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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
三章 レーゾンデートル
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七.五話『のっと、かものみや』

予約投稿したはずがそのまま投稿されたので手直し部分あります。

 着なれないスーツだからか息苦しいと彼はまず感じた。

 ネクタイも下手したら初めてかもしれない。そもそも記憶にある限りでは初めてのメンズスーツだ。


 仕立て屋に寄ったと思えば近いサイズのものを選ばれ裾を整えられそのまま着せられた。それだけでも二時間ほどはかかったのだが。

 少なくとも椎名百子の趣味でない。

 袖のボタンには鳥の羽の紋章が入っている。『鴨宮』の家紋を身に付けることなど、ないと思っていたし、付けたくもなかった。


「資料には目を通していただけましたか?」


 助手席に座る、鴨宮一樹の秘書の小林が顔も向けずに百子に聞く。

 バックミラーでこちらの様子はうかがっているのは知っていたので何食わぬ顔で頷いた。


「すべてね。…ぼくにはいささか難しいものだけど、大丈夫かな」

「ご安心ください。貴方様はただ座って台本通りのことを言えばいいだけです」

「…小杉さんはぼくのことが本当に嫌いだね」


 一樹の味方なら、それもしかたないだろう。


 スマートフォンを取り上げられてしまったために現在百子は手持ち無沙汰だ。

 外部との連絡を一切取れなくした理由はなんとなく感づいている。助けを呼べないようにだ。

 前回の毒殺未遂の時にあっさり外部の人間が侵入してそのまま失敗したことを教訓に再チャレンジしたらしい。


「つきました」


 ここがどこなのかは教えてもらっていない。

 ただ、まだ明るい空、わずかに六本木の象徴が見えることから大方そこらへんだろうと百子は見当をつける。

 それにしては、仕立て屋含めやけに時間がかかったように思えたが。


 車から降りると夏の風が吹き抜ける。まだ湿っていない、初夏の風だ。

 普段は下ろしている髪をゆわいているためにうなじがくすぐられる。

 それとは裏腹に気持ちはよどんでいるのが実情だったが。


「こちらでございます。一樹(イツキ)様も別件の会議の始末を終えたころでしょう」

「会わないといけないかな」

「当主様に会わず会議に出られるつもりで?」

「…そうだね」


 高層ビルだ。

 一応はお偉い様の集まりだというのでそれなりのところを会議場として取ったらしい。

 赤いカーペットがひかれ、装飾にこだわったエレベーターに乗り込む。

 三十階までボタンが並んでいる。


「…ずいぶん警備員が少ない。それなりの人間が会議する場にしては防犯が手薄だと思うけど」


 出入り口に三、四人程度ではすぐに突破されてしまうだろう。どうにも警戒がなさすぎる。

 何の気なしに呟いた言葉だったが、小杉はひくりと肩を動かした。


「クレームは管理人にどうぞ」

「…思っただけだよ」


 二十五階でエレベーターは止まった。

 小杉を先導に、通路を進んでいくと一室から誰かが出て来た。

 百子の顔をもう少しキツくさせ骨ばらせたような二十代半ばの青年だ。二人に気付くと目を細めた。


「お連れいたしました」


 小杉はうやうやしく礼をする。

 その後ろで百子は苦虫を噛み潰したような顔で会釈をする。


「…お久しぶりです、一樹様」

「恥もなく生きているとは立派なご身分だな」


 この精神年齢の低さだけは何とかならなかったのだろうか。


 文句の一言でも言ってやろうと百子は口を開きかけて、やめた。

 城野のようにハッタリで主導権を握ることも、咲夜のように皮肉交じりに返すことも、姫香のように切っ先の鋭い言葉を発することも――夜弦のように生真面目に返答することも、できなかったから。

 百子には、なにもない。


 無言のままの彼に一樹は舌打ちをする。

 面白くなさげなのはこの場にいる誰もが知っていることだ。百子の存在からして、気に入らないのだから。


「…ぼくは何をすればいいでしょうか。不慣れなもので」

「座っているだけで良い」


 小杉より酷い返答だった。

 一樹は自分の秘書に書類を渡す。秘書はそれをそのまま百子に手渡した。

 さすがに呆れかえる。少しでも接触するのが嫌らしい。


「せいぜい泥を塗らない様にしろ。お前の命や――お前のくだらない仕事場の人間の命じゃ慰謝料にもならん」

「…分かりました」


 『くだらない仕事場の人間』の中に二人ほど『鴨宮』の天敵(こうづ)がいるわけだが、そこまでは一樹も知らないらしい。


「お時間は早いですが、みなさま集まっておいでです。行きましょう」

「分かった」


 すれ違う。

 一樹の口元に、確かに笑みが浮かんだところを、百子は見てしまった。



 そこから二階上って二十七階。

 エレベーターから出て左右に一対ずつ扉がある。そのうちの左に彼は案内される。


「それでは、いってらっしゃいませ。先に言った通り、『鴨宮』をお名乗りください」

「わかってる」


 秘書はお辞儀をした。

 ここから先は、当事者しか入れない――そうだ。

 なにかと不便な気もするが口出しをできるほど権力も知識もない。


「案内、ありがとう」


 小杉がエレベーターに消えていくのを見届けてからちらりと腕時計を見ればまだ五時過ぎだ。確かに早すぎるかもしれない。

 しかし代理として妙に目立つのも困る。大人しく彼は扉を開けた。


 ずらりと円陣に並ぶ顔ぶれが一斉に百子を見た。

 名前だけではピンと来なかったが、顔を見てようやく気付く。

 高齢、無能、厄介者、弾き者――。



 この場の・・・・全員が・・・死んでも・・・・誰も・・困らない・・・・



 警備が嫌に薄かった。それはきっと、単なる思い過ごしではない。

 もうじきこのビルで仕事する人間も退社をして減るだろう。

 

 何かトラブルがあれば、この建物は一気に棺桶と化す。

 この高さでは逃げられない。飛び降りたら間違いなく潰れたトマトとなろう。


 綺麗にまとめ上げられた髪を解いた。背中で長髪がうねるのを感じる。

 ネクタイを緩める。息が少し楽になる。


「どうせ、今日が命日だって分かっていたしね」


 口の中だけで呟くと、彼は柔らかく微笑んで深く礼をした。


「今宵、お忙しいところお集まりいただきありがとうございます。わたくし、鴨宮一樹の代理を務めさせていただきます――」


 抵抗をしろと、いつだったか先代の所長は言った。

 連中の思い通りになるな。

 胸の中で中指を突き立て舌を出せ。


 だから、血が半分繋がっている弟に、精いっぱいの抵抗をした。

 自分は『鴨宮』の人間ではないと。



「椎名百子と、申します」




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