五話『さまざまな ことがらが ぼくを おそう!』
ーー始末。
それが意味するところは、この状況からしてひとつだ。
スナッフムービーを作成する人間を殺せと。
当然というか、所長は苦々しい表情を浮かべた。
「…俺たちは、殺し屋じゃない」
じくりと頭の奥が痛む。
なんだ。なんの単語に引っかかったんだろう。
…殺し屋?
そんなものに反応するなんてさすがにテレビの見過ぎじゃないのか僕。
「その頭を下げることにどれほどのプライドがあったかは知らんが、ウチはやりたくない」
冷ややかに所長は言い切る。
「ーー警察官としての義憤は俺にも分かる。だが、それを他人に巻き込まないでください。迷惑だ。以上」
「厳しいな」
ご老人は苦く笑いながら顔を上げる。
どう説得しようか、そんなことを考えているようにも見えた。
僕は口出しをできない。
この二人の間にある一種のリズムについていけない。
「お前たちしかいないんだ」
「そんなことを言われてハイそうですかと自分の手を血で染めるお人好しなんかいません。できるわけがない」
「できるさ」
じっと、老人は所長を見据えた。
その裏にある感情は読み取れない。
「『鬼』を壊滅させたのは、お前だろう」
ビキリ。
先ほどから緩く続いていた頭痛が火を噴いた。
突然頭をぶん殴られたような、そんな感覚に襲われる。
所長が勢いよく立ち上がったのと、僕が倒れこむのはほぼ同時だった。
床に強かに身体を打ち付ける。
だが、それが気にならないぐらいに頭痛が激しかった。
「っづぅ!」
ズキンズキンと内側から破壊されるような痛みに僕は下唇を噛んで辛うじて悲鳴を押し殺す。
誰かの手を払う。
触らないでくれ、頼む。
どこからが痛くてどこまでが痛いのか。
強い吐き気とともに苦味が口の中を覆う。
『鬼』?
『鬼』!
今、どのくらいだ。
あいつのところまでいつになったらたどり着ける。
ああ、何匹か逃してしまった。
見つけないと。早く、
○
「殺さないと…!」
自分の口から漏れた、物騒な独り言にびくりとする。
年季が入り、黄ばんだ天井が見える。
首を巡らすとどうやら僕はソファーに横になっているらしかった。
「誰を?」
「え」
テーブルを挟んで姫香さんが座っている。
そして僕をじっくりと見つめていた。
もしかしてずっと付き添ってくれていたのだろうか――と甘い展望はさておき、小さく頭を振った。
「…ただの寝言です、気にしないでください」
「寝言」
「多分桃太郎にでもなった夢でも見てたんでしょう…」
おおかた『鬼』と結びつけたんだと思う。
実際そんな感じの夢だった。殺意に身体を引かれながら赤を撒き散らしていた気がする。
お供はいたんだろうか。いたとしてもあれじゃ後ろでドン引きしてそう。
きびだんごひとつの絆なんてそんな太いわけないし。
「ももたろ?」
「……ん? 桃太郎知りませんか?」
おかしいな、僕の記憶じゃポピュラーなものだったはずだが。
誰に語ってもらったかは定かではないが、話のあらすじぐらいなら諳んじられる。意味記憶は障害されてないからだ。
「ヒメは変なところが抜けてるからな。よう、気分はどうだ。まだ痛むか」
仕切りの向こうからスキンヘッドが出てきた。
「所長。どのくらい僕はこうして…あの人は…」
「一時間ってとこだな。渡会のジジイは帰った。あとで電話するとか言ってた気がする…抜いとこ」
電話線を探し始める所長に僕は恐る恐る聞く。
「…もしかして僕のせいで帰られたんですか?」
「あんたのおかげ、だな。正直あの場で答えなんか出せねーよ」
「そうですね…」
えらく慎重だな、と考えて依頼内容を思い出した。あれじゃあ、独断で決められるわけないよな。
いつもみたいに「オッケーまかせな!」なんて言ってたらいくら上司でもぶん殴っていた。
身を起こして軽く髪の毛をかき混ぜる。
頭痛は残滓もなく消え去っていたが疲労感だけは残っていた。
「困ったね〜」
百子さんは僕の前にグラスに入ったお茶を置いた。
ほんとうに困ったという顔をしていた。
「どうも…。断れないんですか?」
「多分断れるよ? でも先の依頼でも同じこと言われたから、事態は相当切迫してるんだなって」
「先の? ああ、三原志ちきこの…」
「あんのクソジジイのせいで言いそびれたが、三原志の両親の依頼は『娘を殺した人間を殺すこと』。……探偵の仕事じゃないっての」
「藁にも縋る気持ちなのはわかるけどね」
百子さんは姫香さんの隣に座って深くため息をついた。
「殺人なんて…そんなの、簡単に受けるわけにはいかないじゃない」
「そうですね。法律とかいろいろありますし」
「ううん、法律じゃなくてさぁ。人間としてだめでしょ」
「……? なにがですか? あんなことしてるんですから殺してもいいじゃないですか」
「えっ」
「あれっ」
おかしいな、百子さんと倫理観がずれているようだ。
助けを求めるべく所長を見るが彼もまたひきつった顔で僕を見ていた。
「…もしかして結構やばいこと言ってます?」
「素かよ。もしかしなくても不味い。外では絶対言うなよ」
釘まで刺された。
唯一、姫香さんはぴくりとも表情を変えないのが救いだ。
あれ、そういえば咲夜さんはどこだろう。またパシリか何かに使われているのかな。
「…まあ、モモ以外は綺麗ごとを言えない立場ではあるが」
なんだその意味深な言葉は。
だが、僕の質問をする暇を許さずに所長は続ける。
「仮に依頼を受けるとして」
「受けるの~?」
「仮だ。その場合、俺たちには情報が足りなさすぎる。分かっているのはこの住所だけだ」
ひらひらと千切り取ったような紙の切れ端を振った。
さっきのご老人――渡会さんから貰ったものか。
「まさか内部情報をネットで公開しているわけでもない。何人いるか、どこにボスがいるか、武器は、なにか罠は?
そっから大問題なわけだよ」
「ああ、ですねえ…。対応の仕方も変わりますし、地理的にはあっちが有利ですもんね」
「そういうことだ。つまり先に潜入して情報を教えてくれる奴が必要なわけだが…」
「なんとなく分かりました。男性は警戒されますし、逆に女性を送り込むと『出演』させられる可能性があると」
「そうだ。さすがにそんな危険性を孕んでるとなればな」
毎回むちゃくちゃやらかす所長だが、今回ばかりは軽く考えるわけにはいけないと思っているようだ。
だけどお人よしだから何とかしてやりたいとも考えているんだろう。
――だからと言って僕や所長なんて警戒心しか与えないだろうし。
「ヒメももちろん、サクもいくら強いとはいえ一人で送り込むのは鬼畜だろう? 多勢に無勢すぎる」
「そうだね、人の子だからね〜」
「あのレベルが三人ぐらいいれば話は別だがそれはそれでこわいな…」
あれ?
だよね~、と頷いている百子さんを見る。
「…怒らないでほしいんですけど、いいですか?」
「ん? どしたのヨヅっち」
「すごいどうでもいいことかもしれませんが、どうしていま百子さんの名前が出なかったんですか」
なにかしら作戦を言うときは所長はちゃんとそれぞれの名前を出しているはずだが。
『俺とツルで行く』だとか、『サクとモモは待機』だとか。
わざと外した…にしては理由が不明だ。
「は?」
「え? もしかして気付いてなかったの!?」
「……」
所長は何のことだか分からないと眉間にしわを寄せ、百子さんはひどく驚いた顔をする。
姫香さんに至っては首を傾げた。
「あたし、男なんだけど」
マジかよ。




