十一話『(不名誉な)理解のある職場です』
一体所長がどういう交渉をしたのか、僕たちはビルの中にいた。
武装集団から人質を取り戻すというのが今回のミッションだ。
どこをどういいように解釈しても探偵の仕事じゃない。今更過ぎるか。
念のために言っておくが、僕らは同意したうえでここにいる。嫌がる人間を引っ張り出すほど所長もゲスではない。
…全員から同意が出るのもなかなか頭のおかしいことだな…。
『お兄ちゃんが退職届出したの、もしかしたら自分は死ぬという覚悟があったと思う』
無線機を使う距離にはいないらしく、スマフォ経由で三四子さんは語る。
ちなみに先ほどまで短いながら説教を食らっていた。理由はもちろん所長が突拍子もない行動をしたからだ。
『…お兄様に呼ばれた時点でそういうことは考えてもおかしくないもの』
「別れの手紙の代わりに退職届たぁ、ジョークが効きすぎているな」
『まー、半分はマジで辞めたかったんじゃない? ぶっちゃけ私だってこんな突拍子もない人間についていきたくないし?』
ぶっちゃけすぎだろ。
もちろん冗談だろうけど。冗談だよね。
咲夜さんが姫香さんに防弾チョッキを着せている。ちゃんと着れたか確かめた後に、咲夜さんも自分をチェックしはじめた。
この子一体何本ナイフを仕舞っているんだろう。さっきから数えてみても十を超えるんだけど。
「……。この件は後にして、どうだ。なんか掴めたか」
『十五階から下の人は自力で逃げ出せているんだよね。外部からの連絡で慌てて逃げだしたらしいよ。武装集団と会わなくて良かった』
「と、なるとそっから上か…」
『犯人は逃走用にヘリを要求している。…最上階を当たってもハズレはないはず』
「サンキュ。どこまで好き勝手やっていい?」
『できるとこならどこまでも。できれば仲間割れしたように見せかけてほしいなー。後片付けしやすいから』
つまり、殺しても構わないと言外に伝えている。
異常だよなぁ。
僕がそんなこと言えるはずもないけど。
「分かった。じゃあな、また後で」
『気を付けて』
スマフォを仕舞うと、所長は背を伸ばした。
「行くぞ。用意は出来たか」
○
エレベーター…はさすがに使えないので、その横にある非常階段を使う。
十五階までなら大丈夫だろうけど、エレベーターに罠が仕掛けられていないとも限らない。
カゴが落ちたらジャンプすれば助かるというが、あれ物理的にはそんなことなく普通に死ぬらしい。怖い。
「休み休み行こう。モモを助ける前に息も絶え絶えになっちゃつまらない」
恐らくは姫香さんを案じているのだ。
彼女はあんまり体力ないから。さらに重い防弾チョッキなんか着ていては負担も増えるだろう。
そんな事言っている所長も大丈夫かな。銃火器なんて重りを身に付けているわけだし。
踊り場で数呼吸休憩というのを繰り返すうちに、十六階までついた。
案の定、城野義兄妹は疲労が思いっきり溜まっていた。
「情けないですね」
「どんだけっ、元気、なんだよっ!」
確かに僕と咲夜さんはそんなに息も乱れていない。せいぜいウォーミングアップ程度だ。
補給にと咲夜さんはふたりに飴を渡す。僕ももらったが、食べる気はなかったのでしまう。
「身体作ってますから、私は。ここで待っていてください。もう問題の十五階より上の階です、何かないか見てきますね」
「おう…。ツル、ついていってくれ」
「え、でも大丈夫ですか。非常階段に誰もこないとは限らないですし」
「駄目ならそっちに転がり込むからよろしく頼む」
まあ、そんな状態で偵察も危ういか。
咲夜さんと目を合わせると非常階段の扉を開けて、そっと中に入る。
誰もいない。
この階はまるまる喫茶店なのか、テーブルとソファが一定間隔で並んでいた。
僕が先頭を、咲夜さんが背中でできる限り全方位を見張りながら進む。
…いないのか?
緊張を解きかけた時だった。
奥から人の気配を感じて咄嗟に壁に隠れる。後ろの咲夜さんも同じように動いた。
「誰だ!? こっちの人間じゃないな!?」
ばれたか。しょうがない、油断しかけた僕が悪いのだから。
カーペットで音が吸い取られて分かりにくいが、こちらに近寄ってきている。
のこのこと来るか、普通。それともこのような心理を組んだ上でのトラップか。
「引き寄せます」
咲夜さんに宣言をした。
迷う素振りの後、彼女は頷く。
一歩、二歩ーー音が近くまで来た。
息を深く吸い呼吸を落ち着かせる
「…待ってくれ。僕は死にたくないんだ」
声が上擦る。恐怖で怯えてると解釈してくれることを願う。
うまく演じられていると良いのだが。
足音が止まった。
「……ここに勤めている人間だな?」
「そうだ」
「手を上げて出てこい。不審な動きでもしたら、撃つ」
言われた通りに手を上げて壁から身を出す。
相手が反応をするより先に、飴を――さっき貰ったものだ――を相手の顔に投げつける。
「うっ!?」
さて、今ので何コンマ僕から目を離したのか。
わずかでも時間があれば――こちらの勝ちだ。
二歩踏み込む。
利き足を軸に、向けられた自動小銃を蹴りあげる。天井に当たる音。靴の重さによって勢いがつく。
その勢いを保ったままに腹に足底を叩きこむ。ぐにょ、と柔らかい感触。
彼はまるで人形のように吹っ飛ぶと床にたたきつけられた。
「手荒ですまないけど、聞きたいことがあるんだ。君の仲間は…」
襟首をつかんで顔を僕の方に向かせようとしたが、頭がくたりと後ろに落ちる。
虚ろな瞳、だらりと開かれた口、弛緩した舌。
喉の奥で血が溜まり、肺から出てきた空気がぼこぼこと弾ける。
そっと人差し指で眼球に触ると反射で閉じることもなく大人しく撫でられていた。
ああ…。
「…ごめんなさい、殺してしまったようです」
「…そのようですね」
「人間ってこんなにあっけなく死んでしまうものかな…?」
「夜弦さん、聞こえなかったなら教えますが蹴られた瞬間いろんなものが潰れる音がしましたよ」
とにかく死んでしまっては仕方がない。
遺体を漁ると無線機が出てくる。映画ならここで応答を呼び掛けてくるが今はそんなことは無い。
とはいっても定時連絡ぐらいは義務付けられているだろうから油断はできない。
「何があった?」
非常階段の扉がわずかに開き、所長が顔を覗かせる。
「いや、その、ちょっと話を聞こうとしたら死んでしまって…」
「…あんたが思わず殺してしまったんじゃなく?」
不名誉な理解をされてしまっていることに今気づいた。




