三話『マドラーをストローに間違えて咥えるのはよくある』
先代の所長さんか。
僕の印象としては、事務所に置かれている銃火器とか、人脈とかからきな臭さしか感じない人であるが。
重い話を抜けて心にゆとりができたのか少しばかり百子さんの表情は和らぐ。
あらかた喋って貰って失礼だけれど、無理をしてまで話さなくていいのに。だけどそれじゃ彼自身が納得しないのか。
「さっぱりしたの食べたいな。カルパッチョ行ける?」
「好きです」
「あいよ~」
僕、好き嫌いないし。
それにしてもこんなに食べる人だっけ。
「先代所長ってどんな人だったんですか?」
「一言でいえば人でなしかなぁ」
「人でなし…」
「人使いも荒かった。ぼくでも四回ぐらい階段から蹴り落としてやろうと思ったぐらい」
印象が悪い方向に転がっているんだけど。猛スピードで。
普段の彼はどんな依頼者でもここまで辛辣なことを言わないのでよっぽどなんだと思う。
違うな、何かあるとまず所長がアクション起こすからタイミングを失っているだけなのかも。ストッパー役大変だろうな…だけどあの人百子さんじゃないということ聞かないから…。
「人使いの荒さは今の所長もそうなのでは…」
「ええ~、マシだよ。少なくとも社員が怪我する人間だって分かってるもん」
なんだと認識していたんだ。ロボットか。
「なにがあってそんなところに…」
「母親の親戚伝手に紹介されたというか、押し付けられたというか。ぼくこんななりじゃん? 普通のところにはまず就職できないからね。だからもうそこでいいやって」
女装をした男性。
今でこそマイノリティの理解はじわじわと広がっているが当時は異質な目で見られたことだろう。
それが生存に関わるとしても。
「先代の第一印象は最悪。ケンちゃんの第一印象も最悪。初めての依頼も最悪。もう最悪尽くしでね~」
人はそれを地獄と言う。
「なんですかその魔の三コンボ。良く続ける気になりましたね」
「やめようかとも考えたけど、ぼくがいないとこの二人殺し合うんじゃないかって不安になっちゃって…」
猛獣の檻に入れられた一般人かよ。
所長が先代の話を口にするときとても嫌そうな顔をしていたけど、本当に嫌だったんだな。
しかし第一印象最悪だったのに心配だからと残る百子さんも百子さんでお人よしすぎるところがある。
「先代はどうにもならなかったけど、ケンちゃんとは一回殴り合って和解してそれからは仲良し」
「ずいぶん熱血っぽいことをしましたね」
「根は男だから。それまでそういう泥臭いことできなかったからテンション上がるよね。多分彼の腕にひっかき傷残ってるんじゃない?」
「ずいぶんノリノリだ!」
「喧嘩の仕方知らなかったから。そこまでやっといてなんだけども未だに血とか暴力なんかの耐性はない」
やっぱ所長は、百子さんを流血沙汰になりかねないところからわざと外しているんだな。
情報係として遠方支援というのもそうだけれど気遣っているというか。
「…あれ、そういえば先代って今どうしているんですか? 引退して座を譲ったとか?」
「ああ。彼はもう、いない。この世のどこにも」
固まる僕に百子さんは寂しげに笑う。
「詳しいことは、話せない。この一件はあいつが最も嫌がる話なんだ。だからぼくの口からは言えない」
僕も無理やり話してもらうなど野暮なことはしたくないので素直に頷いた。絶対に所長は話してくれないだろうなぁ。
百子さんみたいに教えてくれる気になるまであとどれくらいかかるのだろう。
「…ねえ、夜弦くん。あたしになんかあったら、彼を頼むよ」
綺麗に整えられた爪を感慨もなく撫でながら、彼はぽつりと呟いた。表情は前髪に邪魔をされ見えない。
雑音にかき消されるか消されないぐらいに小さな声だった。
「…えっ?」
「ヒメちゃんは多分やらせるだけやらせるだろうし、さっきゅんは我関せずだろうし。止められるのは君だけだからね。任せたよ」
「百子さん…?」
「なんてね〜。うふふ、ちょっと酔っちゃったかな」
パンと手を叩き、いつもの明るい笑顔で僕に向き直る。
「ねえねえ、このロシアンルーレット風たこ焼き食べてみない?」
「……。いいですよ、受けて立ちます」
何か嫌な予感を覚えたのは、何故だろうか。
この場合、僕が見事わさび入りたこ焼きを引くまえに感じたのとは別のものとして。




