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しばらくの間、馬車の中から外を眺めてわかったことは、ミカニ神聖王国がいかに発展しているかということだった。
エルデ王国では、街のような領地の中心部は比較的整えられている。しかし、そこに至るまでの道が舗装されているか、小さな村の発展率などは領地ごとによって異なる。王都付近であれば、舗装された道が続いているが、オールディス領では舗装されていない道もある。それほど馬車が通らないという理由もあるが、それは一旦置いておく。
それに対して、ミカニ神聖王国では、畑のど真ん中であっても、基本的に道が舗装されており、エルデ王国内を移動しているときよりも、馬車の揺れが少なく、体への負担が少ない。正直、長い旅路に疲れがたまってきていたところだったので、かなりありがたい。
舗装されている道すら白く、白以外のものといえば畑くらいなものである。道行く人々は、エルデ王国の文化なのか、皆白い服を着ていた。
「畑に明らかに何かが植えられているのですが、冬でも育つ作物があるのでしょうか」
私が窓を眺めたまま疑問を口にすれば、顔のすぐ近くに人の気配を感じて、思わず固まった。
「どうだろうな。作物だけでなく、土壌の違いもあるかもしれないな。もしくは、古代遺物を使用しているか」
耳元をくすぐるように響く声で、心臓がバクバクと動くのを感じた。ランドルフ様は、女性慣れしていないこともあってか、意識せずに距離を詰めてくることがあるため、少し心臓に悪い。すぐ近くで窓の外を眺めている彼に悟られないように注意しながら、軽く深呼吸をして平静を装う。幸いなことに、私の表情筋は、それほど活発には動かない。
「ぜひ、そのお話を現地の方から聞いてみたいですね」
「そうだな。今日の休憩場所で聞けたら聞いてみよう」
そっと彼が離れていくのを感じて、ほっとする一方で、少し残念にも思ってしまう。窓から目線を外して、馬車の中を見てみれば、先程まで眠っていたはずのルセック様が面白いものを見たとでもいうような顔をしていた。
お姉様といい、ルセック様といい、人の恋路が気になる人が多すぎる気がする。それとも、人は恋愛に興味を持つのが一般的なのだろうか。
確かに前世でも、女子は恋バナが好きだった記憶がある。修学旅行の夜などに布団に包まったまま、あれこれと話すのは定番だった。睡魔に負けて寝ようとしている私をたたき起こしてきた友人がいたはずだ。彼女は今も元気に過ごしているのだろうか。卒論で、恋愛と愛の違いについて哲学をするなどと言っていた気がするが、どうなっただろうか。
――私も、本当なら今頃、卒論を書いていたはずだ。この世界に転生したのは、まだ、何について書くかを考えていた時期だった。
私がそうであるように、本来のミルドレッドも、どこかに転生してしまったのだろうか。お姉様は、本来のリリアンと意識が混ざったと言っていたが、そういった感覚は私にはなかった。それとも、頭を打った時に、本来のミルドレッドの魂が死んでしまったのか。
しかし、魂の死を認めるかどうかは議論を呼びそうだ。意識というのが、体から来ているのか、それとも、魂といった存在があり、それによるものだという考えとも結びついてくる。個人的には、私たちの意識は電気信号の一種だと思っており、そのため、死は意識の死と共に脳の死だと考えている。
そのように考えるのであれば、本来のミルドレッドが転んで頭を打った時に死んでしまったというのは、ミルドレッドの脳が死んでいるということであり、思考などできないはずだ。私の意識があるのはおかしくないだろうか。
いや、そもそも、私の意識が私の体と結びついていない。私は昔日本人として生きていた記憶があるにも関わらず、体はミルドレッドのものだ。その時点で、魂の存在を認めるしかないのだろうか。
「ミルドレッド」
軽く肩をゆすられて、声をかけられたことで、はっとした。隣をみれば、少し心配の色を含んだ赤い瞳がこちらを見ていた。
「大丈夫か。何度か声をかけたのだが」
「そうだよ、俺も声をかけたのに、全く聞こえていなかったみたいだね。疲れちゃった?」
「大丈夫です。すみません、考え事をしていただけです」
「そうか。今日の移動はここまでだ」
その言葉で、馬車がいつの間にか停まっていることに気が付いた。窓から見える景色も、畑ではなく、白い建物が並んでいる街だった。
すぐに扉がノックされて、開かれ、私たちは馬車を降りた。そっと目線を上げると、素敵な造形の建物の前に、ずらりと並んだ聖職者らしき人々が一斉に頭を下げた。
『ようこそ、教会へ。姫巫女様、よくご無事で』
一番真ん中で、頭を下げていた男性が、古代語を口にする。ちらりと横を見上げてみれば、古代語を理解しているランドルフ様が明らかに困惑した様子を見せながら、私の方に目線を向けた。彼には、やはり隙を見て説明する必要があるだろう。
目線を聖職者たちに戻して、軽く考える。何か言葉を返した方が良いだろうが、何と返すべきだろうか。
『……私は姫巫女様ではありません』
しばらく考えて出てきた言葉は結局そのようなものだった。
私の言葉を受けて、はじかれたように顔を上げた司祭らしき男性と目が合う。彼は動揺しているようだったが、感情を飲み込むと、今度は、私たちに合わせて、エルデ語で話し出した。エルデ語といっても、乙女ゲームの設定のせいで日本語ではあるが、私が普段使っている言語だ。
「長旅お疲れさまでした。本日はゆっくりとお休みいただけるように、教会内にお部屋をご準備させていただきました。こちらへ」
司祭らしき男性が、私たちを案内しようとしたところで、並んでいた聖職者たちは慌ただしく教会内へと入っていった。聖職者としての仕事の途中に出迎えてくれたようだ。気を遣わせてしまったこと、そして、私が別に姫巫女ではないことについて、申し訳なく思いながらも、司祭の背中を追って歩き出す。
中に足を踏み入れると共に、今度はステンドグラスが目に入った。
「わぁ……」
大きなそれは、ピメクルス教の神や眷属を描いており、日の光を受けて、神秘的な輝きを放っていた。白い床には、ステンドグラスを通して色が付いた光が落ちており、何とも幻想的な光景である。
そのまま歩いていくと、今度は廊下に眷属の石像が並べられていた。躍動感のあふれる石像たちを見回しながら、足を進めていると、先導していた男性がぴたりと足を止めて振り向いた。穏やかな笑みを浮かべている様子は、まさに聖職者の鏡だ。
「ランドルフ様とルセック様のお部屋はこちらとなります」
思ったよりも手前の部屋に案内されたことに驚きつつも、ここが教会であることを思い出し、勝手に納得をした。普通は、身分が高いものは、建物の奥に案内されることが多いが、教会という特別な場所である以上、人を泊めるために使用できる部屋が少ないのだろう。
教会であれば、一番奥にあるべきなのは、もちろん礼拝堂だ。神様こそが、この建物の中で最も敬うべき存在なのだから当たり前だ。その次は、あるかわからないが、司祭室などだろうか。
どちらにしても、ランドルフ様とルセック様の部屋が、この場所だということは、私もその近くの部屋になるはずだ。
「何かありましたら、聖職者にお声がけください。それでは参りましょうか」
そう言って私に微笑みかけると、そのまま歩き出した。てっきり、すぐ隣や近くの部屋に案内されると考えていたため、反応が遅れた。私が、首を傾げそうになったのと同時に、ルセック様がやや鋭い口調で問いかけた。
「ミルドレッド様はどちらへ?」
「おや、それほど心配なさらずとも丁重におもてなしさせていただくだけですよ」
振り返った彼は相変わらず穏やかな笑みを浮かべているが、二人の間の空気がピンと張りつめたことは明らかだった。やはり、私の部屋だけが離れた場所になるのは不自然なことのようだ。
「身の危険はないのですよね」
「おかしなことをおっしゃる」
険しい顔をしているルセック様とは対照的に、ころころと笑った彼は、一息ついたかと思うと、真顔になった。
「あなた方に任せる方が余程危険だ」
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