十八話『ナイフ!投げて!いきます!』
一回目
歓迎されていないのはすぐわかった。
しわの刻まれた顔にはこちらへの親しみが一切ない。
姫香さんが百子さんと所長の前に出る。
僕はいつ何が起きてもいいように神経を研ぎらせる。咲夜さんも一緒だろう。
これで自爆目的なら手の施しようがないが。
「人質の回収か? まだ二十五階にいるぜ。さっさと救助に行ったほうが良いと思う」
「なんだ、あちらも生きていたのですか」
「残念なことにな」
所長はニヤニヤと笑う。
「あんたはなんだ、誤算があるだからどうにかしてくれと雇い主に泣きつかれたか」
「どうも、一樹様を脅しつけましたようで。それも正規ではない方法で」
所長の弁にはのってこなかった。
当主の秘書だけあって、メンタルが強いのだろう。
「許可を貰いに行っただけだ。それに――正規な方法でいけるのは同レベルかそれより上の人間じゃないと無理だろう?」
「それもそうでございますね」
では、と主に忠実な秘書は言う。
「わたくしも、正規ではない方法であなた方とお話をいたしたいと思います」
襟元から出されたのは拳銃だった。
この日本においてほいほい武器が取り出されるのはどうかしているのではないか。
うちの事務所も人のこと言える立場にないけど。
「そうなると思ったよ」
余裕を崩さず、けらけらと笑った。
一歩間違えれば撃たれるかもしれない状況だというのに。
ああ、でも――こういう時にそんなことするのが所長なんだよな。いつもの太々(ふてぶて)しさが戻って来てなによりだ。
「ヒメ、そこ動くなよ」
「うん」
所長はそっと百子さんを床に下ろすと秘書と改めて対面した。
「そっちの考えはとっくに分かっている。モモを殺してオシマイにするつもりなんだろ」
「…なれば何故、そこのお嬢様を最も危ない位置に立たせているのでしょう」
「盾だよ。ちょっとは防げるだろ」
なんてことないように彼は答える。
盾って。この状況じゃなければ一発殴っていた。
姫香さんは元からそのつもりだったのか身じろぎもしない。
「失礼ながら…頭がおかしいのでは?」
「お宅らには言われたくないね」
組織的に頭がおかしいのと個人的に頭がおかしい人たち。
どっちもどっちだな。
「モモが死ねばそっちには安泰が訪れるのか?」
「その通りでございます」
「分からんね。こいつが相当な野心家だとは思えないが」
「野心をお持ちであろうがなかろうが、我々には関係がありません。存在が邪魔なのです」
「はぁん」
所長の眼がかっ開いた。
やめてくれよ、ここで殴りなんてしたら僕たちは『鴨宮』と全面戦争にもつれ込むかもしれないのに。
「いきなりそうせざるを得ない理由があるんだな。それも大慌てで。後始末はそっちの得意分野だけど、身内が直接手を汚すわけにはいかなかった」
「…さて」
「五年前は、そうだな…鴨宮一樹が当主についた頃か。だからモモに毒を煽らせた。まさか当主より賢い腹違いがいるなんて分家にも言えないもんな」
目の前で殺しておけば後後生きていましたなんてトリックも使えないから。
「今回は? 当主になった以上に、なにかあるな? 今回の会議の奴らも実質不要な奴らだったそうだな。あれもカモフラだろ、椎名百子を殺すためのさ。あいつだけが突然殺されるのは不自然だもんなぁ」
「…三四子様の手引きですね」
「三四子? …誰だそれ。そんな彼女はいないぞ」
すっとぼける。
ばれたら被害を蒙るのはあちらだからな。
本気の演技すぎて実は本当に忘れているのではないかとすら思うぐらいだ。
「ま、お前にワンワン吠えても仕方がない。いいからそこを通してくれ、家帰って寝たいんだ」
「…そうですね。では、」
「ではっ!」
ひき金に指が触れる寸前に銃にナイフがあたり、甲高い音がする。ぽろりと手から零れた。
秘書は信じられない様に床に落ちた武器たちを見た。
「サンキュー、サク。わりと遠かったのによく当てたな」
「…いえ、あれ、私じゃありません」
「は?」
「僕でしたけど…なにか不味かったですか?」
「は?」
ええ、なにその反応。
もっと褒め称えてくれてもいいのよ。
別に簡単な話だ。咲夜さんの腰に吊るしてあったナイフを勝手に借りて、投げただけ。
投げ方は咲夜さんのを参考にした。本当は手に刺さってもらいたかったけど、初めてでこの状況にしては上出来だろう。
予想したよりも場のテンションが上がらなかった。




