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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
三章 レーゾンデートル
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四話『さようなら』

 朝日が目に染みる。

 なんでこんなにいい天気なのにどんよりした気分にならなくてはいけないのか。

 惨状を目の前に僕はとりあえず所長に電話をかける。


「もしもし、僕です。夜弦です」

『おう。なんだ、どうした』

「隣人がまたやらかしまして。遅刻します」

『またか…』

「またです…」


 僕の住むアパートは狭いことは狭いが風呂とトイレ付いているし、家賃は安いし、大家さんはたまに野菜をくれるので気に入っているのだが、住人がひどい。

 部屋で謎の植物を育てている田中さんはまだいい方で、自称エクソシストの飯田さんや庭先で石を積み上げるニートの近田さんはあまり関わりたくない。よく話す岩木さんはヒモの彼氏を甘やかしている。


 そんなクズの展示会場みたいな中で、一番周りに迷惑をかけてるのが隣人のカップルだろう。

 普段はバカップルかつお盛んなのだが、彼氏が定期的に別の女の子を連れ込むものだから彼女がブチ切れて夜通し喧嘩するというのがお決まりのパターンになっている。

 早朝、椅子か何かを投げる音で起きてしまった。むしろそれまで平和に寝ていた自分に驚くのだが。


 さすがに隣の隣の市川さん(いつかでっかいことをすると言いながら特に何もしていない)がキレて警察を呼び、隣人である僕まで事情聴取をされているわけだった。

 大家さんもさっさと追い出せばいいのにとは思ったが、優しすぎて駄目なのだろう。この戦いは彼氏が浮気癖を治すか、彼女がとどめを刺すかしないと終わりそうにない。


「憂鬱だ…」

「んなこと言ってる暇があるならさっさと働くの」

「分かりましたよ…岩木さん」


 遅刻すると連絡したわけは、後始末をしなければならないからだ。


 別に僕がやらなくてもいいのだけど年老いた大家さんがせっせと飛び散った植木鉢だとか窓ガラスとか吹っ飛んだ皿を拾っているのを見ると手伝わないわけにはいかない。

 飯田さんが悪魔の仕業だとか言いながらこってりバカップルの油を搾っている横で僕はぽいぽいと袋にごみを入れていく。


 無残な姿になった植木鉢のかけらを近田さんが黙々と積み上げていたので回れ右をして別の作業に移る。

 あれ崩してみたい欲求はあるのだが、詰み上がった石を崩した住人が数日もたたず退去したという話を聞いてする気にはなれない。僕はチャレンジャーではない。


 八時に惨状を見、あらかた片付いたのは十時ごろだ。

 仕事場まで歩いて四十分ぐらい。もう開き直って昼出社しようかな。

 欠伸をこらえつつまずは部屋に戻ろうとしたところでエクソシスト飯田さんが話しかけて来た。


「待て、そこの迷える子羊よ」

「迷ってないです」

「天使の導きがある。とくと聞くが良い」

「分かったので水ぶっかけないでください」

「オマエ、死神に憑かれているぞ」


 悪魔じゃねえのかよ。

 本場のエクソシストが聞いたら憤死しそう。

 軽く受け流そうとした僕に、飯田さんはさらに詰め寄る。


「なんとかしないとその鎌で首を刈られるぞ」

「……。祓ってくれないんですか」

「エクソシストは悪魔のみだ」

「使えな…分かりました、すいません、だから水ぶっかけないでください」

「月の光に浄化させた聖水だ」

「なんでもいいですもう」


 死神、ねえ。

 飯田さんがキメてる発言するのは稀によくあることだから真に受けることもないのだが。

 記憶喪失の男から魂もぎ取っても面白いこと何もないだろうに。モノ好きなやつもいるもんだ。

 …それよりあの人、靴を中心に濡らしやがった…。



 結局、事務所についたのは十一時を少し回ったほどだった。

 骨董屋の方は『御用の方は上へ』という看板だけが立ててあり、姫香さんはいなかった。

 お昼時だしもう上で食べているのだろうか。


「ん?」


 妙な視線を感じてあたりを見回すと、黒塗りの車がそばで止まっていた。ドアに小さく金色で鳥の羽が描かれている。いわゆるエンブレムだろうか。

 それからスモークガラスごしに影が二つ。

 こんな閑静なところに場違いなものがあると違和感がある。


「あれ~、ヨヅっちじゃん」

「百子さん。どうしたんですか?」


 外付けの階段を降りてきたのは百子さんだ。

 車を見ると小さく舌打ちをし、それをごまかすように彼はにへらと笑った。


「えへへ〜。半ドンでーす」

「えー。何か用事ですか?」

「ちょっとね~。じゃっ」

「はい、また明日」


 僕の横を通り過ぎようとした百子さんの足が止まった。



「…うん。さようなら・・・・・



 いやに耳に残る言葉だった。


 つかつかと車に近寄ると、助手席から爺やといった風の人が出てきて百子さんに深々と礼をした。

 百子さんは彼と一言二言交わすと、後部座席に滑り込んだ。

 なんだ? お迎えかな。実はいいところのご子息だったり――


 ーーいいとこの、ご子息?


 ――違う。彼は、疎まれた子供だ。


「っ、百子さん!?」


 叫んだときにはもう車は走り出していた。

 追いかけるが無情にスピードを上げていきあっという間に引き離されてしあった。

 茫然とそれを見送りながら、訳の分からない焦燥感に襲われる。


 まずい、なんだ、これは非常にまずい。

 とにかく所長に報告しないと。

 もと来た道を走って行くと、所長が立っていた。息が荒い。手にはなにか握りしめている。


「ツル!」

「所長! 百子さんが、車に乗って、あっちに、」

「車!? どんな!」

「黒塗りの、車体に鳥の羽が金色で描かれていたものです」


 所長は目を見開いた。

 顔をしかめ、歯ぎしりをする。


「……なんでこんな時期にやつらがあいつを…」

「なにがです? 百子さんはいったいどうしたんですか?」

「ヒメが、モモが変だと言ってあいつが出ていった後に引き出しをあさったんだ」


 そしたら、と握りしめていた手を開く。

 ぐしゃぐしゃになった茶封筒。



 流暢な字で、『退職届』と書かれていた。



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