十.五話『負け犬は吠える』
城野は厳つい顔をさらに歪めながら人混みの中を分け入っていく。
迷惑そうに顔を向けた野次馬がその表情を見て小さく悲鳴を上げるが彼はそれどころではなかった。
目指すは鴨宮一樹の元へ。
見つかるはずだと漠然と思っていた。お忍びで来たのならばあのきょうだいにもそもそも感知されていないはずだ。
となると、現場を取り締まっている人間の元にいるのだろうと見当をつけている。どう情報を得たのか聞いておけばよかったが、今連絡しても怒鳴り散らされるだけだろう。
――城野は、自分が思う以上に思考が止まっていることに気づいていない。
一樹が見つからなければどうするのか、会うことによりこちらが不利になってしまうのではないか。そのようなことまで考えに至っていなかった。
普段ならば椎名百子がそれに気づかせ、あるいは支援していくのだが――肝心の彼がいないのだ。
「所長」
「なんだ」
後ろから追いかける咲夜が声を掛ける。
その胸にはいつの間に付けたか、金色に光るバッチがつけられている。
『国』の字を抽象化させたデザインだ。
これが先に言っていた見つけるのに手こずった探しものだ。公の場でつけるものだが彼女の役割上この二年はつけていなかった。
「鴨宮一樹に会うとき、私を部下ということにしてください。現に今もそうですけど」
「理由は?」
「ご存知の通り、私は『国府津』です。『鴨宮』の天敵と言っても過言ではありません」
「ああ」
「その『国府津』を従えている、どういう意味か分かりますか?」
「…奴らよりも優位に立てるってことだな?」
「はい。どうせ後で調べてしまえば関係は嘘だって分かります。しかし大事なのは今です。一時的にでも彼らを黙らせれば、こちらのものです」
城野は咲夜の目を見た。
黒曜石のごとき瞳が、狂気に落ちかけている男を見つめ返している。
「ずいぶん協力的じゃないか。今回は夜弦には関わりがないのに」
「私とて人の子ですから」
二人の足が止まる。
急ごしらえのの対策本部を見つけたのだ。
○
対応した警官は当たり前だが『国府津』の名前を知らなかったが、重要な客だと察したのか思ったよりも簡単に案内された。
あちこちでバタついており先ほどから人間の出入りが激しいからかチェックが甘いのかもしれない。
この場で一番大きい車に近寄る。そばではテーブルが広げられ、機材が転がり、人が集まり小規模な会議が行われていた。
見張りとして立っていた警官たちに止められたが無視して突っ切ろうとする。その後ろで咲夜は呆れた顔をし、ビルの内部にいる人物の知り合いだと話し城野の歩みを止めさせない様に計らった。
「鴨宮一樹はいるか」
反応したのは青年だ。
青年…一樹は突然の闖入者に眉を顰め、それから思い出したのか驚愕に顔を染める。
「よう、葬式ぶりだな。五年前だ」
「お前は…」
テーブル周りにいた他の人間はただならぬ様子に口を閉ざした。
そもそも『鴨宮』自体がピンときていない。上に連絡をしたら「丁重に接しろ」と言われたぐらいで一体どういう者なのか知らないのだ。
「城野…、城野だ。あんたの兄と仲良くさせてもらっている」
「俺には兄などいない!」
沸点が低い。
当主としてそれはどうかと思いつつ本題に入る。
「さておき、人が死んだ。椎名があの中にいる。お偉いさんもいるんだろう?」
視線は一樹から逸らさない。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、そっちの番だとターンを譲る。
「か、鴨宮さん。お偉いさんってどういうことです? 従業員のことですか?」
発言したのはテーブルを囲んでいた一人だ。他も頷く。
思わぬところからボロが出た。
どうやら情報を最小限に絞って話をしていたらしい。
いくらなんでも作戦本部の人間にまで隠したがるものなのかと城野は考える。この件に少なからず青年が噛んでいるとしてもおかしくはない。
「こんなばかに騙されるな。中にいるのは定時で上がっていなかった人間だけだ。価値のある人間などいない」
「だから嫌なんだよな、『鴨宮』は…」
ナチュラルに人を見下すのが欠点だろう。
葬式の時もだいたいみんなそんな感じだった。百子は離れて暮らしていたから影響はないに等しく、三四子はあの一族では異常なほどに良心がある。
価値のある人間がいない、というのはあらゆる意味で本心に違いない。
「ま、いいや。話を戻すぞ? なあ、そこまで馬鹿どもがさんざんやっているのに助けの動きが遅くねえか?」
ハッタリだ。
このようなテロや立てこもりを専門にするプロが到着するまで実際どの程度の時間がかかるか城野には知る由もない。
もしかしたらここへ急行している真っ最中なのかもしれない。
ひくりと一樹の頬が痙攣した。あたりか、はずれか。後者ならさっさと否定したほうが良いものを。
「これだけ答えてくれ。鴨宮一樹。あんたは犯人の要求をのむか、のまないか?」
ちなみにこの時点では犯人の要求を城野は知らない。
ほとんどでっちあげだ。悟られないように自信たっぷりに語ることしかできない。
「……」
「もしのみたくないっていうなら、突入の先発を俺たちにさせてほしい」
「…は?」
ハトが豆鉄砲を食らった顔をした。
というより、その場の全員がそんな顔をした。
「そっちはしがらみがあるだろ? なら、自由に動ける俺たちがぱぱっと行けば――早くね?」
所員に聞かせたら罵詈雑言の嵐になるだろう提案の仕方だった。
一樹は顔色を赤くさせたり青くさせたりとせわしく変え、まさに怒鳴ろうとした時だった。
「城野様。お話は終わりましたか?」
丁寧な口調で呼びかけ、咲夜がそっと城野の後ろに立つ。
それからさりげなく、胸元のピンを見せつけた。一樹の眼が見開かれる。
「いいや。ちょっと難航している。待ってくれ」
「左様でございますか。かしこまりました」
「な…な…『国府津』が何故…」
面白いほど餌に引っかかってくれた。
そのピンが偽物であるとも限らないのに。
もっとも『国府津』など騙ろうものなら即座に本物によって厳粛されるのがオチだ。
「ちょっと借りていてな。こいつなかなか強いんだ。心配しなくていいぞ」
「どうして…借りる…借りただと……?」
「それで、させてくれるのか? くれないのか?」
借りているのは事実だが答える気はない。
むしろ混乱している今なら話を通しやすいと判断し城野は返事を急かした。
一樹は、闖入者と『国府津』の顔を見比べた。
そして唇を噛みしめる。
逆らえない。『国府津』には。そしてそれを従わせるこの男には。
「…いいか、こっちは一切関与しない。だがふざけた真似をしてみろ、出口で即殺す。その前に死んでいるかもしれないけどな」
「ありがとうございまーす」
子供じみた嫌味を流して、城野は踵を返した。
許可は貰ったようなものだ。それに、彼は念のために懐に録音機を忍ばせている。
探偵として身についた習慣だった。
その背中に噛みつくようにして一樹が吼える。
ほとんど負け犬の遠吠えだ。
「…よほどあの男が好きなようだな! 愛しくてたまらないか!」
城野は顔だけで振りかえって口元を釣り上げる。
「そうだよ。大好きだ」




