十七話『スイッチ切れた』
我を忘れていたというには理性がはっきりしていたし、冷静だったというには歯止めが利かなかった。
「助けて! 痛い!」
誰が助けてくれるものか。なにが痛いだ。
悪逆非道を続けて来た人間の悲鳴にしては凡庸な台詞加減にがっかりしていた。
それにしても、と、こころの中で疑問が湧く。
僕はいったい何に対して怒っているのか。
姫香さんを傷つけられたこと?
スナッフムービーで金もうけのために殺された人たちの代わりに?
「お嬢! お嬢、助けて! やっと会えたのに!」
結構力込めて殴ってるはずなのにまだ声が出るか。耐久性がすさまじいな。
だけどその耐久もいつかは潰える。永久的なものなどない。人体ならなおさら。
それで、なにを考えていたんだっけ。
ああ、そうだ。そもそも怒ってなんかいないのかもしれない。
ただ目の前の人間を叩きつぶすという行為に酔いしれているのではないのか。
――それは嫌だな。だったらここの連中と一緒だ。
「…言ったはず、長谷。二度目、ない」
潜在的にそう思っていたとしても、何とかああだこうだ改変して自分の納得いく言い訳に消化していこう。うん。
ごちゃごちゃな頭の中を無理やりにまとめ上げ、なんとなしに手に持ったものを引っ張る。
ビッと嫌な感触と共にそれは抵抗をなくし僕に持ち上げられた。
…なんだこれ?
指が生えている。
ちょっと考えて思い当たった。
なるほど、腕か。そりゃあそうだよな。
指先から順に見ていくと肘のあたりで千切れていた。ぶらぶらと垂れ下がる血管や筋肉がグロテスクだ。百子さんなら絶対に気絶しそうである。
こんなものを持っていても気色悪いだけなので床に落とす。ぴしゃんと水音がした。
どうして液体の音が。
不思議に思って下を見れば血の水溜りが出来ている。
わずかに僕の顔が映り込んでいた。さすがに表情までは見えないけど。
このままでは靴が汚れてしまう。一歩二歩後退すると誰かにぶつかった。
「夜弦」
「あっ、姫香さん。ごめんなさい」
振り返れば所長の着ていた服を被った姫香さんが居た。
いつも通りの感情のない瞳で僕を見上げている。
「もういい」
「なにがですか?」
僕の右手に姫香さんの左手が絡められた。
ひどく冷たい手だ。
「ヒメの言う通りだ。もうそこらへんでいい、ツル」
いつの間にか台の上に腰かけていた所長はしかめっ面をしている。
そこで見ていたらしい。僕がしていたことを。
少し恥ずかしくなる。我を忘れていたのは自覚していたから。
「あんたに死体蹴りの趣味があるなら勝手にしろ」
「死体蹴りって」
足元を見る。
顔が原形をとどめていない、かろうじて人間であっただろう物体が倒れていた。
すぐに思い当たる。
僕の仕業だ。
忘れていたわけではないけれど。あまり自分がやったという実感はない。
気がついたら終わっていた。それだけだ。
「…終わったんですね」
「誰かさんたちのせいでな」
めちゃくちゃ皮肉たっぷりな物言いに申し訳なさをアピールしつつ肩をすくめるしかできない。
そうだった。所長は聞きたいことがあるとか言っていた。これじゃ生きていても声帯や構音が機能していないだろう。
所長は血だまりも構わず僕らに近づいてきて、前置きなくぶっ叩いた。
「いだっ!?」
「いっ」
僕と姫香さん一発ずつだ。怪我の有無も関係ない男女平等拳である。
「これだけは言わせろ。自己中どもめ! 他のメンバーの事も考えろボケナス!」
「でも、早く、終わった」
「そうですよ、もしかしたら被害者が増えるところでした。結果オーライです」
二人そろってもう一発食らった。
「……」
「……」
「馬鹿言ってないで戻るぞ。合流したらさっさとここから抜けてクソジジイに連絡する」
所長はふらつく姫香さんを軽々抱き上げた。
そういう美味しいところだけ持っていくのやめてほしい。
「――やることはやった。もうここには用は無い」
「どうするんですか。僕、人殺してしまったし、わりとマズいのでは」
「あんたの良心の呵責以外ならなんとかしてやれる」
彼の表情は読めなかった。
「心配するな。できるだけサポートする」
どうして、所長はこんなに僕の面倒を見てくれるんだろう。




