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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
三章 レーゾンデートル
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十七話『雲行き』

「所長、生きてます?」

「生きた心地がしねえわアホ」


 軽口叩けるなら大丈夫だな。

 尻餅をついた所長が首を後ろに反らし長々と息を吐いた。その少し後ろで姫香さんが百子さんを庇うような体制で目の前に広がった赤を見ている。


 女が狙ったのは所長ではなく、小心者オーラ丸出しの男だった。

 あれはもうわざわざ確認するまでもなく死んだ。脳みそが少し垂れている。


 あっちのことはあっちにまかせるとして。

 仰向けに倒れている女の傷口を観察する。よもや死んだふりをしていないよな、と傷口に触れてみたけど反応の一つもしない。死んでいる。

 一応、なにか所属していた証のようなもんがないか探してみたけれど見つからない。

 引っぺがしたら何か分かるかもしれないが、装備を外すところから重労働だ。さすがにそんなことする時間は無いに等しい。

 仮にそんなことをして鴨宮一樹に騒がられるのも嫌だ。


 ならばここで打ち切りにしよう。

 何か重大なものが見つかる可能性だってあるが、それでどうする。これでも僕は出来るだけトラブルを避けたい体質なのだ。

 こういうもろもろは所長の仕事じゃないか。多分だけど。


 記憶が戻るにしても――こんなところから解けていくとなるともしかしたら知らんふりを続けていた方が楽なのではないかと、そう思ってしまう。

 事故で記憶を失くしたようだと医師に説明された。そして、普通はすぐに戻るものだとも。

 あれから一年と数カ月がたっているが、断片的なフラッシュバックしか起こらず未だに苗字も実家の場所すら出てこない。

 この手にあるのは人殺しの術だけだ。

 脳が無意識に逃げているというなら、僕の意思もそれに従うまで。

 記憶の為に精神を壊したくはない。


 僕は立ち上がり、いきなり起きて反撃してくるような人間がいないか見て回った。

 いなかった。

 どれもきっちり生命活動を停止している。


「いきなり俺の前でこいつの頭はじけ飛んだんだけど、なんか知らない?」


 事態がまだ呑み込めていない所長が僕と咲夜さんに問いかける。


「僕と対峙していた人がいきなり撃ちまして」

「ならば、口封じですね。所長。この人何か言っていませんでした?」

「言っていた。口が軽そうだったからいけると思ったんだけどな…」

「だからでしょう。なんと言っていましたか?」

「法案云々での立てこもりはただのカバーストーリーだった。それはいい。問題は『狐』について話そうとした直後に死んだことだ」


 どちらにしろ、殺されていたことには間違いがないが。

 …『狐』。


「『狐』? ええと、なんですか、それは」

「腰巾着ですよ」


 朦朧としている百子さんを除く全員の眼が僕を見る。


 知っている・・・・・

 脳みそに刻み付けられているかのごとく。

 疑問が湧く。どうしてこんなことを僕は知っているのか。


 どうして? だって、ずっと・・・調べてきたじゃないか。

 芋づる式にこういうところも出てきただけで、本命はもっと別のところにある。


 …本命ってなんだ。

 頭痛がひどくなってきた。こめかみを押さえつつ、飛び散った脳髄を眺める。


「…権力に群がり、恩恵を受ける代わりに庇護を求める下種な連中。元は名もない塊でしたけど、揶揄された名前を連中たちが気に入って使い始めた感じですかね」


 アリマキにたかる蟻――というのはちょっと違うか。

 戦力を貸す代わりに、権力を借りる。


「『虎』は『狐』、『龍』は『蛇』、『鬼』は――」

いなかった・・・・・


 姫香さんが小さく呟く。


「そう、いなかった。『鬼』は『鬼』で完成していたんだ…ただひとつの個として」


 あいつはだれにも頼らなくていい強さを求め続けた。

 そして『虎』『龍』が滅した後も力を失わずに存在し続けることが出来たのだ。

 やがて先に潰された二グループの生き残りも加入したのではなかったか。


 別に雑魚が増えようが関係のない事だ。僕は、ただ、僕は――


 それ以上は駄目だというように耳鳴りが激しく鳴り響く。

 姫香さんが手を伸ばし僕の頭を撫でた。どこか怯えを含んだように、触る。

 頭が万力で絞められたような感覚の後、徐々に頭痛が止んできた。

 姫香さんに撫でられたよりは、どちらにしろすぐに終わるものだったのだ…本当に、迷惑な体質だ。


「姫香さん、もういいです…痛くないので」

「そう」

「ツル」

「問題ないです。めっちゃぴんぴんしてます」


 それだけしか言えなかった。

 咲夜さんが難しい顔をしたが、なんでもなかったように表情を無に戻す。


「……早く出ましょう。今はとにかく、脱出して百子さんを病院に」

「ああ、そうだな。モモ、行けるか」


 所長は百子さんの腕を自分の肩に回して立ち上がらせた。


「…置いてってよ。あたしがまだ生きてるなんて一樹に知れたら…」


 百子さんは呻きながらゆっくり首を振る。

 あの長い髪がざっくり切れていることに今気がついた。


「というかさぁ、退職届出したのに、今更君たちと合わせる顔がないっていうか」

「うるせえな。勝手に出ていった馬鹿を勝手に追いかけてきたんだ。こっちの勝手だろ」


 それに関しては異論なし。百子さんをここに置いて行くなら最初から動いていない。

 有無を言わせず所長は歩き出す。いや、引きずるの方が正しいか。

 そしてエレベーターボタンを押した。

 あまりに自然な流れすぎて見落としかけた。


「ちょ、危なくないすか!? 今まで必死に上りましたよね!?」

「待ち伏せを考えてのことだったろ。一階に行くだけならこっちのほうが早い」

「襲撃されたらどうするんですか!」

「そのときはあんたらの出番だからな。よろしく」


 百子さんを救出出来たからか思考が停止気味じゃないのか。

 でも確かにあとは降りるだけとは言っても、階段はバリケードもあるし時間もかかる。

 多少の危機は覚悟して時間短縮を狙ったほうがいいのか。しかしな、


「早く乗れ。階段使いたいならいいぞ」


 もうカゴが来てしまった。

 どうせ十数秒、もう腹をくくって乗るしかない。

 いつでも撃てるようにし、扉側に立つ。これでなにが起きてもすぐには動けるはずだ。はずだと思う。


「…ねえ、なんかこの中、変に煙いんだけど…?」

「雲の赤ちゃんだ」


 壊滅的に下手くそな言い訳と共に、真っ直ぐに一階までたどり着いた。

 途中で止められてハチの巣だとか、そもそもエレベーターに閉じ込められることも予想に入れていたけど。

 もうそんなことをする人間が残っていないのかもしれない。

 心配して損した。杞憂に終わったことは喜ばしいが。

 

「表からはさすがに出られないよなぁ。裏口は?」

「地下駐車場があったはずです。そこから抜けられませんか?」

「そうだな。外に行く前にまずざっと返り血を拭ってから……」


 所長の言葉がぴたりと止まる。

 廊下の先、出口を塞ぐように立っていたのは、初老の男性だった。


「まさか、皆さまそろってご生還とは――わたくし小杉、少々あなた方を見誤っていたようです」


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