちに、フリックが根を上げたのだ。
「ダメでゲス。
もう無理でゲス」
一クラスの生徒は九人。軍の十人隊を模している。十人隊は軍の最小構成単位だ。十人隊は戦うのも、食事をするのも、夜営するのも一緒に行う。十人隊は一心同体なのだ。
フリックを見捨てることは、心情以上にできない相談だった。
結局、俺たちは最下位だった。一位を取ったのは一組、貴族様の特別クラスだ。食事券を獲得し、皇子様が満面の笑みを浮かべている。
お前ら、どうせ腐るほど金持ってるんだから、食事券なんていらないだろ。
残念な結果になったが、フリックを責めることはできない。フリックにはフリックの得意なことがある。それに助けられたことも、何度もあった。だから責めない。俺たちは同じクラス、一心同体なのだ。
しかし、シトレイのクラスの中での立ち位置はあまりよくない。
来年はシトレイも野外演習に参加するはずだ。フリックのような醜態を晒せば、シトレイへの風当たりがさらに強まるのではないか。
シトレイには体力トレーニングをするよう忠告してある。
どうか、俺の忠告を素直に聞き、トレーニングを続けてくれるよう願うばかりだ。
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シトレイ様、じゃない、シトレイの噂は、クラスの友だちから聞いて知った。
シトレイは伯爵家の当主様だったが、なんでも、その地位は父親を殺して奪ったというのだ。
確かに彼の顔を見れば信憑性は高い。
「なんだ、何か用か」
「いえ、なんでもありません」
ベッドからシトレイの顔を覗いてたら、彼に感づかれてしまった。
そう、顔だけ見れば何人も殺してそうな感じがする。だけど、彼は目つきほど悪い性格の持ち主ではなかった。
最初は、貴族様と寮の部屋が一緒と聞いて絶望したものだ。
自分の父は地方の貴族の従士をしていた。父親が従士で、軍人だったから、自分も幼年学校に入ったのだけど、その父親の主君はひどい領主だった。
重税を強いて領民を苦しめる領主。金に汚く、領地に出入りする商人たちから賄賂を取る領主。初夜権などという、本当に存在するのかわからない権利を振りかざし、若い花嫁をさらっていく領主。
領主は、貴族は汚い連中だ。
そんな貴族と三年間一緒の部屋に住むのだ。
なんで自分がこんな目に……。だいたい、なんで貴族が寮に入るのだ。貴族なら都にも立派な屋敷を持っていると聞く。おかしいじゃないか。
だけど、シトレイ様、じゃなくてシトレイは、自分が思う貴族とはだいぶ違った。
自分が気を使うと、彼は露骨に嫌そうな顔をする。
普段、自分はシトレイの邪魔にならないよう、ベッドの中で息を殺していたのだが、彼も彼で自分に気を使っているようだった。自分はイビキがうるさいとよく家族から言われていたのだが、シトレイから注意を受けることはなかった。それに、クローゼットも全て明け渡したのに、彼は律儀の半分しか使っていなかった。
入学してから一ヶ月ぐらい経ったある日、自分が帰ってくると、シトレイがベッドの中で布団を被っていることに気づいた。
帰って来てすぐにベッドに潜り込んだのだろうか。それとも、早退でもしたのだろうか。自分はシトレイを起こさないよう、慎重にベッドの上の段へと上った。
それから数日して、シトレイの態度が変わった。
それまで何度か、彼が話しかけてくることがあったのだが、彼は一言二言話すとすぐにそっぽを向いていた。
そんな彼が執拗に話しかけてくる。しかも、命令してくる。
「では、私は今日からお前をブルックスではなくスティラードと呼ぶ。
お前も私のことは伯爵と呼ばず、シトレイと呼んでくれ」
彼の命令は、呼び捨てにしろとか、机やクローゼットを使え、とか心地よいものばかりだった。
いや、ダメだ。ここで調子に乗ってはいけない。シトレイは貴族なのだ。しかも、皇族なのだ。平民の自分が調子に乗っていい相手ではない。自分の分を弁えなければいけない。
そんなシトレイの噂を聞いて、自分は怒った。どうして怒りが湧いてくるのかわからないが、とにかく怒った。
無責任な噂だ。
呼び捨てにしろと命令してくる姿や、自分の就寝時間に合わせて灯りを落としてくれる姿を見れば、その噂がまったくのデタラメだとすぐにわかる。
少しは彼の性格を知ってから、噂して欲しいものだ。
「シトレイ様、じゃなかった、シトレイ」
「なんだよ」
「噂、聞きました」
「……。
そうか……」
「自分は、まったく信じません。
噂なんて気にしないで下さい」
シトレイは、驚いた様子でこちらを見て、その後笑った。目を瞑って笑っていたが、力が入りすぎているのか、眉間や目尻に皺が寄っていた。顔の中心を覆うクマと相まって、怖気が走る笑顔だ。
その後、シトレイは普段以上に、親しげに話しかけてくる。
今度は敬語をやめろと命令されてしまった。彼と親しくなるのはいいが、その度に命令が増えていく。もう少しペースを落としてくれないだろうか。
敬語をやめるのは、少し時間が必要だ。今度お願いしてみよう。




