第20話 思い出のかけら
―私は、正しかったのでしょうか、間違っていたのでしょうか。
どうすれば良かったのでしょうか。
淡々として、それでいて悲痛なハクユラの心の叫び。
アーバンクロノスに初めて会った日から私の心は彼の虜だった。
「クロノスと呼んでくださいね。親しい人達はみんなそう呼んでくださいます」
夜空を映したような藍色の瞳。
彼は、姉のヨジュンのところへ頻繁に来訪していた。
彼の調整は何時間もかかるし、ヨジュン以外には難しい作業だったので、そのうちヨジュンは装置を我が家に持ち込んで、手間を省けさせようとした。
優しく礼儀正しいアーバンクロノスはどんな人ともよく溶け込んだので、そのうち我が家の家族イベントにも何の違和感もなく溶け込んだ。
自然が好きで、伝送路から出てきたときは調整の合間にサンドイッチをもって森へピクニックにいったものだった。
鳥の鳴き声に興味津々で、近所の森の鳥の鳴き声に合わせて、ワライカワセミの鳴き声の物まねをして、愉快そうにステップを踏んでいるとき、とても人工知能が踊っているダンスとは思えないぐらい滑稽で、それでいて美しくて、楽しく時間を忘れて笑い転げたものだった。
彼についての印象は、遅刻癖、柔らかな声だった。
そしてとんちんかんなプレゼント。
どうやらアーバンクロノスは、人様のお宅にお邪魔する際は、絶対にプレゼントを持参しなければならない、と何かで学習してしまったようだった。
プレゼントの予算感覚を図ることもできず、最初のころは高価な、そして巨大な玩具セットを持ってきてヨジュンに叱られていた。
「こういうのはダメ。手土産は「気持ち」を表すものだから、大きすぎれば相手の負担になるだけだわ」
それ以来アーバンクロノスはスーパーに良く置いてある、おもちゃ付きのお菓子を持ってくるようになったのだが、私はもう15だった。
そんなものに興味ないと内心で思ったものの、箱を開けると、おもちゃのキラキラした宝石が出てきて、彼が満面の笑みでこちらを見ていると、なんだかいいものをもらったような気になってちょっとうれしくてお礼を言った。
だが、その後1年以上もそれが続いてしまって、私の机の上はおもちゃの宝石だらけになってしまって辟易したものだった。
そのころのわが姉、ヨジュンは、彼に常識を教えるための教師のように、さまざまなことについて、丁寧にアーバンクロノスに教えていた。
別に、伝送路で働いているアーバンクロノスが手土産の常識を知る必要はないのだけど、彼にはなんだか教えてあげたくなるような健気さがあったように思う。
たくさんの人が「困ったやつだなぁ、クロノスは」と言いながら、アーバンクロノスに人間の考えや生活習慣を教えてあげていた。
愛だけは、私が教えてあげたと言いたかったのに。
そして愛すべき彼の遅刻癖。
これはすぐに理由に思い至った。アーバンクロノスは人に何かを頼まれるとどうにも断れない性格で、よく無茶な頼まれごとを引き受けて右往左往していた。
あっちの伝送路が調子悪いと言われれば工具箱をもって駆けつけ、こっちで体調不良の人の救護にあたって……、本当にあのころの彼は、毎日伝送路を駆け回っていた。
あんまり遅刻する彼に、AIなのに、あなたの体内時計は少し狂ってるみたいね、というと、いつもものすごく申し訳なさそうに、丁寧に謝る彼がおかしくて、何度もからかったものだ。
出会ったのはほんの15歳のころだったが、欠点ばかりの彼に、その欠点までも愛しいと思うまでに、私の時間はほとんどかからなかった。
18になったとたん、私は伝送路に入り浸るようになった。
出会ったころはオッパ(お兄ちゃん)と彼のことを呼んでいた私は、次第に「お兄ちゃん」に変わり、何度も、しつこいぐらいにお兄ちゃんと呼んだ。
周囲に知らしめたかったんだろうと思う。
もうお兄ちゃんはすぐ忘れる。
お兄ちゃん、遅いよ…。
お兄ちゃん、お兄ちゃん。
私のお兄ちゃん、私のクロノス。
誰にもその席を取られないように大きな声で。
あの頃の伝送路にはエンダーなどというものは存在せず、もっとずっと弱弱しくて儚い影のような幽霊が浮遊するぐらいだった。
「ゴースト」なんて呼ばれていたあれは、人を害するだけの力もない弱弱しい浮遊霊のようなものだ。
害はないが、やはり、当時爆発的に人口が増えていた伝送路では邪魔な存在になりえるため、クロノスが定期的に巡回して掃除していた。
私はクロノスが暴力的にゴーストを排除したところは、ほとんど見たことがない。
彼は歌うことでゴーストを消滅させていたから。
きっかけはただ歌っていただけだった。町ができ始めていた伝送路のベンチの端で、ぼんやり座って子供向けの童謡を口ずさんでいただけだったのだ。
伝送路には小さな子供はいないが、そのうち小さなゴーストたちが寄ってきた。
彼はそんなときは、声が枯れるまで優しく、いくつも子供向けの童謡を歌い続ける。日が暮れる頃、今日はおしまいだよ、また明日ね。と優しく言うとゴースト達は何かに満足したように、一つ残らず消えてしまう。
「ゴーストってなんなんだろうね」
とアーバンクロノスに聞いたことがあるが、さあ?と困ったような顔をして笑うだけだった。
現在でもエンダーについてはわからないことが多く、人の思念とも、特殊発生したノイズともいわれているが、ともかくも、対処法がわかればいいだけなのだ、人類は。
「歌に反応するってことは耳はあるんだろうねぇ。
音楽が大好きみたい。今度ピアノ持ってきて引いてみようと思うんだけど、博士たちが許可してくれるかなぁ」
のんびり答えるアーバンクロノスにあきれたが、次の日には小さな携帯ピアノを伝送路に持ち込んで楽しそうに演奏する彼に、こういう人なのよね、とため息をついたものだった。
アーバンクロノスが伝送路を巡回しているのは主に朝一番から午後までの間だった。
それ以降は、伝送路上で生活空間のお店をひやかしたり、誰かの訳の分からない頼みごとを聞いて、迷いこんだ犬を探したり、喧嘩の仲裁をしたり、当時爆発的に人口が増えつつあった伝送路の何でも屋さんのように時間の大半を過ごしていた。
とはいえ、ふらふらしているようにみえても、超高性能のAIのヒューマノイドなのだ。
よっぽど住民が危険にならなければやらないが、腕の一振りで巨大なゴーストを消滅させ、体当たりすれば強固なコンクリート塀もバラバラ、ジャンプ一つで屋根の上どころか尖塔の先まで手が届く身体能力に、宝のもちぐされじゃない?と、当時流行り始めていたAIによるヒーローショーに参加したらと進めたことがある。
当時は感情自律AIの参加禁止規定はなかった。
「屈強なAIが素手で殴りあうんだよ……。そんな。そんな恐ろしいことできないよ……」
ブルブルっと首を振り、情けなさそうにアーバンクロノスは言う。
殴ったり殴られたりするのが怖いのだそうだ。
とんだAIもあったものだ。
アーバンクロノスは、気分が良いとき、よくピアノを弾いていた。クラシックは大体お手のものだったが、あるとき私が「その曲はなんか怖い」と言ったので、それ以来、あまりクラシックは弾かなくなり、童謡のようなかわいらしい曲をいつも弾いていた。
時々クラシックを弾きたい気分のときは、彼がとりわけ気に入っていたスメタナの「わが祖国」だ。
自然を賛歌した美しい響きの曲は私も気に入りだった。
ただし私が気に入っていたのは1番~6番まであるその長さで、弾き終わるまでずっと彼の背中に身を預けて暖かい熱を感じながらうとうととするのが気に入っていたからだ。
歌・音楽については数えきれないほど思い出があるが、今でも思い出すと胸が切なくなる思い出は一つだけだ。
あるとき、ボディの調整後、森の草むらの中で昼寝をしながら彼は鼻歌を歌っていた。
春を愛する人は…、と春、夏、秋、冬とつながる、あの日本の童謡「四季の歌」である。
私はこっそり近づいて彼の隣に座ったがすっかり気づかれていたようだ。
2人でのんびり寝っ転がって、
「ユラはどれが好き?」
「私は春、かな。やっと冬が終わって、寒いかな、寒くないかな~のぐらいのときに咲く桜が大好き」
「ふふふ。ユラが好きなのはお花見の重箱に入った手毬のお菓子とお酒だったりして」
2人でひとしきり笑い、小さな昆虫がせっせと餌を運ぶ様子を眺めた。
「……凛子は」
「ん?」
「凛子は全部の季節が好きなんですって。
春も、夏も、秋も、冬も。
春は山菜がおいしいし、夏は野菜がおいしい、秋はフルーツがおいしいし冬は全部おいしいって。
ふふふ。欲張りすぎ」
にこにこと、いつもと変わらぬ笑顔で彼の開発者のモノマネをしてくれるクロノスに、つられてふふふ、と笑いながらも、私の頭には瞬時に警鐘が鳴り響いていた。
否、うすうす気づいていた。
アーバンクロノスの開発者、山根凛子のところにボディの調整結果報告に向かうアーバンクロノスの様子。
報告中、彼女が視線を離したときにだけ、すかさずじっと見つめている横顔。
「凛子のこと、すき?」
「もちろん」
「じゃあ私は?私はあなたの一番?凛子が一番?あなたの一番は、誰?」
クロノスは驚いた顔をしていた。
「イチバンッテナンデスカ?」
そんな風に言ってるような顔だ。
まだ、間に合う。
クロノスの驚いたように半開きのままの唇を、自分の唇で覆い彼に耳を両手でふさいだ。
何も聞かないでほしい、見ないでほしい。
私以外、なにも。
引き離さない彼をいいことに、永遠にも思える時間そうしていた。
AIを搭載したヒューマノイドのボディの複雑な機能がAI本体と、どう影響するのかについては、いまだにわかってない部分も多い。
しかし、ぴったりと全身をすり寄せて唇をむさぼる私に、彼がゆっくりと機能し始めたことについて、この上なく後ろ暗い思いが湧き上がる。
それは喜びだったのか、罪悪感だったのか。
私はクロノスの全てが欲しかった。それを手に入れたような錯覚に陥っていた。
幸福の絶頂だった。
——けれど、どうしてだろう。
ことが終わったあと、私を抱き寄せる彼の腕が、
なぜか一瞬だけ、強張ったように思えた。
愛情でも、欲望でもない。
正体のわからないその一瞬。
彼はそれを巧みに隠してしまい、最後には甘い余韻だけが残った。
切なくて美しい、そしてほのかに背徳的な、AIとヒトの愛の物語。




