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10.


夢を見た。

普通の夢だ。

顔の無い人間が二人、私の名前を静かに呼び続けるだけの夢だ。

それが誰かはわからない。

ただ、ユメやミノリ達ではないのは確かだ。

哀しかった。

ユメでないのなら誰でもいい。どうでもいい。

そんなどうでもいい二人が、疲れた声で私の名を呼ぶ。

そんな普通の夢だった。

哀しかった。


*


「……大丈夫? ウツミ」


目が覚めてすぐ、おはようの前にそう言われた。


「いつもより嫌な夢でも見た?」

「……いつもと違う夢は見た……けど」


違うのは夢だけではなかった。

いつもなら見た夢を覚えている私が、今日に限っては見た夢の内容をほとんど覚えていなかった。ミノリの夢じゃないという事以外は言葉に出来ない程度にうっすらとしか思い出せない。

そして……胸の奥が、苦しい。


「泣きそうな顔、してる」


ユメがそっと私の頬に触れる。あたたかい。

でも、そこまでしてもらってもこの感情をどう処理すればいいのかがわからない。

泣きそうとは言われたが、泣きたいとは思わない。それでもこの感情はどうにかしたい。

この感情をどこかに捨てたい。そうだ、捨てたいんだ。


「ダメだよ、捨てちゃダメ。意味もわからないまま捨てちゃダメ」

「でも、こんなものは要らない」

「要らなくても、理解はしなくちゃ。しっかりしたいんでしょ?」


否定出来ず沈黙するしかない私を、ユメは真剣な目で見つめる。


「ウツミはみんなを公平に見る事が出来る。でもそれはとても珍しい事なの。みんなはウツミを公平には見ない」

「……うん。知ってる」

「それが良い事か悪い事かは、私にもわかんないよ。だから性格を変えろとかは言わない。でもウツミが今よりしっかりしたいなら――」

「――皆を公平に『見た』、その後。皆が私をどう見てるかを公平に『考える』事。向き合う事」

「……うん。そうすればウツミはきっと、もっといろんな事に気づけるはず」


ただの答え合わせだ。全部、心の中のどこかでわかってた。

それでも、ユメが答えをくれた事には違いない。また今回も。いつも通りに。

「ありがとう」と、いつも通りに礼を言おう。そう思った。

思った、その瞬間だった。

揺れた。

揺れたのだ。

世界が。


*


「地震…!?」


揺れている。今も確かに揺れている。

でも違う。被害が無い。揺れてこそいるが、物が落ちてきたり壊れたりという被害が無い。

厳密には地震ではないようだ、が、これから先も何も壊れないという保障はどこにも無い。外に出るなりして状況を把握しなければ。

……いや、ダメだ。外には出られない。ユメが出られないんだ、ユメを置いて行ける筈がない。

でも状況把握は必要だ。今何が起こっているのか。この世界に何が起こっているのか。それを知らないとユメを守れない。

この世界の事なら管理者に聞ければ一発なのだろうが、夢以外での会い方を私は知らないし、その夢さえ今日は見なかった。


「どうすれば……」

「……ウツミ、私なら大丈夫だよ。外に出よう?」

「ユメ……でも……」

「前に進む事を決めたウツミの、足手まといにはなりたくないから」


いつも私の背を押してくれる、いつものユメの言葉。でも、今回ばかりはすぐには頷けなかった。

あの日買った護身用具をかき集め、いくつかはユメに持たせ、特に実用性のありそうな物を手に持ってみた所で不安は消えない。

『外』は危険だ。私一人では、きっとユメを守れない。自分自身を守るので精一杯だ。どうするべきか悩んでいた、その時。


「ウツミ!」


タツヤの声がした。

家のすぐ近くまで来ているのだろう、その声はハッキリと聞こえた。


「タツヤ……!」

「タツヤさん?」


これで状況は多少好転した。

……別に、今更になって頭を下げて「私とユメを守って」なんて言うつもりはない。そんな図々しい事は言わない。

今の状況について何かが聞ければそれでいい。聞けなくても、ミノリの居場所について聞けるかもしれない。とにかく何かが聞けるはずだ。

タツヤも家の中には入れないだろうから、こちらから出て行くしかない。それでもほんの少しの距離だ、それくらいならきっと私でもユメを守れるはず。


「ユメ、少しだけ我慢してね。絶対守るから」

「……うん。大丈夫だよ、ウツミ」


ユメの手を引き、歩き出す。外へ向かって、歩き出す。

その時気付いていれば良かったのかもしれない。

ユメの手を握った瞬間にでも気付いていれば良かったのかもしれない。

結局、私は気付かなかった。タツヤの声に誘われるように、他の何も見えないまま外に飛び出した瞬間まで気付く事は無かった。

ずっと握っていたユメの手の感触が消えたその瞬間まで、ユメの手が冷たい事に気付かなかったのだ。


*


「ウツミ下がれ!」


丁度振り返った瞬間、私のその目の前で、私の家は崩れ落ちた。

まるでだるま落としのように、屋根がそのまま一階を押し潰したように、綺麗に崩れ落ちた。

まるで、そこには最初から何も無かったかのように。跡に何も残さず、綺麗に消えた。

まるで、最初から何も……


「……何か大事なものを置いてきたのか?」


タツヤが言う。

私は首を振る。


「……何も。何も無かった」


服のポケットを漁ってみると、あの日買った護身用具が入っていた。

ユメに持たせた分も。全てが。


「……そうか」


そうだ。あの家に置いてきたものなんて何も無い。

私は、あの女の子をずっと昔に置いてきてしまっていたのだから。


*


「おれから離れるなよ」


『外』の様子はひどいものだった。

地面はあちこちひび割れ、裂け、空はいつもの黒煙は何処へやら、見渡す限りどす黒い赤に染まっている。

終末という名の光景があるとすれば、恐らくこういうものなのだろう。

そんな中、私達は歩いていた。慎重に、足元を確かめながら。


「どこに行くの?」

「タワーだ。ここからお嬢の工場を抜けた先、この街の中央に立つあれだ」


今までは黒煙で隠れていたのか全く気付かなかったが、確かに遠くに一際高い塔が見える。

ただの鉄塔ではない。塔の中ほどあたりに展望施設もあるようだし、電波塔だろうか?


「あそこにミノリがいる。この惨事を引き起こしたのはあいつだ。会ってどうにかしてきてくれ」

「ミノリが? どうにかって……?」

「どうでもいいよ。お前の好きにしろ。ここはそういう世界だ」

「それはおかしいわ。この世界の管理者はミノリなんでしょ?」

「そのミノリに管理出来てないのがお前だ。だから行くべきだ。その結果がどうなったっておれたちは受け入れる。好きにしろ」

「私に、この世界の崩壊を止めろって言うの?」

「だから、どうでもいいんだって。お前の思うようにしろ。とにかくミノリと会って、選んでくれ。それがおれたちの――おれとお嬢の意思だ」


違和感を感じる。何かがおかしい。タツヤの話の中に、ミノリの意思が見えない。

ミノリの身に何かが起こった結果、世界がこうなったのだとしたらまだわかる。助けてくれ、という意味なのだと。

だが、話を聞く限りだとこの世界の崩壊はミノリが望んだもので、タツヤとノゾミはそれに……逆らっている? 従っている? それさえわからない。

しかし彼等は管理者には逆らえないはずだ。そう作られた人形なのではなかったのか。だとしたら、これもあくまでミノリのシナリオ通りなのだろうか…?


「……ミノリは、お前に来て欲しくないようだけどな」


気付けば、多くの名前のない『ひと』が私達を囲むように位置していた。

敵意に鈍感な私でもわかる。彼等が私達の道を塞ごうとしている事くらいは。

ポケットの中から護身用具の一つ、警棒を取り出して構えてはみるものの、こんなものでは突破は無理だろう。


「話が通じればいいんだが」


こんな状況で何を悠長な事を言っているんだ、と思ったが、目を向けて驚いた。

タツヤはどこから取り出したのか、拳銃を構えていた。警備員の装備としてどうなのそれは。


「撃たれたくなければ道を開けてくれ。それくらいわかるよな?」


皆がたじろぐのがわかった。タツヤの正面に立つ『ひと』も、言われるままに道を開けた。

タツヤが私を庇いながら銃を向け続けて道を切り開き、どうにか包囲を抜ける事には成功する。


「……ありがとう。とんでもないもの持ってるのね」

「お嬢に感謝だな。とはいえまだ安心はできない」


包囲を抜けてからもなお、さっきの集団はこちらをジッと睨み続けている。諦めたわけではないのだろうか。

後ろを見ながらそんな事を思っていたその矢先、再び地面が揺れた。そして地面が裂けた。さっきの集団の、すぐ後ろの地面が。

何人かがそれに飲み込まれ、落ちていったのが見えた。それを見ていたのは私だけではない。勿論彼等も見ていた。


「……まずい。走るぞ」


地割れに飲まれ、消えていく仲間の姿を目の当たりにしてパニックになったのだろうか、彼等は一斉にこちらに向けて走ってきた。

逃げたい一心なのだろうか、とも思ったが違うようだ。彼等の瞳は確実に私達に向いている。

捕まったら終わりだ。それは恐ろしいほどによくわかった。

振り返り、走る。未だに断続的に揺れは続いているが、立ち止まる訳にもいかない。

何度も転びそうになりながらも、背後から届く背を押す声と乾いた銃声を耳にするたび必死で踏ん張らざるを得なかった。

そんな状況に、私は何故か懐かしさを感じていた。

まるで昔、似たような事があったような。

昔というか、正確には――


「……以前の世界でも、似たような状況があった……?」


タツヤには届かなかったようだが、声に出してみるとますますそんな気がしてくる。

後でタツヤに確かめよう。今はそんな状況ではない。懐かしさを一旦思考の隅に追いやり、走る。

そうしてひたすら走り、ノゾミの工場が見えてきたあたりで、ふと気付く。名前のない『ひと』の皆が皆、私達を追っている訳でもない事に。

ここに来るまでに何人かの『ひと』を遠目に見たが、背後の追っ手の数は増えていない。昨日の工場でのストライキの練習に係長だけが参加していなかったように、例外は存在するようだ。

そしてもう一つ。この通りには『ひと』の姿が無い。この様子なら工場に入ってしまえば一息つけるのではないだろうか。


「タツヤ、工場まであと少し――」


振り返り、そう声をかけた瞬間だった。

一際大きな揺れと共に、また地面が裂けた。

私のすぐ後ろの地面が大きく裂け、タツヤと追ってきた彼等がそれに飲み込まれていく。

いや、タツヤだけは飲み込まれる寸前だった。道の端に片手で掴まっている状態で堪えていた。


「タツヤ! 手を!」


手を掴めと差し伸べる。見捨てる事は出来なかった。一つの疑惑が沸いて出た今、絶対に見捨てる事は出来なかった。

だが、タツヤは拒んだ。


「いい。早く行け。また地震が来るぞ」

「そんな事出来る訳が……!」

「どうせお前じゃおれを持ち上げるのは無理だよ。お嬢のおかげで装備は充実してるからな、重いぜ?」


確かにそれはそうだ。近くに支えに出来るような物も無い、引き上げるのは難しいだろう。

だが、だからといって見捨てろというのは無理な話だ。どうすれば、と周囲を見渡すと、一匹の犬が目に入った。

いつかの日に見た、灰色の毛をした元気な犬だ。この状況でも怪我をせず生き延びていたらしい。タツヤを助けたい私は、こちらに向かって歩いてくるその犬に助けを求めようかとさえ思った。

しかし……その犬は、私に吠え掛かってきた。


「な……ッ」

「おーおー、いいぞ犬、ウツミを追っ払え」


タツヤの声に応えるかのように、より大きな声で犬が吠える。吠えながら距離を詰めてくる。


「なんだ、おれのファンだったのか、犬」

「馬鹿な事を言ってないで――」


瞬間、犬が一際大きく吠え、飛び掛ってきた。

後ずさって辛うじて避けたものの、犬はまだ唸り声を上げて私を睨み続けている。

本気のようだ。タツヤも、犬も、私がここに留まる事を許さない。私には……選択権すら無い。

私には、タツヤを見捨てて去る以外の選択肢が、存在しない。

突きつけられた現実に逆らえない無力な私に出来る事は、別れの言葉を投げかける事だけだった。


「……タツヤ。今までありがとう。あの日も……前の世界でも、ありがとう」


返事は無い。

背を向け、工場の入り口の扉に手をかける。扉を開き、足を踏み入れる。

最後にもう一度振り向いた時、灰色の毛の犬が裂け目に飛び込んでいくのが見えた。


*


「――やっと来ましたわね、ウツミさん」

「……ノゾミ」

「あら、お一人ですか?」

「……ええ」

「そう……」


工場の中も悲惨なものだった。

いや、もっと言うなら悲惨ではなく、凄惨だ。

地震の影響か、備え付けの機械が壊れていたりもしたが……それ以上に、あちらこちらに転がる同僚達の死体が目を引く。

そして、ノゾミが手に持つ不釣合いな大型の銃も。銃には詳しくないけど、ああいうのをマシンガンと言うんだったかな。


「ああ、これ? こいつらが暴動を起こしたので、制圧の為に止むを得ず、と言ったところですわ」

「……そう」

「まあいいじゃない。どうせミノリのお人形よ」


敵対する者には容赦しない。ノゾミはそういう性格だし、おかしいとは思わない。


「以前の世界でも、そんな感じだった気がする」

「以前の世界ではここまではしなかったわよ、法治国家だったし。って、貴女、思い出したの……?」

「うっすらとだけど。タツヤは身体を張って私を守ってくれた気がするし、ノゾミは偉そうに周囲を威圧してた気がする」


今のようにマシンガンこそ持ってなかったけど、私以外の人を金持ちの権力で威嚇する事で自分の凄さを見せていたような、そんな気がする。

タツヤの時の様に、過去の光景としてハッキリと思い出したわけではないが……


「……では、私達の本名は?」

「本名?」

「ノゾミとタツヤ、これは偽名ですのよ。ついでに顔も多少変わってますが。でなければ名前を聞いた瞬間に思い出すのではなくて?」

「……確かに。でも……ごめん」

「いいわよ。別に期待なんてしてないし。それよりタワーに向かうんでしょう? こっちよ」


本当に気にしてないように、ノゾミ――としか呼べない女の子は私を先導して歩き始めた。

歩きながらもどことなく気まずさを感じていると、彼女の方から口を開いた。


「このままタワーに向かって、その後。貴女にはいくつかの選択肢があります。このまま世界を壊すか、止めるか、あるいはこの世界を見捨てるか、等」

「見捨てる、って?」

「それはですね――おっと」


またもや地面が揺れ、工場内の壁に立てかけてあった鉄の棒がこちらに倒れてきそうになった所をノゾミが受け止めた。

棒と言っても結構太く、パイプのように中が空洞というわけでもない代物だ。


「……重い。ちょっと先に通ってくれない?」

「わかった。ありがとう」

「ふぅ、っと」


押し返すのは無理だと判断し、私達が通り過ぎた後にそのまま倒す事にしたようだ。

しかし、今の鉄の棒、錆びていたように見えたが……


「手、見せて。怪我してない?」

「余計なお世話よ。庶民が私に触らないでくれる?」

「……あ、なんかこんなやり取り、昔もしたような気がする」

「……そうね。確かに、こんな事が昔あったような気もする」


その時は確か、態度の悪い子だな、と思いつつもその言葉を尊重して身を引いたような気がする。

今回もそれでいいのだろうか。以前と同じでいいのだろうか。あの時はそれが正解だったのだろうか。わからない。

わからないけど、わからないものをわからないままにはしておけない。今の私は強くそう思っている。

あの子がそう言ったからというのもあるし、今までどうでもいいと思っていた相手が以前の世界からの付き合いだったという事が明らかになり罪悪感を感じている部分もある。

きっと今の私はノゾミを公平に見れていないのだろう。でも構わない。これが間違っていたなら、以前の選択が正しかったと明らかになるだけだ。


「今回は引かないわ。手、見せて」

「触らないでって言ってるでしょう。撃つわよ」

「なんでそんなに隠したがるの」

「貴女こそなんでこんな事で意地になるのよ」

「以前の私の選択が正しいものだったのか知りたくて」

「……別に、正しいも何もないでしょう。小さな怪我よ」

「なら見せて」

「……貴女の世話になるのは御免よ」

「どうして?」

「………」


その問いにノゾミは答えてくれないまま、背を向けて歩き出した。

結局、以前の選択の方が正しかったのだろうか? その可能性は高いが、はっきりとは明らかにならなかった気がする。わからない事の答えを求める為に人と向き合うというのはなかなか難しい事のようだ。

気分を害したと思しきノゾミと、出鼻を挫かれた私。必然的に無言となりしばらくそのまま歩いたが、やがて辿り着いた扉の前でノゾミが口を開いた。


「……皮肉なものね。ミノリが何を思って世界を壊そうとしているのかはわからないけど、そのせいで貴女が私達の記憶を取り戻しつつあるなんて」

「……どういう事?」

「ミノリは貴女に姉妹の事以外の記憶を取り戻して欲しくなかったはずよ。その為に私達の顔と名前を変え、私達が必要以上に貴女に接しないよう行動範囲を定め、それを監視できる管理者という位置についた」


名前と顔を変えたのもミノリだったのか。確かにその結果、私は今に至るまで二人の事を思い出さなかった。

思えばミノリは時々探りを入れてきていたような気もする。私が二人の事をちゃんと『ひと』と見ているかどうかを。人間である事を思い出していないかどうかを。


「その行動範囲というのは?」

「言葉の通りです。タツヤなら工場と貴女の家までの限られた範囲の中でしか貴女に近づけない。同様に私ならこの工場の中に限られている。そういう事。だから私はここから先へは行けません」


そう言い、ノゾミが扉を開く。

その先には壊れつつある外の景色が広がっている。ここは工場の裏口だったようだ。


「さあ、行ってくださいな。行って、姉妹喧嘩でも何でもしてきてきださい」


言われるも、踏み出す事を恐れている自分がいた。

ノゾミをここに置いて行く事に対する抵抗もある。だがそれ以上に、ミノリの所業を聞かされての戸惑いのほうが大きい。

二人の名前を変え、行動範囲を定め、彼女は何をしたかったのだろう? 私を超えたいと言っていたが、それだけでそこまでするだろうか?

ミノリが私の事をどう思っているのかがわからない。ミノリだけじゃない。さっきのノゾミも、もっと言えばタツヤも、私の事をどう思っているのだろう。わからない。

それがわからないのに、ミノリの所に行って何が出来るのだろうか。


「ウツミさん、早く行ってくださいな。ここでお別れです」

「お別れ……」

「……ああそうだ、すっかり言い忘れてました。さっき「この世界を見捨てる選択肢がある」と言いましたが、それはそのままの意味ですわ。貴女は以前の世界に戻れます。貴女だけは」

「私だけが……?」

「そうです。その選択をしたならば、この世界と――私とも永遠にさよならという事ですね」

「………」

「……そんな顔をしないでくださいな。私もタツヤも覚悟の上です」


そう言われても難しい相談だ。

以前の世界を捨ててここに来た私は、今度はこの世界に留まる理由を失ってしまった。大切な女の子を私は置いてきてしまった。

そんな中、どうでもいい『ひと』と思っていた相手が実は以前の世界からの関係者であった事を思い出し懐かしみ、しかしその直後に別れを強いられ、どんな顔をしろと言うのか。

しかも選択次第では永遠の別れだなんて……その言葉の意味する所を考えると、嫌な予感しかしない。

私に、何を選べと言うのか。どれを選べと言うのか。


「皆でこの世界を捨てるという選択肢は無いの?」

「ありません」

「どうして?」

「この世界において特別なのは貴女だけなの。世界を選べるのは貴女だけなの」

「それはどうして?」

「……深い理由などどうでもいいでしょう。ゲームの主人公にでもなった気持ちで好きに選んでくださいな」

「そんなので納得するわけ――」

「ウツミさん、今生の別れかもしれませんし、さっきの答え、教えてあげます。私が貴女の世話になる事を嫌う理由」


割って入られ、言葉に詰まる。今、ノゾミが一番言いたい事は、私の問いに対する答えではないのだ。

そんな言い方をされたら大人しく聞く以外の選択肢は無い。時間が無い事なんて、お互い分かってるんだ。


「……私は貴女を助けたかった。貴女はそんなもの必要としてませんでしたが、私は貴女の力になりたかった。私は貴女の……友達になりたかった」

「友達、って、そんな――」


刹那、地面が、工場が、世界が大きく揺れる。

同時にノゾミに突き飛ばされ、私は裏口から転がり出た。

すぐに顔を上げ、工場を見遣るが……工場と呼べる物は、もうそこには無かった。


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