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クリフの指さすくぼみをじっと見つめていた私たちだったが、これだけを見ていたところで、特に何も起きはしない。顔を上げてクリフをみれば、にこりと微笑まれた。
「あの、この古代遺物は使用するとどのようなことが起きるのですか」
「あぁ、それは――」
クリフが答えようとしたのと同時に、ぐらりと足元が揺れた。
「な、なに」
前世は地震の多い日本にいたとはいえ、この世界で今まで地震に遭遇したことはない。勝手にそのような自然現象はないのかもしれないと思っていたのだが、現にグラグラと揺れているところを見るに、そういうわけでもないのだろうか。
周りの様子を見ようと目線を上げてみれば、クリフは目を見開いて立ち尽くしており、ミカニ神聖王国内でも地震が起きるのは稀なのではないかと考えた。
「ミルドレッド、大丈夫か」
「はい、私は問題ありません。皆さんは……」
礼拝堂の中を見渡してみても、聖職者たちは比較的落ち着いているようだ。あまり物も多くないことが幸いしてか、この場でけがをした人はいないようだ。
「大丈夫そうだね。それよりも、俺はあまり詳しくないからわからないけれども、ミカニ神聖王国って地震が頻繁に起きる地域だったっけ?」
「いえ、そのようなことはないはずです。地震が起きたのも、過去の歴史の中でも数えるくらいですね」
「……少し妙だね」
ルセック様とクリフのやり取りに耳を傾けていると、今度は、窓の外がまばゆく光った。私たちが何事かと顔を見合わせて数秒が経った頃、まるで花火を打ち上げたかのような音、むしろ、それよりも地響きのような大きな音が響いた。
思わず耳をふさぐが、それでも音が入ってくる。もはや、音というよりも振動を感じるそれに嫌な予感がする。連続して響く轟音に身を縮こまらせていると、ランドルフ様がそっと私を庇うように立った。
「枢機卿、この音の心当たりは何かありますか」
「わからないですね。おそらく、大教会の者が現状を確かめに城へと向かったはずです。わかり次第戻ってくるかと」
「危険かどうかも判断できないね」
ルセック様がそう言いながら窓の方へと歩いていく。その間も、音は連続して響いていた。窓から外を覗いたルセック様の表情が険しいものとなった。
「……ちょっと待って。枢機卿、結構まずいかもしれない」
「一体何が?」
不思議そうに衣擦れの音を響かせながら、クリフはルセック様の隣へと歩いていく。そうして窓の外を見た彼の表情は一瞬青くなったかと思うと険しいものへと変わっていった。
「煙……。方向的にはエルデ王国の方向ですね」
煙ということは何かが燃えているに違いない。
「……燃えているのは、どちらだ」
「今の時点でははっきりとは言えません。報告を待つしかないですね」
「ランドルフ様、どちらというのは――」
そこまで口にしてハッとする。方向はエルデ王国だが、燃えているのがエルデ王国とは言っていない。つまり、ミカニ神聖王国内の街や村が燃えている可能性もあるのだ。
そして、それがもし、もしも、エルデ王国による何かが原因だとしたのならば、エルデ王国民の私たちがここにいるのは非常に困ったことになるのではないだろうか。
私は姫巫女としてミカニ神聖王国に受け入れられている。しかし、もともと、良い感情を持たれていないエルデ王国民のランドルフ様やルセック様、そして、ついてきてくれた侍女や騎士たち。彼らの立場は悪くなる。良くて人質、悪いと――。
さっと血の気が引いて、その場に座り込む。
「ミルドレッド様!?」
心配そうなクリフの声が響いた。慌てたようにこちらに早足で来た彼は、私の前にしゃがみこんだ。
「大丈夫ですか」
「クリフォード様、報告というのは、いつ……」
上手く言葉を紡ぐことができなかったにも関わらず、大体のことを汲み取ってくれたであろうクリフは眉を寄せた。
「それは、そうですね。何か被害があれば、そのこと自体は半日から一日程、原因などは聞き取りをしてからになるでしょうから、三日から四日はかかるでしょうか。必要ならば、皆さまがエルデ王国に帰る手はずも整えますが……」
その言葉に、私の背中をさすってくれていたランドルフ様の手が止まった。私から視線が外れた気配を感じる。おそらく、ルセック様に何かしらの目線を送っているのだろう。
おそらく、この場にいる全員が同じことを考えている。ほぼ確実にエルデ王国が何かしたに違いない。
「枢機卿、申し訳ないが、一旦部屋に戻らせてもらってもよいだろうか」
「構いません。報告があり次第、お伝えいたしますね」
ランドルフ様に半ば抱えるようにされながら、私たちは廊下へと出た。ルセック様が険しい顔をしたままランドルフ様と話し出す。
「これ、やっぱり俺らの国が何かしたと思う?」
「確証はないが、そんな気はしている」
「それなら、ここに滞在するのはまずいと思わないか」
「そうだな。枢機卿も言葉を濁してはいたが、私たちがエルデ王国に帰ること自体には手を貸してくれるようだ。騒ぎになる前に、ミカニ神聖王国を離れるのが無難だろう」
「この国の人たち、ただでさえ、俺らのことが嫌いみたいだからね」
ため息をついたルセック様が、客室の扉を開けようと手を伸ばしたところで、少し遠くからパタパタと音が聞こえた。
三人でそちらに目線を向けてみれば、走ってくるのはライラ殿下だった。ドレスの裾をまくり上げて走ってくる様子は淑女にあるまじき行動ではあるが、彼女の表情からして、かなり焦っていることはわかる。
「姫巫女様!」
「ランドルフ様、少し下ろしてください」
必死に叫ぶライラ殿下を見て、小声でランドルフ様にお願いをすれば、こくりと頷いて下ろしてくれる。少しふらつきはするが、王女殿下の前で、まさか婚約者に抱えられたままというわけにもいかないだろう。
やがてたどり着いたライラ殿下は息を切らしており、何度か言葉を紡ごうとしては、空気を求めて呼吸を繰り返した。
「落ち着いてください、殿下。呼吸が整ってからで大丈夫ですので」
「そ……そうもいって、い、られない……のっ!」
がしりと両肩を掴まれて、よろめく。何とか踏ん張ると、顔を上げた殿下のまっすぐな視線がこちらを向いていた。
「お、願い、助けて。城から、はっきりと見えたの」
「なにが……ですか」
嫌な予感が膨れ上がっていく。ゼエゼエと息をしていた王女殿下は、大きく息を吸い込んだかと思うと、真剣な表情でこちらを見た。
「国境付近の街が燃えているわ。そして、それはエルデ王国からの攻撃でほぼ間違いない」
「それは……」
「見えたの。大きな壁の向こうから光が飛んでくるのが。お願い、ミルドレッド様、ミカニ神聖王国に残って。こんなこと言っちゃいけないのはわかっているの。でも、このままでは……」
王女殿下の言葉に色々なことが頭をよぎる。光が見えたということは、エルデ王国の城のあの古代遺物らしきものを使用したのだろうか。それは一体誰が使用したのか。お姉様か、アデラ様か、それとも、また別の人物か。そして、なぜその矛先がミカニ神聖王国に向かってしまったのか。
そもそもお姉様やお父様、お母様は無事だろうか。今ここで私がエルデ王国に帰らずにミカニ神聖王国に残るとすると、人質状態の家族はどうなってしまうだろうか。
「お願い、助けて」
涙目の王女殿下を見る。
「ミルドレッド……」
後ろを振り返れば、こちらに手を差し伸べるランドルフ様が見えた。どちらの手を取るべきか。私が守るべきなのは、私の家族だろうか、ミカニ神聖王国民だろうか。総数としてはミカニ神聖王国民を守った方が多く守れる。でも、どちらが正しいのだろうか。
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次回は、土曜日に投稿いたします。




