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ノックしようとしたところで、バサバサという音が扉の向こうで響いた。何となく、その音が何なのか想像がついてしまって、手短にノックを済ませると、返事を待つこともなく、すぐに部屋へと入った。
想像の通り、部屋の中で書類を集めているお姉様とアデラ様の姿が見えた。
「あら」
顔を上げたお姉様は、そう言葉を漏らすと微笑んだ。少し目の下に隈があるように見える。寝不足なのだろう。お姉様の上げた声に反応して、片手に書類を持ちながら顔を上げたアデラ様とも目があう。
「ミルドレッド様!」
アデラ様も少し疲れが見えるものの、表情は生き生きとしていた。私も慌てて二人に駆け寄ると、同様にしゃがみこんで書類を一緒に拾い始めた。
「お姉様、この書類をアデラ様と二人で処理していたのですか」
「えぇ、そうなの。まだ後片付けでバタバタしているでしょう? それに、王家の狂信者たちが粛清されたことで、人手不足なのよ」
「文官を早急に集めなければなりませんね」
エルデ王国は、何とか国としての形を保ったまま、存続することができた。しかし、課題は山積みである。まず、今回の戦争にあたって、その責任者たちを裁いた。
また、それに伴って明るみに出てきた王家の狂信者たちの粛清。彼らは、王国の中央部にかなり入り込んでいたため、騎士や文官たちの数がかなり減ってしまった。
それに加えて、終戦後の処理も上乗せされて、通常業務以上の仕事量になっている。人手不足なうえに今まで以上の仕事量というわけだ。
「そうね。こんなに人手不足になるとは思ってなかったわ。まさか、これほど王家の狂信者たちが多かったなんて」
ため息をついたお姉様に対して、アデラ様はニコニコと笑いかける。
「でも、そのおかげで、私はこうして活躍の場をいただけました。きっと、これを機に働きたいと思ってくれる下級貴族たちもいるはずですよ」
アデラ様が言うことも、一理ある。今までの政治は基本的に世襲制というか、上級貴族たちがほとんどの役職を握ってしまっており、その中で下級貴族が出世するというのは大変に厳しい状況だった。余程の功績を残さなければ、主要な役職にはつくことができなかった。
今回、こうして多くの貴族が粛清されたことで、その役職が空き、本来評価されるべきだった優秀な人物が抜擢されている。どう考えても後処理のせいで仕事が多いはずなのだが、目の下に隈を作りながらも、やけに楽しそうに仕事をしている人物が多いのも、この影響だろう。
そして、粛清は免れたものの、今まで以上の仕事を振られて耐えられなくなってしまった貴族は自ら退職願を出すようなこともあり、全体的に、やる気のある人物だけが残っていく形になっている。しばらくは、忙しいだろうが、案外人が入れ替わったことにより、落ち着いた後は健全な運営がなされていくような気がする。
静電気で床に張り付いてしまっている紙を拾おうと苦戦していると、伸びてきたお姉様の手によってあっさりと回収された。
「ミルドレッドは領地に戻るの?」
「そうですね。お父様があの状態ですから、私が家に戻ってオールディス家を継ごうかと思います」
「そう。それなら安心ね。お父様は?」
「随分と気落ちしていますね。お母様のことを気にしているのでしょうね」
「……領地でゆっくり過ごしてもらいましょう」
「そうですね。領地経営は私の方で引き継いで、お父様には休養を取っていただこうと思います。ちょうど、領地の端には自然が豊かで静かな別荘もありますから」
私たちは、集めた紙をまとめて、机の上で何度か軽くたたいて端を合わせると、既に積み上げられている書類の山の横に置いた。
「……お姉様は大丈夫ですか」
「あら、心配してくれているの? 案外悪くないわよ。みんな私の指示に従って動いてくれるし、是非、この調子で今後も国と私のために動いてほしいわ。主に私のために」
お姉様が言い終わるか終わらないかのうちに、ドアを軽くノックして返事を待たずに二人の人物が入ってきた。
「女王様じゃん……」
「彼女は正真正銘、この国の女王陛下だが?」
ルセック様が呆れたようにつぶやくと、それに対してからかうようにエイブラム様が返答をした。それに対してルセック様が軽く頭を振った。
「……そうだった。大丈夫かな、この国」
「お姉様は優秀なので大丈夫ですよ。それに、大丈夫じゃないときは、私たち全員で助け合って仕事をしていくべきですしね」
「ま、それもそうだね」
あっさりと納得したルセック様は、机の上に積まれていた書類の束を確認して、既に承認済みになっているものを手に取ると、その代わりのように、別の書類を机の上に置いた。
「書類仕事あまり好きじゃないんだよね……」
項垂れるようにしながら部屋から出ていったルセック様を見ていたエイブラム様が小さく笑った。
「ああは言っているが、なかなか細かな仕事をするぞ」
「そうですね、私が目を通したものはすべて記載漏れもなく、素晴らしかったです」
アデラ様が明るくそう言うと、置かれたばかりの書類を手に取った。どうやら、これから処理するらしい。
私も机の上に並んでいる書類を眺める。私にできそうなものはあるだろうか、と考えたが、どれも私の能力では難しそうだ。あくまでオールディス侯爵領の経営を学んでいただけで、国に関する書類は扱ったことがないため、仕方ないのかもしれないが、周りが慌ただしく働いている中、一人だけ暇を持て余しているのも何だか落ち着かなかった。
早めに領地に帰って自分の仕事をこなすべきなのだろう。
「お姉様、エイブラム様、アデラ様。ここに残っても、もう私にできることもほとんどないので、領地に帰りますね」
「あら、もう帰るの? それなら、古代遺物研究室にも寄って行ったらどうかしら。もう古代遺物自体が使えないから、解体されてしまうでしょうし、最後に研究室を見ておくのもいいと思うのよね」
「確かにそうですね。そうします。皆様、私に手伝えることがあれば、領地からすぐに駆け付けますので、ご連絡ください」
軽く会釈をして、そのまま廊下へと出る。廊下を歩き始めると、書類を片手に慌ただしく駆けていく人々や、新たに雇われたであろう新人らしき人々とすれ違う。活気があふれる城の中を一人でゆったりと歩く。まるで、周りの人々と時間感覚がずれているようで、少し面白い。
古代遺物は、あの日、私が石碑を起動してしまったことで、何一つとして使えなくなってしまった。正確に言うのであれば、使えなくなったというよりも、古代遺物そのものが消えてしまった。本も石碑も跡形もなく消えており、古代遺物なんて夢だったのではないかと思ってしまうほどに何も残っていない。
そして、古代遺物が消えてしまった今、私は姫巫女でもなんでもないただの貴族令嬢になってしまった。オールディス家が特別視されていたのは、古代遺物を扱えることと、古代遺物らしきものを作り出すことができるからだった。
古代遺物を扱うという点については、今回の戦争時に古代遺物自体が消えてしまったので、何一つ力を発揮できない。また、古代遺物らしきものを作り出すという点についても、あの日以降、何度試してもそれらしきものは作り出すことができなくなっていた。
「これは、正真正銘のモブではないかしら」
もう特別な力もなく、アデラ様との関係も良好で、今回の戦争時の功労者についても、表向きはお姉様ということにしてあるので、私はただ少しだけ巻き込まれた人くらいの認識になっているはずだ。乙女ゲームのエンディングとは、かなり異なっていそうだが、戦争が無事に終わったということは、ここで終わりだと考えてよいのだろう。
この時点で悪役令嬢として断罪も処刑もされていないため、何とか生き延びたのだろう。
「ただ、回避までの過程が過酷だったかもしれない……」
何度か死にかけていたり、危機的状況を切り抜けてきている。一つでも選択を間違えれば、誰かしら犠牲が出ていたに違いない。周りの人々が命を落とすことなく、戦争を終わらせることができたのは奇跡に近いだろう。
物思いに耽りながら歩いていると、いつの間にか研究室の前に立っていた。そっとノブをまわして部屋に入ってみれば、ゆっくりとこちらを振り向いた赤い瞳と目が合った。
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次回は月曜日に投稿予定です。




