八話『ノイズ/追跡/依頼』
まんじりともしない空気の中、ただただ連絡を待っていた。
テレビを一応はつけているがその騒がしさが一層事務所の静寂を引き立たせてしまう。
所長は突っ伏している。寝ているのかどうか。
咲夜さんは先ほどから何かを悩んでいるようだし、姫香さんはさっき下の店を閉めるために出ていってしまった。
いなくなって初めて、百子さんがかなり盛り立ててくれていたんだと気付く。僕含めどいつもこいつも難がある人間ばかりで、一つにまとめるのは大変だっただろう。
「…所長。生きてますか?」
「……」
「へんじがない。しんでいるようだ」
「殺す」
生きていた。
それにしても気が立っている。
「どうしたんですか所長。らしくないです」
「この状況でいつも通りだったら頭おかしいだろ」
「…そりゃそうですけど」
所長は身を起こし、頬杖をつこうとして見事に失敗しそのままデスクにつんのめった。
ごちりと痛そうな音がする。
宙を眺めていた咲夜さんはこちらを見ると何やってんだと言わんばかりにため息をつく。首を鳴らしながら立ち上がり近寄ってくる。
「気を引き締めすぎるのもどうかと思いますよ。今そんなことで疲れている暇ではないでしょう」
「分かっている。事務所を飛び出さないだけ良いと思ってくれ」
咲夜さんもこんな弱っている相手をさらに追い詰めるほど鬼畜ではないらしく、肩をすくめただけだ。
そこに姫香さんが帰ってくる。二人の顔を見比べ、喧嘩している雰囲気ではないと判断するとそそそと咲夜さんの隣に立つ。
僕の横には来てくれないのだろうか。
ーー事務所の固定電話が鳴った。
即座に所長が手を伸ばし、受話器を取る。
「もしもし」
『残念な知らせだ。動きを読まれていた』
低い男性の声だ。さきほど三四子さんの後ろで聞こえた声と一緒かは自信は無いが、流れ的に五十鈴という人のものだろう。
「なんだと?」
『かく乱されている。百子お兄の車は無駄に遠回りなルートを通っていた』
「どうして」
『お兄がどこに行ったかすぐ分からせないためだろう。それか方向感覚と時間感覚を狂わせてSOSを取りにくくし―ザザ―もしかした―ザザ―、ああくそっ、何らかの手段で――ザザー――』
ひどいノイズ音と共に通信が切れかける。
お互いに顔を見合わせていると突然音声がクリアになった。
『ういうーい。不愉快音しっつれーい』
今度は三四子さんだ。
「大丈夫なのか」
『まーだ油断できないね。一樹お兄様チームかなー。感づいたかなぁ?』
『いいや、こちらだとは気づいていない。逃げようか』
『うん、逃げよう! ダミーのシールドをどどーんと展開。その裏にウイルスを仕掛けといて。そのうちにダミーソフトに切り替えて逃げる』
口で言うなら簡単だろうが、実際はどれほどのものなのか。
ゲームを攻略するように言っているがそんな生易しいものではないだろう。
「…調査はもう困難か? やばいなら撤退を――」
『一樹お兄様レベルだから余裕。ただ事情が事情だからちょーっと慎重にはなるよね』
仮にも長男からのサーバー攻撃が余裕か。
『鴨宮』は年功序列だというが、そこに能力は含まないのだろうか。
『あとダミーをね、以前お兄ちゃんから貰ってたの。すごいよね』
「モモが?」
『お兄ちゃんとの関係性ばれたら不味いからね。だからかく乱用ダミーを作ってもらったの。多分これは次のアップデートでは使い物にならないから今回限りだね』
『逃げ切った』
『はい、五十鈴サンキュー。それで、会議の出席名簿を見つけたんだけど』
「どうだった? といっても俺は誰がなんだか分からないんだが……」
所長は一般人(一応は)の立場だから上の事情を知らなくて当然か。…ちなみに僕もさっぱりだ。
三四子さんは声を潜めた。
『簡単に言うよ。出席者は全員、死んでしまっても誰も困らない。そんな人たちを集めて会議なんか、怪しいことこの上ないね』
一気に死ねと言わんばかりに。
「……」
『場所は六本木。やっと…尻尾も掴めた。特定もすぐできそう』
そして、凜とした声で彼女は僕たちに呼びかけた。
『鴨宮三四子、および五十鈴は城野探偵事務所所長に依頼をします』
言葉がわずかに湿りを帯びていた。
『百子お兄ちゃんを取り戻して』
『頼む。あなたたちにしか頼めないんだ』
放り出された腹違いの兄を密かに慕っていたんだと思う。
そうでなかったらこんなことを何時間もしてくれないだろう。
涙交じりの嘆願が事務所に響く。
所長は息を吸うと口角を上げた。
やっと動けるのだ。嬉しくないわけが、ない。
「依頼者さま。ご依頼をありがとうございます。私共、城野探偵事務所所員は全力で――」
彼はデスク周りにいる僕達を見回す。
「――椎名百子を、取り戻しましょう。あんたら、異論は?」
ニヤニヤといつもの余裕ありげな笑みを浮かべて。
まったく。先ほどまでの空気はどこに行ったんだか。
まあ、こうでなくちゃな。湿っぽい所長は気持ち悪い。
「あるわけないです。当たり前じゃないですか」
「私も異論はないです」
「ない」
「オーケー。んじゃ、ま、行こうか。…お迎えにさ」
――時刻は午後四時。
ようやく僕たちは、立ち上がった。




