一話『百子』
「ヘイ、ヨヅっち。これから暇~?」
「帰ってご飯食べて寝るだけです」
「じゃあ飲みに行こう」
「唐突ですね」
○
そんなわけで、百子さんと飲みに来た。
個室が売りのチェーン店でどちらかといえば女性向けの居酒屋だ。
「二人きりで飲むのは初めてかな」
「初めてですね。前は所長入れた三人でしたし」
「ヒメちゃんはあの子何歳なんだろう~。だいたい年齢確認で引っかかるんだよね」
「大学生ぐらい…?」
「そのぐらいかも」
姫香さん、自分の年齢が分からないらしい。身分証明書を持っていない。
それに顔も幼いのでこういうところにはまず入れない。
あと咲夜さんは人前で酔っぱらうのが嫌なのでファミレスとかじゃないとついて行かないとは聞いたことがある。
店員さんが注文を取りに来たのでとりあえず生と枝豆を頼む。
流石居酒屋というか、それほど経たずに出てきた。
「かんぱーい」
「かんぱーい」
きゃっきゃとジョッキを打ち合わせた。
最初の時は力を入れすぎて相手のジョッキを弾き飛ばしてしまったが、ちゃんと今は加減している。ジョッキの衝突音はすごい音がする。みんな、覚えておこう。
ぐっと喉に黄金色の液体を流し込む。
「仕事終わりのビールは最高だね~」
えへへと笑いながら口についた泡を親指で拭う。
男っぽいと思いかけ、男だったこの人。
それからジョッキに口紅がついたのに気づきお手拭きで拭った。ギャップがすごい。
「仕事なかった気がしますが」
「さっぱりなかったね~」
あっはっはと二人で笑いながらメニューに目を落とした。
この店の創作料理、地雷臭しかしないけど大丈夫かな。納豆揚げってなんだよ。
無難なものを何品か頼み、それらが来るまでちびちびと枝豆を食べる。
「あ、このお酒いちごシロップの味がするんだよ~」
「いちごシロップ」
「昔これをケンちゃんが飲んでいるレモンハイにこっそり混ぜたらめちゃくちゃ怒られてね…」
「まあ、怒るでしょうね…」
所長はなにかと飲み物に変なもの仕込まれる運命なのだろうか。
この前も青汁サイダーなる瓶詰されたヘドロをお茶に混ぜられていたし。混ぜたの僕だけど。そのあとキャメルクラッチ決められたのは言うまでもない。
というか、百子さんは甘いお酒もイケるクチなんだな。僕は一回試したけど駄目だった。
「初めて会ってからしばらくは仲悪くてね~、よくお互いの飲み物に別の飲み物混ぜるっていうよく分からないことしてたよ」
「えっ、仲悪かったんですか」
「あれ? 言ってなかったっけ」
「初耳です」
「その時荒れていたからね、あたしも。あっちも人間できてなくて子供みたいだったし」
荒れていたって、百子さんが? 仲悪かったのも意外ではあるが。
今は阿吽の呼吸で動いてるぐらいなのに。たまに意見の相違で暴れてはいるけど。
所長の子供っぽさはいまだに改善されていないからそこには触れない。
「珍しいこともあるんですね。全然想像できません」
「え~、そう? あの時のクソガキっぷりはすごかったと思うよ~。よく先代も追い出さなかったと感心するぐらい」
「先代って、前の所長ですか?」
「そう。そんでもってあたしを引き取ってくれた恩人かな」
店員さんが入ってきて、注文の品がテーブルに並べられていく。
百子さんはそこでいったん話を区切ってビールを飲んだ。
再び二人きりになると彼は口を開く。
「重い話になるけど、いいかな」
「いいですけど…なんで僕に?」
「実はみんな大体知ってるんだけど、ヨヅっちだけ知らないから。でもほら、ホイホイ言える内容でもないし」
ああ。僕が話題の仲間外れになっているからわざわざこの席を設けてくれたのか。
いざとなれば酒の力で気まずさをごまかせるし。
「…『鴨宮』って分かる?」
「『鴨宮』? あ、ちょっと待ってください…なんか頭が痛い…」
最近気づいたことだがこの頭痛は記憶の断片に触れた時に発生するものだ。これまではそんなことなかったのだが、スナッフムービーの件からなんだか痛むことが多くなっている。
となるとその単語も僕に何らかの関係はあるのだろうが…。
必死で脳内検索をしてみるが今この場ではどうでもいいことしか思い出さない。
諦めた。
「すいません、分からないですね…」
「うん、そっか。それならそれでいいんだ」
どこかホッとした顔で百子さんは頷く。
周りの雑音に紛れるほどの小さな声で彼は言った。
「あたしの本当の名前は鴨宮百樹っていうんだ。いや、そもそも鴨宮の姓は与えられたかどうか…」
「…名前変えているのは薄々気づいてましたけど、どうしてそんなことに?」
「あたしは」
長い髪を弄びながら百子さんはほほ笑む。
「鴨宮百樹は存在してはいけないから。ぼくは生きることを許されていないんだ」
椎名百子もしくは百樹編です。所長の話も語られ…たらいいな




