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まだ寒さの厳しい朝、貴族の装いをしているシリル様に連れられて、私は王城の廊下を歩いていた。後ろには二人の騎士たちもついてきている。廊下から中庭をちらりと見てみれば、すっかり葉を落として寂しげな様子の木々が見える。その足元にあったはずの石碑の姿は何一つ残っていない。
「こっち」
あの日、私が殿下に連れられて出てきた場所とは別の壁をシリル様が軽く何度か押すと、壁がずれて地下への階段が現れた。どこかかび臭いような湿っぽい空気が漏れる。あまり良い気はしない。
彼に続いて、その場に足を踏み入れる。コツ、と自分の足音が大きく響く。
階段を降りていくと、地上から差し込む光は消え、炎がゆらゆらと揺れる光だけになっていく。薄暗く、寂しい場所をひたすらに進んでいく。まるで迷路のような狭い廊下を、シリル様は一切の迷いなく進んでいく。彼とはぐれてしまったら、ここから出られるか不安だ。
たまに存在している扉をちらちらと見ながら、彼に問いかける。
「あの、この扉の向こうは……?」
「あぁ、ちょっと閉じ込められていた人たちもいたけれど、今回の騒動後に全員保護したよ」
その言葉にほっと胸をなでおろした。それと同時に、以前想像していた通り、扉の向こうにやはり人が閉じ込められていたのだと知り、何とも言えない気分になった。もやもやとする気持ちを抱えながら、今度は左に曲がる。
私たちの足音や服が衣擦れを起こす音以外に、何も音は聞こえない。その音が嫌に反響する。このような場所に長い間閉じ込められていた小さなランドルフ様を想像して、きゅっと唇を結んだ。
全員が無言のまま歩き続けていると、ある場所でシリル様がぴたりと足を止めた。
「ここだよ。さすがに危ないから騎士に先に入ってもらおう」
「はい」
腰から鍵を取り出した彼は、どれだったかな、などとつぶやきながら、一つの鍵を手にすると、ガチャガチャと音を立てて鍵を開けた。騎士たちが頷いて、扉を開き、中を確認すると、私たちを手招いた。
そっと中に入ってみれば、瞳に何も映していない王子殿下がベッドの上で座って微動だにしていない姿が目に入った。私たちが入ろうとも、反応が全くない。人形だと言われれば信じてしまいそうなほどに静かだ。
「ずっとあの調子なんだ」
小声で私に語り掛けてきたシリル様に小さくうなずく。
虚ろな目をした王子殿下はこちらに興味を示さない。私たちが入ってきたことに気が付いているのかすらも怪しい。最後に見たときから数日が経っているが、食事をきちんととっていないのか、酷くやつれて見えた。
「殿下」
そっと声をかければ、やっとピクリと動いた。しばらく待っていると、ゆっくりとこちらに顔だけ向けた王子殿下と目が合う。正確には、合っているように思える方向に顔を動かしただけだろう。目が合っているようで、やはり、殿下の目に私は映っていない気がした。
しかし、しばらくこちらを見ていた殿下の目に光が徐々に戻ってくる。目を見開いたかと思うと、こちらに歩いて来ようと立ち上がりかけ、それを近くに控えていた騎士に制止される。
「リ、リリアンは!?」
第一声があまりにも予想通りで、私の表情は一切動くことがなかった。
あの夜、騒動が一段落してから、私はどこか様子がおかしかった王子殿下のことについても考えた。どうにも冷静なイメージの王子殿下と、あの夜の王子殿下が一致しなかった。
推測の域は出ないものの、しばらく考えて、私が出した答えは、普段の冷静な王子殿下というのが、作り物であったというものだった。この国の第一王子として求められる姿であろうとした結果かもしれないし、何か別の要因があったのかもしれないが、殿下はおそらく完璧であろうとした。
そして、つい本音が出てしまったのが、あの夜だったのではないだろうか。
きっと王子殿下は、お姉様のことが本当に好きで、これに関しては偽りではなかったのだろう。ただ、その愛はどこか歪んでいて、あまりにも彼女に執着しすぎている。
「会いたいですか?」
「あ、あぁ!」
もう王子としての仮面をかぶる必要の無くなった殿下は、ただ必死に首を縦に振る。それを冷たく見下ろしながら、言葉を続ける。
「それは何故ですか」
「彼女のことを愛しているからだ」
「……そうですか」
人を愛することを知っているにも関わらず、私がランドルフ様のことを愛していると知っていて、彼を刺した殿下をただ静かに見る。やはり、このお方は壊れている。
「殿下が私に何をしたか覚えていらっしゃいますか」
私の質問の意図がわからないのか、不思議そうな顔をしながらも首をゆっくりと縦に振る。まるで幼子のようだと思いながら、私はため息をついた。
「私にとって大切な方を殿下は刺しました。危うく彼は死ぬところでした。そのような仕打ちをしておいて、どうして私がお姉様と殿下を会わせなければならないのですか」
「嫌だ! リリアンに会わせてくれ! 彼女だけなんだ! 私には彼女しかいないんだ、彼女だけが、リリアンだけが……。リリアンだけが私を」
最初は私に対して話していたはずなのに、ぶつぶつと独り言をつぶやくだけになっていく。最後の方は何を言っているのかもよく聞こえない。突然ばっと顔を上げた殿下が焦ったように、必死に訴えかけてくる。
「お願いだ! 彼女だけが私の救いなんだ!」
私は殿下にお姉様を会わせる気はない。このような狂った殿下をお姉様には近づけたくない。騎士が付いていても、お姉様を不愉快にさせる言葉を吐くかもしれないと思うと、それだけで自然に眉間にしわが寄る。
「あら、そんな熱烈に愛を叫ばれると照れますわ」
鈴のような声が、暗いこの部屋の中に響く。いつの間にか後ろに立っていたお姉様を振り返り、眉を下げた。
「お姉様、無理に来なくてもよかったのですよ」
「まあまあ、私は気にしていないもの。それにしても、王城にこのような場所があったなんて知らなったわ」
地下室であることを忘れてしまいそうなほどに、いつも通りに微笑むお姉様は、コツコツと足音を響かせて、殿下の近くへと寄る。それを見た殿下が、感動したかのように震えて、手を伸ばす。
お姉様はにっこりと微笑みながら、その手をかわした。傷ついたような表情を見せた殿下のすぐ近くでしゃがみこんで目線を合わせる。
「殿下、本日は殿下の今後についてお話しに参りましたの」
「私の……今後?」
「要は殿下の処罰についてですよ」
横からシリル様が口を挟む。
「殿下は多くの罪を犯していらっしゃるので、処罰が下されます」
その言葉に、はっとしたように殿下がお姉様の肩を掴もうとして騎士たちに押さえつけられた。お姉様は一切表情を変えることもなく、微笑んでいる。
「い、嫌だ。リリアンとの婚約を解消したくない」
「それは無理な話です。諦めてください、殿下」
思わず、ジトリと睨みながら言葉を投げかけてしまう。私の言葉に呆然とする殿下に、お姉様は変わらず淡々と話を続ける。
「殿下は貴族牢に一生幽閉と先ほど決まったところです」
「……一生」
「そうです。ご自分が犯した罪をよく考え、反省してください」
正直なところ、数々の罪を犯したはずの殿下に対して、あまりにも甘い処罰だと思ってはいる。ミカニ神聖王国との国交を正常化させるためには、殿下に毒杯でも賜らせた方が余程穏便に済むはずだ。しかし、そうしなかったのは――。
微笑み続けているお姉様を見つめる。
「リリアン、待ってくれ。君がいないと私は、私は一体どうすれば……どうすればよかったんだ……」
お姉様を呆然と見ている殿下を残して、お姉様は立ち上がると、私たちを残して先に部屋を出ていった。私も後を追うように殿下に背中を向けたが、ちらりと最後に振り返る。
私が部屋に入ったときと同じように、何も映していない。まるで廃人だ。ある意味では、殿下もかわいそうなお方だ。ふるふると頭を軽く振って、同情しかけた自分の思考を消し去る。理由があったからといって、許されるわけではない。
部屋を出てすぐのところで、お姉様は私たちを待っていたようで、軽く手を振られる。
「お姉様……」
「あら、そんな顔してどうしたの? 私、とても殿下に対して怒っていたから、すっきりしたわ」
にこりと微笑むお姉様は相変わらず美しい。絵画の中から出てきてしまったのではないかと思うほどに整った顔で、きれいに微笑んでいるが、その奥に見える感情に、私の方が動揺してしまう。
「今回の処罰は甘すぎます」
「……えぇ、そうね」
「お姉様、本当は殿下のことを――」
お姉様の人差し指が、ぴたりと私の唇に当てられる。言いかけた言葉を止められた。眉を下げて笑うお姉様を見て、何も言えなくなってしまう。
「それ以上言ってはいけないわ」
「……はい」
私にくるりと背を向けて歩き出したお姉様の後を追う。今、一体どのような顔をしているのだろうか。お姉様は疑いを持ちながらも殿下のことを信じていて、それなのに裏切られて、許せなくて、そして、たぶん――許して差し上げたかったのではないですか。
「さて、殿下には貴族牢に入っていただくことになりましたし、ついでにお仕事もさせましょう。国のためにも働いていただかなくては!」
茶目っ気たっぷりに振り向いて笑う彼女は、もういつも通りで、悲しみも憎しみも見えはしない。
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