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サクッという軽い音とともに、手首を結んでいた縄が切り落とされた。やはりというべきか、縛られたまま逃げようと動いてしまったこともあり、若干の擦り傷ができていた。縄を切ってくれたルセック様を見上げる。
「ありがとうございます」
「大きなけがはなさそうだね」
全員が手首や足首を確認しつつ、その場に座り込むと、へらっと笑っている目の前のシリル様へと向かい合う。ちらりと見てみれば、変な行動をとれば殺すというルセック様の言葉は嘘ではないようで、いつでも立ち上がることのできる体勢で短剣は手に持ったままだった。
「……あの、何となく事情はつかめたのですが、細かいお話を聞いてもいいですか」
「うんうん、そうだよね。いきなりで悪かったよ。えっと、どこから説明しようかな」
こうして話している間にも馬車は進んでいく。ルセック様にあれだけ脅されていて、まさか実は敵でしたなんてことはさすがにないと思いたいが、王家の狂信者であれば、自分の命くらい簡単に捨てそうな危うさがある。油断は禁物といったところだろう。
「とりあえず、この馬車は王都に向かっているよ」
「……王都で王家側に引き渡すつもりではないだろうな」
「え、まだ疑われてる? ちゃんと味方だよ」
疑惑を含んだ目で見ているランドルフ様に、やはり軽い調子のまま受け答えをしている。
「いや、だってさ、一応表向き……あー、表向き? 別に明言はしていないから表向きとも違うような……。ま、いっか。一応王家の狂信者っていう立場で動いているから、君たちを乗せてうろちょろしていたら、同僚に怪しまれちゃうよ。だから、君たちに手を貸すには、不自然ではない行動をとらないといけないわけで、そうなると、王都に向かうのが一番だと思わない?」
「言い分としては確かに筋が通っている」
「ランドルフ君は用心深いなぁ」
疑われようと、睨みつけられようと、全く動じないこの男は、足を組んで座り直すと、話し出した。
「君たちがどういう目的でエルデ王国に戻ってきたのか、詳しい事情は知らないんだ。どこに向かってたの?」
「王都ですね。その中でも最終的には王城に向かいたいと考えています」
「王城に? それならちょうどいいや。このまま引き渡して牢屋に入ってもらうのが一番手っ取り早いんじゃ――っと、危ないなぁ、全くもう」
彼が先ほどまでいた場所に短剣が突き刺さっている。ルセック様がそこに刺したのだと、すぐに理解した。シリル様がよけていなければ、即死ではないものの、確実に重傷にはなっていただろう。これをよけられるということは、案外、反射神経は良いのかもしれないなどと、のんきに考えていると、ルセック様が床から短剣を引き抜いた。
本気でシリル様を殺す気だったのならば、この隙に既に二、三度襲い掛かっていたであろうことを考えると、警告のようなものだったのかもしれない。
「……怪しい真似をするなといったはずだ。誤解を招くような言動は控えろ」
「えぇ? それにしたって今のは酷くない? 普通にそう言ってくれればいいじゃないか。下手したら俺死んでたよ?」
「お前の様子から見るに、普通に言ったところで記憶に残らないだろう」
「あはは、よくわかってるね」
先ほどまで口をとがらせていたのに、けろりと元の態度に戻る。自覚はあるらしい。
「わかったよ。ちゃんと説明をすることにしようか。さっきのは表向きの話ね。ちゃんと俺が手引きしてあげる。でも、目をくらませるためにも、一旦牢屋には入ってもらった方がいい。これは本当に入ってもらう」
「あとで私たちを牢屋から出してくれるってことよね? それが本当だってどうやって信じればいいのかしら」
私の質問に対して、あっけらかんと返事をする。
「あー、悪いけれど、信頼に足ると思ってもらえるようなものは、今は持ち合わせていないし、これからもないだろうね。だって君たちどうやったら信じるんだい?」
その言葉に私たちは顔を見合わせる。少しためらいがちに、ルセック様が声を上げた。
「……例えば、お前が本当に辺境伯家の者だとわかるのならば」
「ないね。今は身分を証明するようなものは身に着けていないし、家の者もいないから、俺がシリル・ガードナーだと証明してくれる人もいない。それに、どうせ俺のことを知っている人に証明してもらったとして、その人が君たちの知り合いでなければ、君たちは信じないだろう?」
「……確かにそうですね」
「だから、何も証明できない」
彼は、お手上げとでもいうかのように両手を軽く上げて肩をすくめた。
「まぁ、家族が俺の身分を証明してくれたところで、俺が裏切ってただの王家の狂信者って可能性もあるけれどね。ね、ランドルフ君」
「……」
ランドルフ様は返事をしないが、険しい顔をしている。不愉快といった表情だろうか。ブライトウェル侯爵家では、夫人のみが王家の狂信者であると聞いている。今の彼の家族の状況はわからない。無事なのか、それとも、何かに巻き込まれたのか。
何とも言えない気持ちになり、そっと彼に近寄って、手を取ると、こちらを向いた赤い瞳と目が合う。
「大丈夫ですよ、ランドルフ様。きっと、皆様無事でいらっしゃますよ。セドリック様がいらっしゃるでしょう?」
情報が十分に入ってこない状況では何とも言えないが、夫人が動いていることはあり得る。しかし、セドリック様は頭が切れそうだ。きっと何かしらの手は打っていると信じたい。
私の考えていることはおそらくほぼ正確に伝わっているようだが、険しい表情が和らいだかと思うと、今度は眉を若干下げて、こちらを気遣うような表情になった。そんな表情をされる心当たりがなかったため、思わずたじろぐ。
「……私のことは心配しなくても構わない。兄上が何とかするだろう。それよりも……いや、何でもない。これを話すべき人間は私ではないだろう」
何のことだかわからないが、勝手に納得したランドルフ様は、視線を再びシリル様へと向けた。何を言いかけたのか聞きたい気持ちはあるが、それよりも、今は目の前のことを優先すべきだとわかっている。
「それで、俺の話を信じる気にはなった?」
ニコニコと笑っている彼を見ながら考える。信じるか、信じないかで言うと、正直なところ信じきれないというのが現状だ。あまりにも何もかもがそろっていない。身分を証明することもできなければ、彼が本当に王家の狂信者ではないことを証明もできない。この馬車がそもそも王都に向かっている保証もない。
しかし、ここで信じようと信じまいと、おそらく私たちが取ることのできる選択肢など、ほとんどないに等しい。仮に慌てて荷馬車から飛び降りたとして、間違いなくけがをするし、奇跡的にけがをしなかったとしても王都にたどり着くまでには数日かかる。その中で見つかって捕らえられることも考えられる。
それならば、信用できなくても、この話に乗るしかないのではないだろうか。
「信じられるかと言えば、難しいですね。ただ、あなたが本当にシリル・ガードナー様だと仮定して、お力をお借りするよりほかない気もしています」
目線だけで二人に同意を求めると、彼らも同じ考えだったようで静かに頷いた。
「うん、やっぱりそうだよね。じゃあ、悪いけれど王家に引き渡させてもらうよ。あぁ、まだまだ数日はかかるから、荷馬車で乗り心地は悪いだろうけれど頑張ってね」
ひらひらと手を振ったかと思うと、あっさりと御者がいるであろう位置へと戻っていった。今ここで細かい話をする気はないらしい。もしくは、こちらから聞かなければ、この後も細かい話をする気はないのかもしれない。
「……一旦牢に入れるとかいうお話でしたが、そのあとのことについて考えましょうか」
「……そうだな」
ガタガタと大きく揺れる中で、私たちは集まって座り込む。
「まず、状況の整理から始めましょう。私たちは王都で王家に引き渡される手はずになっているとのことでした。この場合、拘束された後に入れられる牢はどこを指しているのでしょうか。普通に貴族牢でよいのでしょうか。それとも別でしょうか」
「今の状況だけでは判断できないけれど、平民用の牢の場合は地下牢になるんじゃないかな」
ルセック様が首を傾げながら発言をする。少し忘れがちだったが、彼は騎士なわけで、場合によっては罪人を捕らえることもある立場だ。この三人の中ならば、一番詳しいだろう。
「それでは、私たちが入れられる先は、王城敷地内に存在する貴族牢と、王都の端にある平民用の地下牢の二つでしょうか」
「……いや、おそらくもう一つある」
ランドルフ様がためらいがちに口をはさんだ。私とルセック様の目がそちらを向く。
「王都の牢屋については、その二つしか存在していなかったと思うんだけれど、他にあったっけ? 別の領地とかではなく?」
「あぁ、王家の狂信者たちが使用する牢があるはずだ。……おそらく」
そこまで言われてはっとする。彼が昔閉じ込められていたという部屋のことを指しているのだろうか。そうだとするならば、それはきっと王城敷地内の貴族牢でも、王都の端の平民用の地下牢でもない。王城そのものの中にあるはずだ。
「王城の敷地内ではなく、王城という建物そのものの中にあるということですね」
「そうだ」
「え、何? もしかして俺だけが知らない情報?」
ルセック様が困惑したように眉を下げている。確かに、彼はランドルフ様の幼少期の話は知らない。その中で突然王城の中に牢があるのではないかと言われても困惑するだろう。しかし、これまで想定外のことだらけということもあってか、ルセック様はすぐに元の表情に戻った。
「まぁ、いいや。全部終わったら説明して。それじゃあ、可能性としては三つだね。俺が知らなかったってことは王城にある牢は王家の狂信者たちのものってことかな」
「恐らくそうだろう」
「それなら、俺たちが入れられる可能性は高そうだね。俺たち、もともと何も罪を犯していないから、明確な罪状がない以上、正規の牢には入れたくないだろうね。そんなことをして、これ以上懐疑的な目を向けられたくはないだろうし」
「そうなると、私たちを牢に入れた後に、適当な理由をでっちあげて死んだことにされるのではないでしょうか」
「だろうね。それで、死んだことにされた後に殺されるまでがセットなわけだ。あぁ、嫌なこった。ただ騎士として命令に従ってミカニ神聖王国に行っただけでこんなことになると思わないよね」
肩をがくりと落としたルセック様を見て気の毒に思う。私やランドルフ様は、多少なりとも王家の狂信者に目をつけられていたが、ルセック様に関しては本当に巻き込まれただけに過ぎない。彼だけでなく、今は辺境伯領に避難しているであろう侍女や騎士たちもだ。彼らもまた命令に従ってミカニ神聖王国に行ったに過ぎない。
「……必ず、古代遺物を正しく起動させて戦争を止めましょう。一時的であっても、状況が変われば、本格的に力がぶつかり合うような状況にはならないはずです」
「そうだね、牢を抜け出した後にどう動くか考えようか。この王城の牢に入れられた場合にどう動くかだけれど、これってどこにあるの? 王城の中でそんな怪しい部屋見たことないけれど」
「……あぁ、それは――」
私たちは揺れる馬車の中でしばらく話し合った。ランドルフ様が王家の狂信者によって王城内に閉じ込められていたのは幼い頃だったはずだが、強烈な経験ということもあってか、思った以上に正確そうな情報が出てくる。
そのおかげで、私たちが仮に解放された場合の動き方についても、どの廊下を使用するかなどのかなり細かい部分まで話し合うことができた。ある程度、結論を出せたところで馬車のスピードが緩み、再び姿を現したシリル様によって腕と足を縛られる。カモフラージュのためにも必要なようだ。
彼が姿を消すと同時に馬車が停まり、布の後ろ側が開かれる。その布の間から、ちらりとこちらを覗いている顔は何かの布に覆われており、誰なのかもわからない。ただ、おそらく王家の狂信者だろう。私たちが乗っていることや状況を確認しているのかもしれない。
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次回は明後日投稿予定です。




