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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
十章 フラジャイル
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八話『はじめまして』

 三日経った。

 少しばかり動けるようになったものの、たまに高熱が出て最悪である。

 目も耳も指も痛い。マジで指折らないでほしかったなあ……。


 テレビをぼんやりと眺め、時間を持て余していると、百子さんがお見舞いに来てくれた。

 オレンジのガーベラを一本携えて。


「お久しぶり、夜弦くん」

「お久しぶりです、百子さん」


 互いのあいさつにぎこちなさがあり、どちらともなく吹き出した。


「御無沙汰しております、諜報機関二の門『国府津』の次期当主様――のが良かったかな?」

「まさか。そんな堅苦しいこと言わないでくださいよ……」

「ふふふ」


 百子さんは椅子に座るとにこやかな笑みで体調を聞いてきた。僕はあたりさわりのない返事をする。

 ……ちょっとやつれた感じはある。僕の視線に気づいたのか、彼は肩をすくめてみせた。


「後片付けがちょっとね、色々大変で……」

「ああ……。暴れましたからね。事後処理は大変でしょう……」

「みっちゃんといっちゃんが優秀で良かったよ。『鴨宮』もごたごたしているけど、あれは時間が経てばどうにかなる類だから今は無視」


 本当にどうにかなるのか不安になったけど、百子さんが言うなら大丈夫だろう。

 鴨宮一樹が忘れていなければ彼の知り合いに僕もいる。それだけでも相当な脅威になるはずだ。


「でも、夜弦くんに比べたらどうってことないよ」

「そんなことありませんよ。戦う場所が違っただけで、百子さんだって命がけだったと思います。サーバー攻撃だって活躍したと聞きましたよ」

「ありがとう」


 失われるのは僕たちの家の命だけじゃないからな。

 国家・・が関わっている。

 もしも機密情報が全世界に垂れ流しになってしまったら――想像したくないのでここまでにしておきます。

 それを未然に防いだのは百子さんだ。そして彼を守り続けた前原さんも必要であった。

 ……神崎、なんとしても僕にいやがらせをしたかったんだなあ。本当に嫌な奴である。


「夜弦くんに言わないといけないことがあってね」

「なんでしょう」


 頭が痛そうな様子だ。あんまりろくな内容ではないと察する。


「あたし、サーバー攻撃の時に『鴨宮』だけではなく『国府津』も巻き込んだんだよね」

「え!?」

「そのほうが時間短縮になるし、どちらかがダウンしてもその隙に王手をかけられると踏んだからなんだけど――まあ、借りを『国府津』に作ってしまったわけ。あたし個人が」

「……それは」


 簡単に言ってしまえば小学生が大金持ちから十億借りたようなものだ。どうあがいてもすぐには返済できないし、時間が経つほどに莫大な利子が増えていく。

 人生のすべてをかけても到底返せない。


「緊急事態だったからそのまま知らないふりしててくれないかなあと思ったんだけど、この前直々に電話があってね……」

「いつですか?」

「ん? だいたい三日前の夕方ごろかな」


 僕の指折った後のことじゃん。忙しいな父親。


「命とかそういうのはいいから、『国府津』の情報部門の外部顧問になれって」

「は?」

「『鴨宮』に全面から喧嘩売ってるの笑っちゃうよね~」

「そ、それ百子さんは大丈夫なんですか!?」


 苦笑いしている場合じゃ無くない?


「ひどいようには使われないと思うよ。それで、期限は『国府津夜岸が当主を降りるまで』だって」

「……」

「ちなみに、この話を息子に相談してもいいよって言われました」

「『さっさと当主になって仲間を開放してあげてね』ってやつだこれ……。すみません百子さん、巻き込んでしまって……」


 遠まわしに嫌がらせみたいなレベルで当主の座を勧めないでくれ。


「むしろこの程度で済ませてもらったのにびっくりだけどね。もう地上に出してもらえないとか、そういうの覚悟していたから」

「他の家はやるらしいですね」

「やめてよそういう怖いこと言うの!? ――とりあえず、そういう話があったということ」

「そうだったんですね……。所長は? あの人は無事なんですか?」

「ひとまずはね。あの人、事務所の中では一番一般人だからいじめても何も出ないと判断されたんだと思う」

「それはあるでしょうね」


 本人は釈然としないだろうけど。

 『国府津』も(僕のために)貸しを作ったとか言っていたし、ちょっと他の家との貸し借り関係を明確化しないといけなさそうだ。

 『鬼』を倒して全部解決! というわけにはいかないんだな。現実って厳しい。


「……みんな、今どういう状況なんですか?」

「ケンちゃんは舌を切られて縫合。あと打撲や骨にひびが入っていたりで自宅安静で通院。さっちゃんは義手が壊れて、同じように打撲とかひびとか。前原さんは手を骨折していたかな……」


 よくみんな生き残れたな……。

 満身創痍の中、僕と姫香さんを病院に連れて行ってくれたのだから頭が上がらない。


「……姫香さんは?」

「……ヒメちゃんは……」


 百子さんは険しい表情を作った。


「隠すつもりはないよ。隠すつもりはないけど、この話を聞いた時の夜弦くんの精神状態が、心配で」

「もしかして、記憶喪失とか? 僕の次は姫香さんみたいな」


 深刻になりつつある空気をごまかしたくて、僕はわざと明るく言う。

 だけど百子さんは静かに首を振った。


「落ち着いて聞いてね。姫香ちゃんは――」



 それから、さらに三日後。

 久しぶりにベッドから離れてふらつく頭を抱えて、点滴スタンドをエスコートして少し離れた病室へと向かっていた。

 隣には咲夜がいる。彼女もまた久しぶりに会った。

 同じように入院していたが「国府津専用の病室は肌に合わない」とのことで一般病棟にいたらしい。たぶんそれは建前で、気軽に前原さんが見舞いにこれないからだと思う。

 いつぶりかにぐっすり眠れたとのことでむしろ顔色がいい。今までどれほど多忙だったのだろう……。

 義手がない腕のそでがひらひらと揺れていた。


「……咲夜」

「どうしましたか、夜弦兄さん」

「その――本当なの? 姫香さんのこと」

「あなたに嘘を吐くのはみんな凝りましたよ」


 毒が多分に混ぜられていたな今……。


「実際に見て頂ければ、分かります。ちょっとこの件は……私も初めて聞いたときかなり困惑しました」


 僕も同じだった。何回も百子さんに聞きなおしてしまったし、心拍数がとんでもなく上がって看護師が飛んできたぐらいだ。


「どうか、大きな声を出さない様に。彼女を怯えさせない様に。よろしくお願いします」

「うん……」


 僕は咲夜の中でどんなイメージなの?

 個室の前で立ち止まる。『城野姫香』とネームが掛かっていた。

 ノックをすると中から所長が出て来た。すこし疲れたような顔をしている。


「ツル。生きていたか」

「所長こそ。舌は大丈夫ですか?」

「かたちは微妙に歪むらしい。――立ち話もなんだ、入れよ」

「はい」


 クセであたりを警戒しつつドアを閉めた。

 ささやき声で所長は話しかけてくる。


「……何が起きたかは、聞いているんだよな?」

「ええ。僕も信じられなくて……」

「俺もだ」


 数歩程度の狭い通路を抜けた先に、ベッドが置いてある。

 そこでは黒髪の少女が身体を起こしており、そばの椅子に座る百子さんと喋っているところだった。


「こんにちは」


 僕が声をかけると、少女はぱっとこちらを見た。

 ぱちくりと目をしばたかせたあと恥ずかし気に目を伏せ、百子さんにごにょごにょとなにかを言う。

 百子さんは優し気に笑って僕を手のひらで指し示す。


「そこのお兄さんに、お名前言えるかな?」


 少女はこくりと頷いて、僕へそっと視線を移す。


「は、はじめまして。わたし、坂内結姫さかうちゆきって言います!」

「さか、うち……ゆき……」


 知っている人物から、聞いたことのない名前が出てくる。

 君は、城野姫香・・・・ではないのか。


「結姫ちゃんは、いま何歳だったっけ?」

「六才です!」


 そんなわけがない。

 僕と君は十年以上前に会ったじゃないか。


「夜弦、自己紹介してやってくれ」


 所長の声ではっと我に返る。

 

「あ、えっと、国府津夜弦です。よろしく……ね」

「こう?」

「夜弦でいいよ」

「よづる!」


 少しだけ警戒が解けたのか、彼女はにこにこと笑う。

 一方で僕はひどく困惑していた。

 百子さんからすでに聞いていたけれど、いざ目の前にすると頭がくらくらとしてくる。

 きっと僕が記憶喪失だと分かった時も周りはこんな気持ちだったのだろう。





 姫香さんは、六歳以降の記憶をすべて失ってしまった。





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