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数日の間、私たちは荷馬車に乗せられて移動していた。てっきり、運べればそれでよいと考えられていると思っていたのだが、案外、私たちへの対応はまともだった。もちろん、基本的に馬車で過ごすことにはなったが、拘束されている状態ではあるものの、まともな食事を出してもらっていたし、夜は冷えるからなのか毛布を掛けられた。
人質、もしくは、罪人に対する扱いとしては、これ以上ないほどに良いだろう。
そうして数日間、馬車の揺れと、それによる体の痛み以外には特に苦痛もなく、王都へとたどり着いてしまった。そうして、今、王城の裏口だと思われる場所で降ろされた私たちは、王家の狂信者たちによって歩かされている。
特に怒鳴られることも無理に背中を押されることもない。罵声を浴びせられることもなく、ただ淡々と私たちを歩かせる。しかし、それがかえって不気味さを増長していた。普通ならこうあるだろうというものと正反対の行動をとられているためだろうか。一言も発さず、布で顔が覆われている彼らはまるで操り人形のようで人間味がない。
建物内に入る前に目隠しをされた。道を覚えさせないためだろう。足元が見えないというのは、これほど不安なものなのだな、などと他人事のように思いながら、少しずつ前へと進む。途中、段差があるときには、親切なことに王家の狂信者たちが何かしらの合図をしてくれる。おかげで転ぶことはなく、上がったり、下がったり、曲がったりを何度か繰り返しながら、しばらく歩く。
やがて、方向感覚がほぼなくなったころに、彼らが止まった。ギィと重めの音で扉が開かれたことに気が付く。そこにそっと押し出されて、湿っぽい空気が体を包み込む。あまり長居はしたくない空間だななどと思っていると、目隠しを外された。
今の私は、あくまで突然捕まって王城まで連れてこられたミルドレッド・オールディスだ。間違っても、この場所に予測がついているなんてことはない。それを肝に銘じて、そう見えるように、わざとオドオドと周りを見渡した。
王家の狂信者の一人が、私の口に噛ませていた布を外したところで、パッと声を出した。
「あ、あの……ここ、どこですか」
不安そうに見えるように、そっと問いかけるが、周りを取り囲む彼らから返事は返ってこない。私の行動など気にしていないかのように、それぞれが仕事をしているようだ。
「あなたたちは一体……? それに、ランドルフ様とルセック様は……」
同じ部屋に彼らがいないことを確認して、そう問いかけるが、やはり答えは返ってこない。彼らのうちの何人かは、さっさと扉から出ていく。それと入れ替わるように一人が部屋に入ってきた。王家の狂信者たちとは服装が異なる。一般貴族でないことが一目でわかる上質な上着に身を包んだその人に心当たりがあった。
今回のことがなくても、元々この方は苦手だった。反射的に後ろに下がる。すると、それに合わせるかのようにさらに距離を詰めてきた。
「そんなに怯えないで。私だよ」
フードから現れた顔はこの国の貴族なら知らない人はいない。冷たさを感じる水色の瞳と目が合う。
「……王子殿下」
このような異常な状況でも、王家の纏う空気というものは私の頭を下げさせる。反射的にカーテシーをしていることに、途中で気が付いた。
「やぁ、久しいね。こんな手荒な真似をして悪いね」
「……」
王子殿下は考えていることが読み取りづらく、正直言って苦手だ。手が少し震えてしまうのは、演技ではなく、本当にこの方が恐ろしいからだ。
その様子を微笑みながら見ていた彼は、ゆっくりと話し出した。まるで私の怯えなど見えていないかのようだ。
「リリアンがどこにいるかミルドレッド嬢なら知っているかな?」
予想していたのとは異なる言葉に思わず目を瞬かせた。てっきり、私を利用するとか、戦争の話になるかと思ったのだが、第一声がお姉様ということに、ぽかんとしてしまう。しかし、そんな私のことを気にするわけでもなく、王子殿下は話を続ける。
「リリアンがどこにいるのかわからないんだ。辺境伯領にいるっていう噂を聞いたんだけれど、本当かわからない」
いよいよ様子がおかしいと思って、そっと顔をあげて殿下と目を合わせる。どこまでも冷酷に感じる透き通った水色の瞳。私と目が合っているようで合っていない。こちらを見ているようで私を映していない。
「……いえ、私はお姉様のことは何も」
「そんなことは無いはずだ」
静かに、しかし、素早く私たちの間にあったはずの距離を詰めた殿下にたじろぐ。冷静なようでいて、やはりどこか落ち着きがない殿下に対して、先程までの恐れとは別の意味で冷や汗が流れ始める。何かがおかしい。
「ミルドレッド嬢は辺境伯領を通ってきたのだろう」
ある種の不気味さを感じながら、見上げるが、やはりこちらを見ていない。いや、見てはいる。しかし、その目に私は映っていない。どこか別の場所を見ている。
「……殿下、あの、お姉様のことは何も」
元からつかみどころのない方だとは思っていたが、このような方だっただろうか。冷酷さは変わらない。冷静に思えるような言動も変わりない。しかし、何かがおかしい。
ぱっと頭に浮かんだのは、壊れている、という言葉だった。殿下に使うにはあまりにも不敬すぎる言葉に、その考えを慌てて消した。
しばらくの間、微笑みながら私のことをじっと見ていた殿下だったが、やがて満足したのか、そっと後ろへと数歩下がった。
「まぁ、時間はいくらでもある。このことは後でじっくりと聞くことにするよ。さて、ミルドレッド嬢。いきなりこんなところに閉じ込めて悪かったね」
「……」
「大丈夫、すぐに出してあげるよ。ここは一時的に入ってもらっているだけ。ミルドレッド嬢が手を貸してくれるなら、悪いようにはしないから」
「……」
手を貸さないと言った場合はどうなるのだろうか。
その考えが顔に出ていたのか、殿下はクスリと笑った。
「大丈夫。ミルドレッド嬢を殺したりはしないよ。ただ、ちょっと手を貸してもらえるようには動くけれど」
「それは一体どういう意味ですか」
「ついてきて」
まだこの部屋に入れられたばかりだというのに、王子殿下は私に背を向けると歩き出した。周りに控えていた王家の狂信者たちを見たが、彼らが動く様子はない。ついて行って構わないということだろうか。相変わらず手首を縛られている状態に変わりはないが、逃げ出す可能性もあることを考えると、少々意外だ。
大人しく、王子殿下の後ろについて歩き出す。こうやって、私が歩いてしまっては目隠しをしていた意味もない気がするのだが、余程勝算があるということだろうか。私としては、特に王子殿下の言うことを聞くつもりはない。拷問などは出来れば避けたいところだが、一応ここまで命を懸けるつもりで乗り込んできているのだ。簡単には応じない。
狭く暗い廊下を抜けると、段差が大きい階段が現れた。最後に降りてきたのは、おそらくこの階段だったのだろう。私が周りを観察している間も王子殿下は足を止めずに進んでいく。慌ててその背中を追って歩く。やがて、階段が終わり、今度は突き当たったところで右に曲がった。そうは言っても道なりに進んでいるだけだ。
途中途中で、扉がいくつかあることには気が付いていた。幼少期のランドルフ様のように閉じ込められている人が、その向こうにいるのかもしれないと思うとぞっとした。
そうして、いくつかの階段を上り下りし、道をいくつか曲がり、やがてたどり着いた暗い廊下の突き当りにある扉を開くと、先程までの様子が嘘のように、きれいな王城の廊下に出た。ランドルフ様から聞いていた道とは違うため、もしかしたら、いくつか出入口があったのかもしれない。
夜ということもあり、廊下に人はいない。しん、と静まり返った広い廊下をただ歩き続ける。どこへ向かっているのだろうか。
王子殿下の意図が読めない。首を傾げながら、この場から逃げ出すことを少し考える。ここで、私が王子殿下を無視して走って逃げたとして、どこまで逃げられるだろうか。ランドルフ様やルセック様と合流することなく、私一人でどこまでできるだろうか。
無理だと結論付けて、その考えを放棄するのと同時に、私たちがどこへ向かっていたのかがわかり、目を見開いた。足を踏み入れたのは中庭。すぐ目の前に見えるのは青い光を放つ石碑。私がまさに目指していた場所だ。
これを見せたかったのだろうか、と意外に思いながら歩みを進めていたが、茂みの陰に隠れていた光景に気が付いて、ぴたりと足を止めた。振り返って、私の様子を確認した殿下は相変わらず微笑みを浮かべている。さっと血の気が引くのを感じていると、殿下は茂みへと近づいていく。
床に転がっていた人物の前にしゃがみこむと、優雅な仕草で自身の腰から短剣を引き抜いた。月光が反射して刃がきらりと反射する。
「ねぇ、ミルドレッド嬢。手を貸してくれるよね」
「っ……!」
抵抗しようとするその人物を押さえこんで、その背に短剣を突き付ける。
「やめてっ!」
殿下は私の声に満足そうに微笑んでいる。
自分が害されることはある程度覚悟してここまで来ていた。しかし、人質を取られる可能性を考えられていなかったのは、詰めが甘かった。オールディス家は全員無事だから大丈夫だと思っていた。同じくらい大切な人がすぐ近くにいたのに、迂闊だった。
「せっかくだから、彼の言葉も聞いてみようか」
口に噛ませている布をスパッと切ると同時に、口を開いた彼の声はどこまでも凪いでいた。
「ミルドレッド、私のことは気にするな」
「……い、嫌です」
「構わない。私が死んだところで何一つ問題はない」
「ど、どうしてそんなことを言うのですか」
声が震える。彼が言いたいことはわかる。彼が殿下に殺されてしまったとしても、その血と私の血を使って古代遺物を起動させれば、この戦争は一時的に止まる。殿下は古代遺物の秘密を知らない。全部上手くできる。――ランドルフ様の死を除いて。
私が迷っていることに気が付いている王子殿下は楽しそうに私たちのやり取りを見ている。
「やはり、ミルドレッド嬢には、これが効くんだね」
王子殿下に従ったように見せかけて古代遺物を使うことも考えるが、その場合は、ランドルフ様にも血を分けていただくことができない。本来は、抜け出してきたうえで、それぞれの血をこの石碑に垂らす予定だったのだ。
私一人の血では、結局、戦争の道具としてしか古代遺物が動かない。
「ねぇ、ミルドレッド嬢。君が手を貸してくれないと、彼が死ぬだけじゃないよ。この古代遺物動かしているのは誰だと思う?」
「……ぁ」
そうだ。この古代遺物がこうして光を放っているということは、動かしている人物がいるはずだ。それはきっとアデラ様か、古代遺物研究室の二人のうちの誰かだ。あるいは、その両方だろうか。彼が、自分の意思で戦争に手を貸すはずがない。つまり、無理矢理従わされているということだ。
「ミルドレッド!」
はっと顔を上げる。しっかりと目が合った赤い瞳に迷いはない。
「でも……」
「大丈夫だ。ミルドレッドが気に病むことはない。私のことは気にするな」
「む、無理です」
多分、ここでとるべき行動は、ランドルフ様の言葉に従うことだというのは頭ではわかっている。その方が全体的な被害は小さい。今、無理矢理従わされているであろうアデラ様か古代遺物研究室の二人も、古代遺物が使えなくなれば、この状況から解放される。
でも、どうして、自分の大切な人を、私の選択によって失わなければならない。ジワリと涙が浮かぶ。
「お願いだ、ミルドレッド。ここまで来たんだ」
「……」
「ミルドレッド、わかっているだろう。その方がいいんだ」
今までで一番優しく語り掛けられて、我慢していた涙がぽろぽろとこぼれる。わかっている。感情に流されて、この機会を失ってしまえば、次、いつ戦争を止める機会があるかはわからない。
ぼやける視界の中で、ランドルフ様を見る。彼は、私が返した上着を着ている。
「……ランドルフ様」
「何だ」
こんなところで、こんな時に言うつもりはなかった。もっと穏やかな場所で、彼に言うつもりだった。
それでも、ここで言わなければ、もう言う機会はないかもしれない。ぽろぽろと涙のしずくがこぼれる中で、無理に微笑みを浮かべる。きっとうまく笑えてなんかいない。酷い顔だろう。それでも、彼の最後の記憶になるかもしれないならば、笑顔でいたい。
「……愛しています」
私の言葉に目を見開いたランドルフ様が何かを口にしようとして、そして、さらに目を見開いた。次の瞬間には眉をしかめた。
「それが答えなんだね。ミルドレッド嬢」
低く唸るような声でそう言った殿下が握っている短剣は、ランドルフ様の背中に突き刺さっていた。
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