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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
三章 レーゾンデートル
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十五.五話『狐』

気分のよろしくないシーンがあると思います。

 『狐』の中谷はひどく焦っていた。

 この焦燥感はかつて懇意にしていた『虎』が何者かによりたった一晩で壊滅したとき以来ではないだろうか。


 虎の威を借る狐。

 まさにことわざのどおりに引っ付いていた。それが彼なりの生き方だったからだ。

 弱いものが強いものにたかって何が悪い。強いものは何時だって正しいというのに。


 だというのに。

 一瞬でその考えは崩されてしまった。


 続けて『龍』『鬼』も消えうせた。

 もはや後ろ盾は無い。今まで足蹴にしていた人間がぎらぎらとした目で中谷ら『狐』を追い始めた。

 何人殺されたのか数えるのも難しい。生きている人間を数えたほうが早いだろう。

 どうにか生き延びて数年、とある人間に拾い上げられて――やっと。平穏が訪れようとしていたのに。

 現場に出るなど慣れないことをしたせいか。

 いや、もしや拾い上げてくれた恩人は捨て駒としてここに彼を置いたのか?

 よく考えれば提示されたこともどこか穴があるような気もする。

 疑問は尽きない。


「…クソ!」


 怒りを込めて足元に転がる人間を蹴る。

 わずかなうめき声が上がった。

 それは、後ろ手に縛られてその指のうち二本は爪がない。

 露出しているところは痣だらけだ。

 拷問というなら拷問だった。ただし、吐き出す情報がないと知ったうえでの。


 この人間も中谷の焦りの一つだ。

 名前は何と言ったか。

 女の名前のくせに実際は男の身体。

この状況でまさかヤろうとまでは考えなかったが、期待してひん剥いた時のがっかりときたらなかった。

 若くしてこのような――最も中谷はどういった集まりかは知らない――会議に出席しているという羨望。負け犬のような人生を送ってきた彼には嫌がらせのような存在だったのだ。

 一言でいえば、どこまでも気に入らない。

 元から何人かは殺そうと決めていたので、その栄光のある一人目に選びとった。


 だが。


 交渉人との通話に割り込んだ人間は、『我々は屈しない。人質を殺してもこちらは言いなりにならない』と言い放った。

 訳が分からない。

 挑発にしてはあまりに淡々としていた。

 そんなに簡単に首がすげ変わってもいいものなのか?


 ———裏事情を知らない彼にとってはなにもかも理解しがたいだろう。


 さらには階下に配置させたチームから一切の連絡が来なくなった。

 どれもそこそこには強いはずだ。

 裏切ったか? しかしどこに逃げ場があるという?

 ———逃げ場?

 青ざめた顔で中谷は今更ながらに気付いてしまう。

 交渉がうまく行く前提で話を進めていたつもりだったが――うまく行かなかったら?

 この高さから逃げ切れるか? いやまさか、そんなこと人間離れしている。


 そもそも計画を立案したのは恩人だった。

 金が必要で、しかし今動けない。そちらがこの計画をうまく果たしてくれたなら庇護下に入れようと。

 そんなことを言っていた。武器もくれた。情報もくれた。

 失敗前提ならばこんな無駄な事を元からやらせないだろうと考えて。さらに嫌な考えがこみ上げる。

 …あの恩人はまさかゲーム感覚でしか自分たちを見ていない? そうだ、仮に『狐』が死んでもあちらはゼロになるだけでマイナスではない。

 痛い目を見るのは『狐』だけ!


「クソ!」


 ぐっと男の髪を引っ張る。

 まるで女のように手入れされた長髪。

 目障りだ。


「ここで殺してしまうのですか?」


 部下が止めるが「違う」と吐き捨てた。

 なにかしていないと堂々巡りの思考に飲み込まれそうだったのだ。

 髪を一つにまとめながら端正な顔にささやきかける。


「知っているか? ギロチンにかけられる人間はみな髪を切られたんだよ…邪魔だからな」


 お前も直にそうしてやると言外に含んで。

 男は腫れた頬を引きつらせ笑みの形にした。


「…子供でも知っているような豆知識を披露して恥ずかしくないの?」


 カッときて頭を床にたたきつける。くぐもった悲鳴。

 生え際のあたりにナイフの刃を当て乱暴に切り取った。

 周りで見ていた部下たちがあんぐりと見ている。


 髪の房を投げ捨てて中谷は笑う。わずかながらの征服感、それに伴う余裕。

 伸ばすということは長期的な労力を使う。それを短時間で切り取ったのだ。

 時間を奪い取ったような錯覚を覚える。


「おまえの死が俺たちの本気だ。これで連中もやっと思い知るだろう」

「……存在意義のない人間なんて死んでもね…」


 意味の分からないことを言う。

 どうせ足掻きだろう。そう判断する。

 さて、どう殺そうか。首を切り落とすのもいい。頭を弾け飛ばすのもいい。

 ふと、首を切り落とすのは『鬼』の処刑方法だと思いだす。生首だけはきれいにとっておき、それより下はめちゃくちゃに傷つけるのだ。

 ならばその方法で行こう。

 だって、恩人は『鬼』のかつての右腕だった――


 乱暴に非常階段の扉が開けられた。すぐそばに立っていた部下がぶつかって倒れる。

 現れたのは四人の人間。


 スキンヘッドの男。

 両脇には女と青年。その後ろには少女。

 一目見ただけではなんとも頼りないひとつのかたまりにすぎない。


 だが中谷には分かる。血の匂いが尋常ではなかった。

 まさか、まさか階下のチームはこいつらに殺されたというのか?

 推測がまさか当たっているとは夢にも思わない。


 スキンヘッドの男はきょろきょろとした後に、中谷を――正確には中谷の下を見た。

 つられて視線を下げる。

 髪を切り落としたばかりの男がいるだけだ。


「サク、ツル。俺あいつ担当するからあんたらは適当にやっといてくれ」

「はい」

「了解しました」

「ヒメ」

「うん」


 言い終わるが否や、中谷の周りで赤い花が咲き乱れた。

 意味が分からない。何が起こっているか認めたくない。

 指にはめたメリケンサックを光らせながら、スキンヘッドの男は言った。



「楽に死ねると思うなよ」






(これがノクターンならもっと大変だった)

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