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「……人質?」
まるで、どこかで聞いたことがあるかのような単語が出てきたではないか。身に覚えがある。私と同じ状況だ。これは偶然だろうか。
「一体誰を?」
「家族だ。ミルドレッド、君と同じように」
同じだと言われて息をのむ。
「警戒していたつもりだった。だが、まさかこんなにも簡単に家族を人質に取られるとは思っていなかった」
片手で額を押さえながら、眉をしかめる彼は、苦々しい過去を思い出しているのだろうか。額に置いていない手もぎゅっと握りしめていて、白くなっている。
「ミルドレッドが、いや、君の姉上もだろうか。私たちのことを調べていたことは知っている」
「それは……」
「構わない。私がミルドレッドの立場であれば、同じことをするからな。疑われて当然だ。そして、ある意味でその行動は正しかった」
「正しい……?」
私の困惑した声に対して、ランドルフ様はゆっくりと頷いた。唸るような声で話を続ける。
「私たちを調べて何か引っかかることはなかったか」
「……些細なことですが」
続きを促すように、ランドルフ様の瞳が示す。躊躇しつつも、続きを口にする。それはかつて、私がお姉様と一緒に調べた事柄だ。
「まず第一に、ブライトウェル侯爵家が王家派閥であること。ただ、これだけならば、珍しいことでもありません。王家派閥と王家の狂信者には天と地ほどの差があると思っています」
いったん口を閉じる。緊張で、口の中がカラカラだ。
「次に、私たちのオールディス家は、今まで不自然なほどに入り婿まで含めて王家派閥が嫁いできていることです。オールディス家が中立派であることを考えると異様です。そこで考えました。ただの王家派閥の家ではなく、オールディス家の力を利用しようとする王家の狂信者に関係する家からオールディス家に嫁いできているのではないか、と」
こうして口にしてみると、どうにも稚拙で現実味のない話だ。話していて段々と恥ずかしくなってくる。
「……考えすぎだとは思います。ただ、これが私とお姉様が出した推測です。そして、この推測が正しいと仮定するならば、ブライトウェル侯爵家もまた王家の狂信者と関係があるのではないかと思いました」
私たちの間に沈黙が落ちる。やはり、荒唐無稽な話だっただろうか。私が稚拙だと考えるほどだ。それに、ブライトウェル侯爵家が王家の狂信者と関係があると考えたのは、ランドルフ様が誘拐されていたという過去を知らなかったからだ。聡明なランドルフ様から見れば、がっかりするような推測だっただろうか。
ちらりと見上げてみれば、意外なことに、彼は目を見開いて感心しているかのような顔をしていた。
「……驚いたな。半分、いや、半分以上正解だろう。ブライトウェル侯爵家は王家の狂信者と関わりがある家だ」
「でも、ランドルフ様は、その王家の狂信者に誘拐されていませんでしたか」
ブライトウェル侯爵家が王家の狂信者に関係があったというのであれば、何故、ランドルフ様をわざわざ誘拐する必要があったのだろうか。
「誘拐されたのは事実だ。家族が必死になって探してくれたのも、また本当だ」
「尚更不思議です」
「あぁ、私も理解に苦しんだ。あの人の振る舞いには」
「あの人?」
「母上だ」
予想外の人物に言葉を失う。
ランドルフ様の婚約者となってから、ブライトウェル侯爵夫人とは、しばしば顔を合わせている。明るく、社交的。世の中には、息子の婚約者に対して嫌がらせをする夫人もいるというのに、私に対してもいつも優しく、助けてくれる。
そのような夫人が、どうしてここで話に出てきてしまうのだろうか。
「歪んでいるんだ。表では善良な人間を装っていて、その裏は酷く歪んでいる。それが私の母上だ」
「で、でも、誘拐された時には心配をしてくれたと、そうおっしゃっていたではありませんか」
「あぁ、心配してくれた。私が帰ってきたときには、それは涙を流して喜ぶほどに。だが、それと同時に、私が誘拐されることになった原因を作ったのは誰だと思う」
それは疑問形であり、疑問形ではない。
流れ的に答えは一つしかないことはわかっている。しかし、まさかそんなことがあるなんて信じられない。口元を手で押さえるが、その手が震えていることに気が付いた。それとほぼ同時に、ランドルフ様は自嘲気味に笑って、言葉を吐き捨てた。
「母上だよ。私が古代語を少なからず理解できると知った彼女は、私を王家の狂信者に躊躇なく引き渡した。それでいて、息子が誘拐されたと本気で泣いて悲しんで、私が帰ってきたら本気で喜んでいるんだ。……どうかしている」
彼の言葉通りだとするならば、確かにどうかしている。自分で引き渡しておいて、本気で悲しむ?
意味が分からない。きっと彼女自身がどこか壊れてしまっているとしか思えない。
「そして、今回、私が王家の狂信者から逃げられないように家族が人質に取られたと言っていたが、あれも母上の仕業だ。それまでは母上が王家の狂信者と関係を持っているなんて知らなかった。まさか家族が裏切るなんて思っていなかった。昔のことも母上が関係していたことを知ったのは最近だ」
「……」
どう声を掛けたらいいだろうか。
「私が王家の狂信者と関係を持たなければ、父上と兄上は消されかねない。王家の狂信者たちは、それくらいのことなど躊躇なくやるだろう」
それはいつ頃の話だったのだろうか。彼が王家の狂信者と関係を持つように迫られていたのは。彼のお父様とお兄様が人質に取られたのは。
「兄上が、君に対して攻撃的で私から遠ざけようとしていたのも、これが関係していた。私の婚約者になってしまえば、王家の狂信者に利用されかねないからだろう。兄上が私に厳しい言葉を投げかけてくるのも、ミルドレッドを巻き込むなという警告だったんだ。どうか兄上を嫌いにならないでほしい。……今更だが」
それでは、私が初めてセドリック様に会ったときには、既に彼らは人質状態だったというのだろうか。
そこまで考えて、ふと気が付く。セドリック様は今まで、ランドルフ様の婚約者候補と遊んで傷物にしては、ランドルフ様の婚約の話を白紙に戻していたという話。あれがわざとだというのならば、最初から相手の令嬢を王家の狂信者から遠ざけるための行為だったのだろうか。方法はあまり褒められたものではないが、彼なりの優しさだった可能性はある。
「嫌いにはなりません。苦手ではありますが」
「それで構わない」
また振動を伴う轟音が響く。私たちがこうして話している間にもミカニ神聖王国のどこかは攻撃を受けていて、誰かが犠牲になっている。
「ここまで長く話してきたが、私は父上と兄上を見捨てることができない」
それはそうだろう。自分の家族を見捨てて、そして、処刑されるリスクを背負ってまで、ミカニ神聖王国に残る理由など、ランドルフ様には無いはずだ。
「そして、酷なことを言うが、ミルドレッド。君にはミカニ神聖王国に残ってほしい」
「……え?」
予想外な言葉に頭を殴られたかのような衝撃が襲う。
何かを言わなければ、と口を開いても言葉が出ない。ハクハクと動く口に対して、言葉は何も紡がれない。
「ど……どうして……」
やっと思考が戻り始めたころ、絞り出した言葉はそれだった。私にも人質状態の家族がいる。私がこの国に残れば、お父様やお母様、お姉様が無事である保証はどこにもない。
「君はここでミカニ神聖王国を守ってくれ」
涙で視界が歪む。ランドルフ様がどのような表情をしているかが見えない。どうしてそのようなことを言うの。どうして、私だけ置いていくの。どうして、どうして――。
ランドルフ様が何かを説明してくれているのに、頭に入ってこない。私と、私以外の誰かの感情がごちゃごちゃになっていく。
私を一人にしないで、私を置いていかないで――。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回の投稿は木曜日を予定しています。
また、次回で第四章は完結予定です。
よろしくお願いいたします。




