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エロマンガ家だけど恋がしたい

 ──灯台さんが、好きだ。それは、人生で二度目の告白だった。一度目はそう、高校の同級生。彼は私に付き合ってくれ、と告白してきた。私はその人と交際したのだが、一ヶ月後に「なんか違う」と言われ、別れた。


 ユイチは私と二ヶ月は一緒にいる。過去のケースは参考にならないだろう。つまり彼は、私がどういう人間か理解したうえで告白してきたわけで……。ユイチは私の表情をみて苦笑する。


「……そんな、困った顔しなくても」

「いえ、困ってるわけじゃ」


 考えていたのだ、正確には。いや、確かに私は混乱しているのかもしれない。


「べつに、付き合ってほしいとか言ってるわけじゃないから」

「はい?」

「わかってるから、灯台さんの気持ちは」

「え、ちょっ、ユイチ先生!」


 ユイチはさっさと洗面所を出て行く。追いかけようとしたら、廊下にいる左門と目があった。彼は気まずそうに眉を下げる。


「すいません、聞くつもりはなかったんですが」

 ユイチはすでに、私の視界から消えている。告白しておいて放置とは、いったいどういう了見なのだ。私は目の前にいる男に問う。

「……私、今告白されましたよね?」

「ええ、かなりはっきりと」


 左門は頷いた。


「でも、ユイチ先生、付き合う気は無いって……」

「言ってましたね」

「どういうことなんでしょう? あれですか、レンアイ的な意味ではなく、人間的に好きだってことなんでしょうか?」


 疑問を呈する私に、左門が苦笑した。僕に聞かれても困るなあ。


「すいません、混乱して」

「なんにしても、ユイチ先生とちゃんと話した方がいいですよ」

「は、はあ」


 私は疑問符を散らしながら居間へ向かった。ユイチは食卓につき、普通に朝食を食べている。先ほど告白してきたとは思えない態度だ。何を考えているんだかさっぱりわからない。じーっと彼をみていたら、柚月が声をかけてきた。


「東大寺さん、どうかした? さっきからお兄ちゃんを睨んでるけど」

「う、ううん。なんでも」


 私は慌てて茶碗を手にした。どうしてもユイチに目がいってしまう。うう、この状態は気持ちが悪い。はっきりさせてしまいたい……! 朝食を食べ終えたあと、私はユイチに声をかけようとした。


 その時着信音が響いて、ユイチがポケットからスマホを取り出した。


「はい、市川……あ、はい」


 ユイチはスマホを耳に当て、廊下へ出る。廊下から、ボソボソ話す声が聞こえてきた。10時までに行きます。ユイチはそう言う。一体なんの電話だろうか。通話を終えたユイチは戻ってきてバッグを手にし、


「徳川さんと打ち合わせ。白英社に行ってくる」

「あ、私も行きます!」


 私はカバンを手に、慌ててユイチを追いかけた。駅までの道を歩きながら、先を行く細い背中に声をかける。


「先生、さっきの話ですが」

「灯台さん、どこの部署に配属になるの?」

「あ、ええと、まだ未定です」

「そうなんだ。歴史関係だといいね」

「どうでしょう……」


 ユイチは珍しく饒舌だった。それは、私に告白の話をさせないためにも思えた。駅にたどり着き、長蛇の列に並ぶ。電車に乗り込んだ際、ユイチは人いきれで苦しげにしていた。都心のラッシュに揉まれ、ユイチと私は密着する。脳裏に告白のセリフがよみがえって、なんだかくらくらした。揺られながら、私はユイチに尋ねる。


「先生、大丈夫ですか」

「……吐きそう」


 ユイチの顔色は真っ青だ。あながち比喩でもなさそうだと、私は慌てた。


「え、ちょっと待って。降ります、降ります!」


 ユイチを引っ張りながら人波を掻き分け、ホームへと降りた。真っ青なユイチをベンチに寝かせ、スポーツ飲料を差し出す。


「大丈夫ですか? 水分をとったほうが」


 彼はかぶりを振った。


「なんか、胃がぐらぐらする」

「人混みに酔ったんですよ。私も、そういうことたまにありますから」

「灯台さんは、毎日こんな思いしてるんだね」


 ユイチは腕を額に当てて、ポツリと言った。


「灯台さんだけじゃなくて、西矢さんも、徳川さんも、他のみんなも」

「西矢さんは競馬で息抜きしてますから、除外していいです」


 そう言ったら、ユイチが笑った。さっきから、電車を何本も見送っている。もうすぐ約束の十時になる。


「私、徳川さんに連絡しましましょうか。電話番号教えてください」


 スマホを取り出そうとしたら、ユイチが私の手を押さえた。彼の手は、冷蔵庫の中身みたいにひやりとしていた。


「俺、灯台さんが好きだ」


 いきなりそう言われて、私は戸惑う。さっきは話題をそらしてたくせに。


「好きって言った時、ほんとはすごいドキドキした。だけど、灯台さんが俺を男として見てないって、わかってたから」

「そんなこと、ないですよ」


 ユイチはかぶりを振った。


「海に行ったときに、わかった。全然意識されてないなって」


 灯台さんは俺のこと全然タイプじゃないって知ってた。だから言うつもりはなかったのだと、ユイチは言った。


「左門先生に先越されて、すごく悔しくて、言うつもりないのに、言ってた」

「あれは冗談ですって」

「冗談でも、悔しい」


 ギリアスに行くのは、強くなりたいからだ。ユイチはそう言った。


「俺、灯台さんに頼ってばかりいるから……もっと強くなりたいって思うんだ」

「私は頼られたっていいです」

「でも、俺はそれじゃ嫌なんだ」

「先生……」


 ユイチは私の手を離した。


「先に行って。俺、一人で行く」

「でも」

「今日は、灯台さんとの仕事じゃないから」


 なんだか、突き放されたような気がした。私はもう必要ないんだと言われた気がしたのだ。実際、ユイチは強くなった。相変わらず脆弱だとしても、一人で立とうとしている。広い世界に行こうとしているのだ。だから、私が邪魔してはいけない。ちょうど電車がやってきたので、私は立ち上がる。


「じゃあ、行きます」

「うん」


 電車に乗ると、背後でドアが閉まる音がした。振り向くと、ベンチに座るユイチの姿があった。その姿が、ぐんぐん小さくなる。そうして、あっという間に見えなくなった。


 編集部に向かった私は、上の空で写植指定をしていた。背後に誰かが立った気配がして、ぶわっ、と風が吹く。


「うわ」


 乱れた髪を直し振り向くと、西矢が立っている。彼は小さな扇風機を持っていた。


「おいコラまつり、何ボーッとしてんだ」

「子に巣立たれた親鳥の気分でして……」

「はあ? 何わけわからんことを。これ返本だから縛っとけ」


 私は積まれた雑誌を見てため息をついた。毎度、返本を見ると気が滅入る。読まれないから廃刊なのだろうけど。ビニール紐を引き出していたら、編集部のドアが開き、何か黒いものがのそりと入ってきた。視線をあげると、学生服を着た少年と視線が合う。彼は顎で会釈した。私は目を細める。なんだか、どこかで見たような……。ピンと来て、彼を指差した。


「あーっ! 海にいたクソガキ!」

 西矢が私に知り合いか、と問う。

「ユイチ先生に怪我させた高校生ですよ!」

 西矢は扇子で肩をトントン叩きながら、こちらへやってきた。


「どうしたんだ、少年。子供の来るところじゃねーぞぉ」


 高校生はびくりとして、


「や、ヤーさん?」

「誰がヤーさんだコラ」

「いや、編集長、見た目は完璧ヤーさんっすよ、イタイイタイ」


 余計なことを言った北野が、ヘッドロックをかけられている。高校生は上目遣いでこちらを見て、


「俺、垰修とうげしゅうっていいます。あの、ユイチ先生の怪我、どうですか」

「怪我自体は大したことないわ」

「そうですか」


 修也はホッと息を吐き、ゴソゴソとリュックを探った。


「えっと、俺漫画描いてるんですけど、見てもらえませんか」


 それが目的か。私はびしりと言う。


「ダメよ。うちは未成年の投稿者は受け付けてないから」


 西矢が口を挟んだ。


「それ、エロマンガ?」

「いえ、フツーの漫画です」


 ますます何をしにきたのかと尋ねたい。


「俺が見るわ」


 西矢は修也をブースに連れて行った。


「編集長、何考えてるんすかねえ」

「まあ、結構気まぐれだから」


 北野のぼやきに、南澤が苦笑する。私はコピーを取るふりをしながら、ブースの方に耳を澄ました。西矢は原稿を読み終え、修也を見た。


「あのさ」

「はい」

「まず絵が下手くそだよな」

「……はい」


 修也がうな垂れた。西矢がおかしそうに笑う。


「なんだ、自覚があるんだ」

「他のとこに持ち込んだら、同じこと言われました」

「どこに持ち込んだの」

「ユーリアンです」


 私はハッとした。西矢はそうか、と相槌を打つ。


「ユーリアンは画力重視だからな」

「どうやったら上手くなりますか」

「そんなもん、描くしかないだろ」

「描いてるんですけど」


 西矢はどういう風に練習しているか尋ねた。修也はカバンから本を取り出す。


「まとめサイトに載ってた本見て。筋肉とか、骨格とか」

「これは初心者には高度すぎるな。美大生レベルの書籍だ。解剖学を理解するのは大事だが、デッサンを身につける前に嫌になったら本末転倒だろ」


 西矢は渡された本を置いて、顔の練習をしろ、と告げた。


「顔、ですか?」

「おまえ、初めて会うやつのどこを最初に見る?」

「髪形とか、顔とか」

「だろ? 身体が下手な漫画家は案外たくさんいる。画風によっちゃ、ある程度ごまかしが効く」


 まあ、全身描けるのに越したことはないが。西矢は立ち上がり、用紙を持ってきた。


「これやるから、練習しろ」


 あらゆる顔の角度が描かれた表だ。


「あと、話がユーリアン向けじゃないな。ユーリアンに好きな作家でもいんの?」

「はい、『すくらんぶる!』の……」

「坂下右京か」


 修也が頷いた。


「俺も好きだぜ、あの漫画」


 そう言ったら、修也が目を輝かせる。それからため息を漏らした。


「漫画描いてるの、ダチには言ってないんです」

「なんで」

「なんか、言いづらくて。ダサいって思われそうだし」

「わからなくもないけどな。俺は漫画を描けるやつを尊敬してる。たとえ未熟でも」


 漫画を描くというのは大変な作業だ。だから漫画を完成させるだけでも忍耐と努力が必要だ。


「おまえは漫画を完成させて、編集者に見せた。それすらできない漫画家志望者はたくさんいる」


 ただ中途半端な気持ちでプロを目指さないほうがいい。西矢はそう言った。才能があってもうまくいかないこともある。今の時代は特に、大手でデビューしたからって順風満帆に行くわけではない。出版業界は厳しい。思わぬものが売れて、一時成功したとしても、時代の波を読めない人間は消えていく。ただ、優れた発想や構成力、達者な絵以上に最も大切なことがあるのだ、と西矢は言った。


「なんですか」

「描き続けること。何があっても、何を言われても漫画を描き続けるやつだけが生き残れる」


 だから漫画家は立派だし、特に長く書き続けている漫画家を俺は尊敬している、と西矢は続けた。修也はじっと西矢を見る。


「あの、また原稿を持ってきてもいいですか」

「いいけど、ここ四月にはなくなるからな」

「え……」

「休刊すんだよ」


 修也は視線を伏せ、またあげた。


「でも、また来ます」


 去っていく修也を見て、西矢は目を細める。


「ユイチが初めて来た時、あんな感じだったわ」

「そうなんですか」

「ああ。最初はみんな下手なんだよ」


 だけど最近は、新人を育てる余裕がない。だから最初から上手いやつが圧倒的に有利だ。西矢はつぶやいた。


「だんだん上手くなってくのを見るのが好きなんだけどな」


 私は、積まれた雑誌を見て唇を噛んだ。


「西矢さん、休刊を回避する方法、ないですか」

「ないよ。会社の決定は絶対だ」


 西矢は扇子をパチン、と鳴らした。


「好きに雑誌を作りたきゃ、自分でやるしかないわな」


 さあ仕事仕事。彼はそう言いながらブースを出た。



 翌日、私は紙袋を手にビルの二階へ向かった。二階には、月刊ギリアスの編集部がある。フロアに足を踏み入れると、徳川葵の姿が目に入った。彼女はこちらに気づき、立ち上がる。


「東大寺さん、どうかしました?」

「鍋、お返しします」

「あら、ご丁寧にどうも」


 葵は紙袋を受け取り、にっこり笑う。


「ユイチ先生、どうですか」

「どうって?」

「ネーム、読んだんでしょう」

「あら、気になります?」


 葵は笑みを浮かべ、自身の髪を指で巻きつけた。


「そりゃあ、ユイチ先生はうちの大事な作家ですから」

「でも、金瓶梅ってなくなるんですよね?」

「……よくご存知で」

「ふふ、同じ漫画編集部ですからねえ」


 葵は私の耳もとに唇を近づけ囁いた。


「金瓶梅がなくなったら、ユイチ先生と会う理由がなくなっちゃいますね」

「……ご心配いただき、どうも」


 踵を返そうとしたら、背後から声が聞こえてきた。


「でもよかったわ、雑誌が消えて。エロマンガを描いてたなんて、ユイチ先生のキャリアにとっては汚点だものね」


 私は葵を睨みつけた。


「まだ消えてないわ」

「あら失礼。『風前のともしび』の間違いだったわ」


 葵がくすくす笑う。私は答えずに、ギリアスの編集部を出た。

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