九話『自分から乗っていくのか』
夕方。
「……」
「……」
いつ婚約者が姿をくらますかも分からないということで、提案されたその日のうちに所長と百子さん、それから姫香さんが三原志さんの家へ出かけた。
必然的に留守番は僕と咲夜さんであり、現状二人っきりだ。
すげえ気まずい。
咲夜さんは一人でジェンガを積み上げて遊んでいる。
楽しいのだろうか。その顔は一切面白そうには見えないのだが。
「積み木ってどこまで積み上げられるんでしょうね。どう思いますか」
ジェンガを凝視したまま咲夜さんが話しかけて来た。
スルーしようとしたのに思いっきり意見を求めてきたぞ。
抑揚がない声というのは本能的に恐ろしいものだ。
「…軸がぶれないようにして、重力が許すかぎりじゃないですか?」
「なるほど」
「……」
「……」
「あの、この話の意味は?」
「まったくありません」
無茶ぶりかよ。必死で無い頭を絞った意味が。
トンと彼女はせっかく積んでいたジェンガを指先ひとつで崩してしまった。
それまでの労力を嘲笑うようにけたたましい音を立てて一つの塔は消え失せた。
「ずっと積み上げてきたのに、一つのショックで無に消えるものもあるんですよね」
独り言のように呟かれたそれは、何に対しての比喩なのだろう。
崩壊を見送った後に咲夜さんは僕の方を向いた。
「…さすがに所長や百子さんの手前、言えなかったのですが」
「なんです?」
「多分今回、死者無しで済むとは思えません」
「…あー…。連中も必死で抵抗しそうですもんね」
万が一世に公表されてしまえば、スキャンダルやら犯罪に問われるだけではすまない。
所長の言ってたSS級――つまり大お得意様だとかの信用もガタ落ちになるし、お得意様もそんな違法動画を手にしているなんてこと知られたら一大事だから口封じに走るだろう。
どちらにしろ犯人たちの安穏な日々は失われる。自業自得ではあると思う。
だから、もし情報をバラしかねない相手と交戦になったら文字通り死ぬ気で来るのではなかろうか。
「そこで聞きたいのですが。夜弦さん、あなたは、人を、殺せますか?」
…確かに、ほかには聞かせられないな。
ここで「では咲夜さんは?」と逆に質問するのは悪手だ。絶対「いけます」って返ってくる。
僕はわずかに悩む。
記憶を失う前の僕はいったいどんな人間だったのか、それはいまだにわからない。
ただ、ごく普通に学校に行ったり仕事をしている人間ではなかったと思う。
というのも身体に残る無数の傷痕が絶対普段の暮らしをしていなかったことを物語っているのだ。ケロイド状になった丸い傷跡、刃物類でも受けたような白い傷跡、もろもろ。
身体だって、護身術の枠を抜け、対人との戦闘を想定したように動く。
ここまできて、手を汚していないほうがおかしい。
もしかすれば不殺を貫いていたかもしれないけど。でも、それは記憶を失う前の僕で今の僕ではない。
だから言った。
「殺せる」
咲夜さんは驚きもせず、淡々とうなずいた。
「ならいいんです」
○
僕の持っていたガラゲーが鳴った。
ほんとうに電話しか使っていないから持つ意味あるんだろうか僕。電話使わないと携帯電話じゃないな。うん。
「もしもし、所長?」
『さっきヒメが三原志家に入った。俺たちは車内待機』
「どういう設定で行ったんですか?」
『仕事の後輩だけど最近先輩見ないですねどうしましたか、みたいな』
「大丈夫ですかね…?」
『あいつ頼みだ』
大丈夫かな…。
姫香さん見た目と違って結構発言が過激だったり口が悪かったりする。
そういうところも可愛いっちゃ可愛いけど、怪しまれたりしないだろうか。
『飲食物に口をつけるなとは言ってあるし、ヤバかったらさっさと戻れとは言っておいたから』
『聞くかなぁ、あの子』
『聞いてくれないと泣くぞ…』
泣く所長はどうでもいいとして、百子さんの懸念も最もだ。イレギュラーな事やらかさないと良いが。
『問題はまだ婚約者が…おっ』
「なんですか?」
『ああ、ヒメちゃんに無線機付けてるの。会話把握したいからね。聞こえる~?』
僕は聞こえない。
そばで耳を傍立てていた咲夜さんも首を振った。
「だめみたいですね」
『そっか~。でもしばらく通話状態にしててね』
しばらく無言になった。
ノイズが聞こえるのは無線機越しの姫香さんの会話だろうか。
『ん? 動き出した』
「姫香さんが?」
『いや婚約者が。…もしやばれたか?』
『どうだろ。あ、ヒメちゃんも切り上げたね』
『これ以上話してもボロが出るしいい頃だったな。ヒメ拾ったら婚約者を追う……おや?』
きっと今顔をしかめているだろうと想像つくぐらい分かりやすい声色だった。
ブン、とそれまでとは違うノイズが聞こえた。
何の音だろうかと考えていると、
『馬鹿か!?』
所長が怒鳴った。びびって携帯を取り落としかける。
「な、なんですか!?」
『まっずい! ヒメちゃん、婚約者の車にほいほい乗っちゃったみたい!』
「え!?」
付いていったんだ!
小学生か!
慌てる僕から携帯電話をもぎ取り、極めて冷静に咲夜さんが問う。
「どういうことですか。そこには今から行けないでしょうか」
『狭い道だから三原志家より少し距離置いた所にいるの。今すぐ車動かすよ』
『"話したいことがある。他に聞かれるとまずいから車の中で話さないか"なんて、クソ下手くそな文句にコンマ数秒もなくあいつOK出しやがった』
「……あの子、初めから想定してましたね。それで今の姫香さんは?」
『無言。争う音はない……』
ピタリと声が止まる。
何事かと顔を見合わせてると怒りを通り越したため息があちらから漏れた。
『出された飲み物、手をつけるなって言ったのに…』
飲んだんだ!
小学生か!
「…わざとですね。わざと相手の手に乗りましたか」
呟きながら咲夜さんは僕に携帯電話を返した。
同感だ。わざとじゃなければド天然の大馬鹿すぎる。
ーーしかし、そこまでして姫香さんは一体何をしたいというんだろう…?
『見えた! 車庫から出た! 追いかけるよ!』
『分かった。サク、ツル! 今から読み上げる住所に向かえ!』
「はい!」
僕が住所を聞き地図を検索している間に咲夜さんは隠されている武器庫を開けて銃火器と弾を手に取っていく。
いくつか選ぶと彼女は僕の方に戻って来て目の前に丁寧に置いていく。これを使えということか。
「今から向かいます!」
電話を切ると早速準備に取り掛かった。
手に取った拳銃の中身が入っていないことを確認する。移動中に暴発なんかするとたまったものじゃない。
あちらについてから弾をこめる――というのは悠長ではあるが、暴発のタイムロスないし身体損傷に比べればマシだ。
「ホルスターです」
僕の方を向きもせずに目当てのものを投げてよこした。
あちこちにナイフを仕舞っているが重くならないのだろうか。
装備品が外れないことをチェックしてもらい、事務所の鍵を持つ。
咲夜さんは所長の机から大型バイクの鍵を取った。
「私がバイクを運転しますから」
ヘルメットを僕に放り投げてきた。とりあえず投げようとするな。なんとかそれをキャッチする。
こういうのはなんだけど――楽しくなってきた。
「行こう」
「はい」
高揚感と共に、ちりちりと頭が痛む。
原因は分からない。目的地に着くまでに治っているだろうか。




