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一年と八カ月前 終われなかった話4

「……」

「まあ、なんだ。その、寒かっただろ。お茶のめよ」

「……」

「モモ、こいつ追い出していい?」

「駄目に決まってるでしょ…」


 城野探偵事務所。

 男は――城野は、先ほどから一言も発さず黙りこくる国府津咲夜の扱いに悩んでいた。

 いきなり訪ねてきたかと思えば「話がある」とだけ言い応接室風に区切ったスペースに置いたソファで顔を覆っている。

 泣いているというよりは頭が痛くて仕方がないようなオーラが出されていた。


 離れたところで椎名百子はおっかなびっくり咲夜を眺めている。

 あとが怖くて迂闊に外に放り出せないというのもあるだろうが、半分は非常に困っているらしき彼女を心配している。百子はそういう人間だ。


 そして、あの少女は今この場にはいない。

 現在は城野が居候をさせているため、今頃家でテレビでも見ているだろう。

 いずれ『国府津』が目の前に現れるのもなんとなく予感はしていたので隠している。どうにも嫌な予感がするのだ。


「…てっきり逃げているかと思いました」


 ようやく口を開いたかと思えば、そんなことを言う。


「殺されるのが怖かったら『鬼』にケンカ売りに行かない。俺は俺の意思で行ったんだ。それに情報開示と規制の元締めの『国府津』から逃げ切れるわけねーじゃねえか」

「あたしも同じ。今はあれだよね、ただ見逃されているだけで。本気出せばもうどうしようもないって分かってるから」

「……。はぁ。そのぐらい覚悟していないと確かにあれは始末できませんしね」


 命知らずではない。

 二人とも死ぬのは嫌だし、痛いのも嫌いだ。

 だがそれでもいかなければならない理由があった。やられっぱなしでいられるほど大人しくはなかったし、力が全くないわけでもなかったのが最大の要因だ。

 殴りにいけると分かったから殴りに行った。


 たった二人で。

 すべては復讐をするために。


「どれだけ覚悟をしていたのか、分かりました。――私がここに来た理由をお話しします」

「目覚めたのか?」


 あれから二週間だ。

 けして軽傷とは言えないが、それでも意識を取り戻すには少し時間がかかっているような気がする。


「はい。しかし一つ問題が」

「問題?」

「記憶喪失です」

「はあ?」

「意識が鮮明になり多少落ち着いたのが昨日、面会をしたのがいまからおよそ六時間前」


 城野はそっと時計を見る。

 午後四時。つまり、遡って午前十時には駆け付けたということか。面会時間が始まるとほぼ同時に様子を見に行ったのだろう。


「何が理由かは不明です。ただ分かることといえば、私含めた身内を忘れていました」

「…きょうだいとかそういう?」

「そのようなものです。途中から彼は事の重大さに気付いたか、覚えているふりをしていましたが――どれも不正解でした」

「…どれもって」

「今回の件の前後を忘れているというレベルではありません。彼は自分に・・・関わる・・・こと・・すべてを・・・・忘れて・・・しまった・・・んです・・・

「エピソード記憶が消えた…? それも、すべてって…?」


 自伝的エピソード記憶。

 陳述記憶だ。その人間にしか持っていない記憶。思い出、抱いた感情。

 逆に書字や技術などいわば無意識的に行うことが出来るものが非陳述記憶と呼ばれる。


「はい、すべて」

「…あなたの上司はなんて言っているの?」

「使い物にならないと」


 あっさりと。

 感慨もなく突き放した言葉だった。


「…それは俺のせいで?」

「いえ。元々私たちの仕事が結構経験がものをいうんです。それなのに忘れてしまったのだから、文字通り使い物になりません」

「シビアだな」

「そんなものです。今の彼はおそらくちょっと喧嘩が強い程度。今までのような事をしていれば必ず命を落とす」

「最悪、用済みとして殺されるってことか」

「いいえ。それはないでしょう」


 ゆるゆると咲夜は首を振った。


「例えば四肢を失ったとして、彼はどんな手を使っても生かされますけど、私はその場で廃棄(・・)となり死ぬしかない。そのぐらい彼は特別です」

「…なんなんだ、その国府津夜弦って」

「――言えません。さて、本題に移りましょう。私がここに来たのは言うまでもなく、上司ボスの指示です」


 ポケットから折りたたんだ紙片を取り出して、テーブルの上に広げる。

 とある病院へのアクセス方法だった。


「あなたに会えば、何か思い出すかもしれないと。――従って、いただけますね?」


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