どこかで誰かが始まる時
本日二回目
「『狐』が死んだ? ふぅん」
ホテルの一室。ダブルベッドの端に座り上半身裸の男は報告に驚いた風もなく報告を受けていた。
三十代半ばの、端正な顔つきをした男だ。身体には無数の傷痕。そして、背中には鬼の刺青が彫られていた。
琥珀色のアルコールの入ったグラスを手に持ち、口に含もうとして、やめた。ベッドテーブルに置いて電話口に耳を傾ける。
『死体は回収できないそうっス』
「いらない。ならマキも一緒に死んだか」
『そのようですねえ。あなたの言いつけ通り、『狐』を口封じしてから死んだようで何よりです。今のところ情報の漏れはないので』
雑魚は何人か生きているようだが、男のことを知るのは『狐』のリーダーだけだ。
いざとなればまた姿を隠すだけ。
「あーあ、惜しい部下失くしたなぁ」
感情の欠片も込められていない声音で死んだ女を惜しむと、グラスに浮かぶ氷を指先で沈めた。
『狐』のように己の保身のためだけに動く人間は捕まればペラペラと情報を話してしまうタイプだ。だから口封じをさせるために一人仲間も同行させた。
『まったまたぁ。邪魔だったから体よく捨てただけでは?』
「あっはっは。あそこまで狂信されるとこっちもなかなかウザくてね」
『計画も失敗しましたけどいいんスか』
「失敗する前提だったし」
『うーわ、悪い人だ』
「ぶっちゃけていえばこっちの甘い蜜目当てで来るような外部からの支援はいらないんだ。おれたちは内部から固めていく。かつての『鬼』のように」
一度殺されかけた苦い思い出はあったが、それでもあの体制には見習いたいところだった。
外部の人間は裏切りに走りやすい。選択肢があるから、より安全な方へと流れていく。
ならば選択肢を一切なくし、内部を強めていった方がはるかに戦力として使える。
『こちらもあなたに捨てられないことを願いますよ。それじゃあ、また』
電話を切るとそれまで後ろで黙っていた全裸にシーツだけを巻いた女が男の腰に抱き着いた。
甘えるような上目遣いとともに女は唇を尖らせた。
通話している間につけたのだろう、情事中には無かった長いピアスがシャラシャラと涼しげに鳴った。
「また仕事の話?」
「仕事をしないとおまんまが食えない」
「ちょっとはわたしに構ってくれてもいいのに」
「さっきあんなに構ったのに? なんならもう一度してもいいけど、どう?」
肩についた噛み痕を撫でる。
女は顔を赤らめて立ち上がると、「シャワーを浴びてくる」とそそくさと逃げてしまった。
変なところで純情だ、と男はため息をついてもう一度スマートフォンを見ると写真が添付されたメッセージが入っていることに気がついた。
差出人は先ほどのフリーの情報屋から。
『これしか入手できませんでした。ビルから出て来た人間です。詳細は不明。なにかの参考になれば』…そんな文面と共に送られている写真を開く。
何の気なしに眺めて、次の瞬間に目を見開いた。
隠れたところからこっそりと撮ったのだろう。
数日前の立てこもりが起きた時に撮られたもの。
どうみても対テロの特殊部隊には見えない彼らがなぜどうしてここにいるかは不明だが――。
人混みと、ブレと、ピントがボケて鮮明とはとても言い難いものであるが。分かる人間には分かる。
少女と、その横を歩く青年。
どちらも視線はこちらに向いていない。
それでも十分だった。
「…驚いたな」
当初の予定の倍は情報料を増やしてやらなくてはいけない。
それほどまでに貴重なもの。
「ずいぶん面白い組み合わせだ…。これは『国府津』の…? 一戦交わしたかったなぁ…いや、上手くいけば交わせるな」
早くなる鼓動を感じながら、夢見心地で呟いた。
あの夜の祭りに加われなかったことを今更ながらに強く悔いる。
「そして…生きていらっしゃったんですか。『鬼姫』さま」
かつて『鬼神』と呼ばれた男は、愛おしげにディスプレイを眺める。
そして男は濡れた指先で青年をなぞる。青年の首に一本の線が引かれた。




