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転載、天災、甜菜などと様々な漢字が頭の中をよぎっていく。その中で、天才という漢字がよぎっていったとき、ふと引っかかるものを感じた。
天才、天才騎士。どこかで聞いたようなフレーズだ。あれは、確かお姉様と話していた時のことだ。それはいつだっただろうか。それに、ルセック・ホフマンという名前も聞き覚えがある。領地に引きこもっていた私のもとにも噂が届いていたのだろうか。
どうだ、と誇らしげな顔をしているルセック様を見ながら考える。そして、ふとひらめいた。
「あ」
「どうした」
「いえ……」
ランドルフ様に問いかけられて反射的に首を振る。しかし、言葉とは裏腹に、私は冷や汗をかき始めた。目の前のルセック様と、直接の面識はなかったが、確かに名前を知っている人物だった。
以前、私の婚約者を決めるということで、お姉様が名前の書かれたメモを持ってきたあの日、攻略対象キャラだと言って取り除いたメモの中にルセック様の名前は確かにあった。つまり、私は、意図せずに攻略対象キャラと遭遇してしまったということだ。
できればストーリーの中心人物とは会いたくないのだが、アデラ様と仲良くしている時点で手遅れだろうか。そうだとすれば、この際、関わるのが一人だろうと二人だろうと誤差かもしれない。それに、ここで一度顔を合わせたからといって、そのまま関係が続くわけでもないだろう。
今回は休憩場所として、たまたまホフマン男爵家に訪れたのであって、今後、彼と会う機会があるとは限らない。
「あれ、もっと驚くかと思ったんだけれど、そうでもないのか」
意外そうなルセック様に対して、男爵が咳ばらいをした。
「ルセック。そろそろ本題に移りなさい」
「はいはい」
「……本当にお前でいいのか心配になってきたぞ」
目頭を押さえ、唸るように言う男爵が気の毒に見えてくる。おそらく、いつもルセック様によってペースを乱されているのだろう。そんな男爵をルセック様は気にした様子もなく、優雅に足を組みなおすと、星が飛んできそうな無駄にキラキラとした笑みを浮かべたまま話し出した。
「今回の旅で護衛として俺もついていくんだ。本当は城からの方がいいんだろうけれど、通り道だから、ここで合流ってことになった」
「なるほど。ミルドレッドを覗き見ていたのにも理由が?」
「いや、あれはただの遊び。ミルドレッド様、意外と人の視線に敏感なんだね。気が付かない子の方が多いのに」
「ルセック、まさか他のお客様にも同じようなことを……」
「いつもじゃないよ」
絶句してしまった男爵を置いて、ルセック様は立ち上がった。その動きには一切の無駄がなく、細身に見えても鍛え抜かれていることが伺える。先ほどから軽い調子だが、騎士としては本当に優秀なのだろう。
「さ、そろそろ出発しよう。あまりゆっくりしていると、中継地にたどり着けないよ」
「大丈夫か」
「はい」
心配そうなランドルフ様に返事をして手を取る。本当のところは、ふかふかのソファーが名残惜しいが、ここで出発を遅らせて、次の中継地にたどり着けない方が困る。馬車に乗っている私たちは問題ないとしても、日が暮れれば、護衛は、それだけ気を張らなくてはならない。
大人しく立ち上がって、男爵に挨拶をすると、人のよさそうなやわらかい笑みで送り出してくれた。パチパチと燃える暖炉の火から遠ざかり、廊下へと出る。外に近づくにつれて、冷たい空気が体を包み込んだ。
「いや、王子殿下から頼まれた時は、正直断ろうと思っていたんだけれどね。護衛対象が二人だと聞いたから少し興味があって引き受けちゃったんだよね」
前を歩いていたルセック様が振り返りながら話しかけてきた。
「ランドルフ様が優秀だって話は聞いたことがあったし、ミルドレッド様も特例で研究員になるくらい優秀なんでしょ? だから面白そうだなって思って」
「そうですか」
特に良い返しも思いつかないため、無難な返事をしておく。しかし、それがお気に召さなかったのか、軽く眉を寄せた。
「ミルドレッド様って、なんかあれだよね。こう、普通な感じ? 特例で研究員になるくらいだから、変わったご令嬢かと思っていたけれども」
「はぁ……」
気の抜けた声で相槌を打つ。普通だ、と残念そうにされても、そもそも、私の中身が普通なのだから仕方ない。面白い返しなど期待されても困る。そのようなものは捻りだそうとしても出てこない。
「見た目も普通、話していても普通。特に変わった部分はない」
「そうですね」
「兄上みたいに、古代遺物の研究になると目の色が変わるとか、そういうこと?」
「そのようなことはないかと……」
ランドルフ様の手を借りながら、馬車に乗り込むと、そのあとに続いて、ランドルフ様とルセック様が乗り込んできた。
どうやら、一緒の馬車に乗って護衛をするらしい。
ランドルフ様が私の向かい側に座り、その隣にルセック様が座った。さすがに私の隣には座れないということと、何かあった際に扉に近い方が良いということから消去法で、その席を選んだのだろうが、男性二人が並ぶとむさくるしさがある。
おかしさを感じて思わず笑いがこみあげるが、慌ててそれを止めた結果、微妙に口角が上がった。
「なんだ」
ランドルフ様が不思議そうに問いかけてきた。
「いえ、あの、狭くないかなと思いまして」
笑わないようにお腹や表情に力を入れつつ、返事をすると、ルセック様が隣のランドルフ様を見た。
「あー、確かに狭いよね。ランドルフ様、ミルドレッド様の隣に移動しない? 面倒ならこのままでもいいけれど」
「あぁ、確かに狭いな」
動き出した馬車の中でも体勢を崩すこともなく、ひょいと立ち上がり、私の隣へと移動してきた。彼が座ると同時に、腕が触れそうな距離であることに気が付いて視線をさまよわせた。先ほど、手を貸してもらったりしているのだから、今更この距離間に緊張する必要などないはずなのに、緊張で体が軽く強張った。
「どうした」
「いえ、あの思ったよりも馬車の席って狭いのですね」
「……? そうだな」
ぐるぐると回る頭で必死に返事をしたのだが、ランドルフ様には首を傾げられてしまった。それでも何事もなかったかのように相槌を打ってくれるあたりが、彼の優しさだろう。
「あー、俺、邪魔だよねぇ。ごめんねぇ」
その声にはっと顔を上げてみれば、にやにやと笑いながら、こちらを見るルセック様と目が合った。
「邪魔なわけがない。今回は私たちの護衛としてついてくれているのだから、馬車の中にいるのは当たり前だ」
ルセック様の視線の意味に全く気が付いていないランドルフ様は、真面目な顔をしてそう返す。それに対して、先程までにやついていたルセック様も真顔に戻ると、信じられないという目をした後に、私の方へと目線を向けた。
私も曖昧な微笑みを返すと、同情の目を向けられた。その様子をランドルフ様だけが不思議そうに眺めている。
「何かおかしかっただろうか」
「いいえ、何も」
私が微笑みかければ、そのまま納得したのか、いつも通りの無表情に戻った。その横顔をぼんやりと眺めながら考える。
私は自分の感情に気が付かないほど鈍いわけではない。まだ恋愛感情とは呼べないが、ランドルフ様のことを好ましく思っていることには気が付いている。そして、このまま過ごしていれば、それがやがて恋愛感情と呼ばれるものに変わっていくこともわかっている。
ただ、ランドルフ様が私に向ける感情はそうではない。
私のことを大切にしてくれてはいるが、それは義務感であったり、婚約者に取るべき行動としての振る舞いだ。場合によっては、年少者への振る舞いなのかもしれない。幸いなことに、嫌われている感じはしないが、やはり、恋愛感情のようなものではない。
それでも、特に問題はない。例え、彼と私の気持ちが異なるものだったとしても、結婚して夫婦として過ごしていくときに、お互いを尊重できれば、それで構わない。私と同じ気持ちではないことに少しの寂しさはあるが、そもそも、この世界は政略結婚が主流だ。そんなものだろう。
それよりも、まずは悪役令嬢としてエンディングを迎えないこと、ミカニ神聖王国との戦争を起こさないこと、人質状態のオールディス家の現状をどうにかする方が先だ。今は、自分の気持ちには気が付かないふりをして、ふたをしておこう。
お読みいただき、ありがとうございます。
まだ、体調が万全ではないため、
次回の投稿は明後日(水曜日)を予定しています。




