十二話『切れ端』
僕が背負い投げをして顔を上げた時、すでに咲夜さんは走り出していた。
移動しながらナイフを引き出して、身構えさせる暇もなく男性のみぞおちへ躊躇なく柄をめり込ませる。
気絶をするかどうかと言われれば非常に微妙なところだ。ただ、肺のある個所だし一時的な呼吸困難には陥ると思う。
あそこらへんは心臓も含め即死しかねない重要器官が詰まっているところなので日常生活において打ち込む奴は馬鹿では済まされない。
現に攻撃を食らった声にならない悲鳴を上げながら死にかけのゴキブリのように悶絶している。痛そう。
ふむ。あちらはしばらくは話せなさそうなので、背中か腰の痛みで唸っているこちらの男性にインタビューをしよう。
喉を引っ掴み顔を近づける。距離には気を付けないと。以前調子に乗って鼻をかまれそうになった。
「ゴスロリの女の子が来たと思うんですけど、何か見てませんか?」
「あっ…がっ…」
「うーん…? すいません、もう少し大きい声でお願いします」
口をぱくぱくさせているから何かしら喋る気はあるんだろうけど、肝心の内容が不明瞭だ。
「夜弦さん」
非常階段から出て来た男性を後ろ手にズボンのベルト(男性私物)で拘束しながら咲夜さんが助言をしてくる。
「多分呼吸できていないだけかと」
「え? ああ」
ほんとだ。酸欠起こしかけてる。
慌てて力を緩めた。まさかこのぐらいの力で死にかけるとは思わなかった。
『ここだけ聞いたらどっちが悪者かわっかんねえな…』
所長の嘆息は聞こえないことにした。
○
「で、収穫は無しと…。あの緊張感を返してほしい」
「ここの人間は他人への関心が希薄というか、協調性がないといいますか」
エレベーター内。
僕たちはまだ潜入してそんなに経っていないのにひどい徒労感に襲われていた。
どうやらこの組織、個人と個人で密な関係ではなく、必要な時に集まって殺して金を手に入れるようなドライな関係らしい。常勤とかいてもそりゃ困るけど。
それ以外は誰が何しているのか分からないということだ。だから姫香さんが来たなんて知らなかったし、そもそも今日『出演者』を『仕入れた』ことも初耳だったらしい。
情報の統一って大切だな。
「…咲夜さん、それは?」
気がつけば咲夜さんは片手でライターと煙草の箱を弄んでいる。律儀に外で煙草を吸ってた金髪の人からパクったものだとは分かるが何に使うんだろう。
「ああ、気になっていた銘柄なので吸ってみようかと」
本当に純粋な意味でパクってた。
「えっ、初めて聞きました。喫煙者だったんですか」
「普段は家でしか吸いませんからね。あと姫香さん、煙いのが嫌いなのか一度めちゃくちゃ嫌な顔をされまして…」
『分かる。俺なんか事務所どころか家も駄目だぞ。ベランダに追い出される』
所長も喫煙者だったか。
しかし喫煙者に気を使わせるぐらいに姫香さんは結構筋の入った嫌煙者らしい。吸わない様にしよう。
誓いをたてたところでチンと軽い音を立てて四階に到達する。二階と三階は後回しで、まずは例の血痕を見ようということになったのだ。
そっと通路に出たが誰もいなかった。
安堵するもつかの間。
「なんだこれ…」
点々と赤黒い足跡が床にこびりついていた。こっちにつま先が向いているので、奥からここへ移動してきたことになる。
エレベーターに近づくにつれて薄くなっているから乗り込むころにはほとんどその液体は落ちていたようだが…。
「…辿ってみましょうか」
「それしかないっすね…」
大体予想して気分は乗らないが仕方ない。
足跡を踏まないように気を付けながら曲がり角で一度とまる。
「百子さん、ここから先って分かります?」
『ごめん、まだ設定中。画面が見たいところに切り替わってくれないんだ…』
「あー。それならしょうがないですね」
いや、設定中ってなんだよ。
まさか監視カメラの映像そのものを掌握しようとしてるんじゃないだろうな。さすがにな。
とにかくこれは肉眼で見るしかない。
咲夜さんと頷き合い、角を覗いた。
目に飛び込んできたのは――若い男性が血みどろになって倒れてる光景だった。
かっと目を見開き、右手は喉を、左手は胸のあたりを押さえたまま。
壁を背にうずくまって事切れていた。足をばたつかせていたか血痕が跳ね飛んで壁に付着している。
この人は…。
「婚約者って、どんな人でしたか」
『…死んでいるの?』
「はい、まあ」
『…若い男の人だよ。髪と目は黒、口元にほくろ。左耳にはピアスホールがあったはず』
よく見ているな、とは思ったが今はそんなところに気を取られている場合ではない。
血だまりを除けながら軽く屈んで顔を観察する。
口元のほくろ。左耳のピアスホール。
全く同じ特徴を持った人間である可能性もあるが、それでも死んでいるという事実には変わりがないので暫定的に婚約者の死体ということにしておく。
「……」
予想外のことに驚きつつ視点を広めに観察すると、すぐそばに半開きの扉があるのを見つけた。
非常に怪しい。
その扉を指さすと咲夜さんも気になっていたのかすぐに首を縦に振ってくれた。
ここまで反応はなかったとはいえ警戒を怠っていい理由にはならない。
足音をたてぬよう細心の注意をしつつ移動し、咲夜さんがゆっくりと開く。その後ろから僕は不測の事態にいつでも対応できるように拳銃を構えた。
「……ここは…」
段ボールが壁沿いに数個置かれた、寂しい部屋。倉庫かな。
中身を見てみればおそらく何もダビングされていないだろう大量のDVDが詰め込まれていた。あとは電球だとか、消臭剤だとか、掃除用品。
扉の付近には血に汚れた裁ちばさみが転がっている。これが凶器だろうか。
それから。
「姫香さん…」
見慣れた靴と、無残に切り裂かれた黒い布切れが散乱していた。




