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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
十章 フラジャイル
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六話『誰にとっての正解?』

 カウンターからそっと姫香さんを窺う。

 立ち止まり、じっとこちら側を見つめている。

 銃は構えたまま。添えた手は歪んでいるのに、痛みなど忘れたかのように無の表情だ。


「姫香さん、」


 言葉をかけようとして早々に詰まる。

 何を言えばいいんだ。

 彼女の記憶を揺さぶるような思い出話?

 百子さんみたいに命を差し出して対話?

 どれもやってみる価値はあるだろう。

 でも、効果はないと直感で感じ取っていた。


 ――彼女の意識、その根幹に触れないといけない。


「ねえ、おにいさん?」


 かみさまを見上げる。

 幻覚でしかなくて、ほんのわずかな間しか話したことがないはずの彼女は、ほほ笑んで僕を指さした。


「糸はまだほどけない」

「……」

「あの子は殺されたがっている」

「……」

「あなたの本心は?」


 ガシガシと頭を掻きむしる。

 くそ、結局この問題にぶち当たるのか!

 もう先延ばしにはできない。今、ここで、決めなくてはいけない。


 電話口で彼女は殺されたい、と言った。


「本当は、殺さないといけないんだろう。現に記憶を取り戻した直後の僕は彼女を殺したかった。『鬼姫』だから――。でも一方で、彼女は『姫香さん』だ。事務所の副所長で、僕の好きな人なんだよ」


 どうしても殺したくない。どうしようもなく殺したい。

 ――ずっと僕はその狭間で揺れ続けている。

 そうしている間に、かつ、と足音が響い

た。再び歩き出したのだ。

 こちらへ迷いもせずに向かって来る。反撃される可能性なんて一切考えずに……。

 仕方がない、一回制圧してからだ。さすがに銃を持たれていると集中できない。


 カウンターの中を、姫香さんが覗きこんできた。

 その光景になにかデジャヴを感じて握りしめた拳が一瞬緩んだ。相手も目をわずかに開いて静止する。

 いつの光景だ? 事務所の頃? 違う、もっと前。

 あの日――。

 母親に隠されて、しばらくして。薄く開かれた扉の隙間から見えた女の子。

 そうだよ、なに忘れていたんだ。きっと思い出す余裕もなかったのかもしれないけれど。

 僕の家には僕以外こどもはいなかったし、すべて殺されたんだからひとり見逃されたはずがない。

 『鬼』の襲撃なんだから、当然『鬼』のメンバーだ。……だとしたら――当時そう呼ばれていなかったとしても――あの子は『鬼姫』だったはずで。


「君が――」


 かすれた声が喉の奥から出る。


「君が、僕を生かしてくれたのか。見なかったことにして隠し続けてくれたのは……」

「……」


 彼女は何も語らない。ただ中途半端に銃をぶら下げて僕を凝視している。

 ゆっくりと刺激しない様に彼女に向き直る。この至近距離で心臓を狙われたら間違いなく当たるだろう。


「どうして、姫香さんは僕を見逃したの」


 答えず、彼女は僕から視線は外さないままにふらふらと後ずさった。

 背中が壁に当たりそこで止まる。


「わたしは……私……」


 呂律の回らない言葉を口の中で呟く。


「おまえが、おまえが、私を、見ていたんだ。『私』を……『鬼姫』ではない私を……」


 ゆっくりと、『鬼姫』から『城野姫香』に戻ってきている。

 そう思いたかった。

 手放しに喜べないのは、今にも壊れてしまいそうな表情をしているからで。


「私を、殺して、くれるって、そのとき、思ったんだ……だから、隠した」

「姫香さん」

「ママに、言われていたのに、パパと死ねなかった。神崎は、死なせてくれなかった。長谷は、私を殺す前に、どこかへ行ってしまった。自分で、死ぬ方法を、知らなかった」


 姫香さんは自分のことを語らなかった。

 所長や百子さんも、記憶を失った僕に配慮してほとんど事務所にくる以前の話はしていない。というか話すことなんてとてもできなかっただろうしな。

 だから、彼女の独白は初めてのことで……どう返していいのか僕は分からない。


「夜弦が、私を殺してくれる日を、ずっと待っていた」

「……」

「好きなんだと思う。好きなんだろう。お前を、思うとき、嫌な気分は、しなかった」


 いびつな告白だった。異常な空間で生まれ育った彼女の抱いた感情が正しいかは不明だ。

 それは僕にも言えることだ。

 互いの「好き」はライクやラブ以前に、本当に他者へ向けていい感情なのだろうか? 


 彼女は震える手で銃をゆっくり持ち上げる。

 泣き出しそうな目をしていた。


「神崎が、自分が死んだら、国府津夜弦を殺せって。だけど、夜弦のことを、殺したくない」


 あいつやっぱりそういうこと吹き込んでいたのか……。

 どこまでも人を傷つけやがって。お前が大事にしていた少女は、お前が思うほど強くもない。


「『鬼姫』の役割を、全うできない。『姫香』の私は、まわりを不幸にしていく。いてはいけないんだ」


 人は、勝手に幸せになるし勝手に不幸になる。

 神崎のように悪意で巻き込んできたなら別だけれど、君はただここにいるだけじゃないか。それを責められることなんてないだろう。

 そんなことを僕は言っている場合ではなかった。

 姫香さんは、自分のこめかみに銃口を当てたのだ。


「待っ……!」


 彼女に駆け寄る。視界は半分だし、身体はぐらぐらだ。そんなこと別にどうでもいい。


「このまま自殺させれば、おにいさんの手を汚さず死んでもらえるのに?」


 かみさまが背中から声をかけてきたけど無視した。


「――姫香さんッ!」


 彼女の手を掴んだ。同時に人差し指が動く。


 鼓膜を破るほどの轟音が響き渡った。

 カランと軽い音を立てて薬きょうが足元に落ちる。


「……」


 そして、銃も。遠くへ蹴り飛ばす。

 寸で軌道を強制的に変えた。もしかしたら姫香さんの手首を捻ってしまったかもしれないけど、配慮する時間がなかった。

 天井に空いた穴をちらりと見上げた後に姫香さんを見下ろす。


「ありがとう」


 言葉に迷った末、僕はまずそう言った。

 きょとんとした彼女へ言葉を重ねる。


「君が僕を見逃してくれたこと。記憶を無くした僕が、記憶を取り戻すのを待っててくれたこと。そして、神崎に逆らってでも僕を殺したくないと思ってくれたこと。嬉しく思うよ」


 『鬼』の組織で育ってきた彼女が、あの事務所での二年間を大事に思っていてくれた。特別な場所であったのは僕も同じだから純粋に嬉しかった。


「でもさ、死なないでよ……。僕、姫香さんがいなくなったらやだよ」

「……殺したいんじゃないのか」

「僕はさ……」


 壊れ物を扱うように僕は姫香さんを抱きしめた。実際に骨折れているし。

 もうどこも血まみれで彼女に血が付いてしまうけれど、そうせずにはいられなかった。


「殺したくない気持ちもあるけど、殺したい気持ちもあるんだ」


 『鬼』の組織は壊滅したとはいえ憎しみは消えない。薄れることこそあれ、完全に忘れることは無理だろう。……また記憶喪失にでもならない限り。

 そしてどこか心の底で最後の『鬼』である姫香さんを殺したいと思う気持ちも、存在している。

 どうしようもない。諦めるしかないのだ。向き合っていくしかできない。


「だから――僕のそばにいてよ。僕は隣にいる君を殺し続けるし、君は隣にいる僕に殺され続けてくれ」


 なにを言っているのか自分でも良く分からない。しかしこれがきっと最適解だ。

 隣同士で傷を舐めあい続ける。

 案外それも悪くないはずだ。


「お前は、馬鹿だな」


 姫香さんが呟いて、僕は苦笑いをした。

 知っているよそんなこと。ずっと前から。


 どちらからだったのかは分からないけれど、僕らは床にぶっ倒れた。

 かみさまが呆れたように見下ろしてきている。

 視線を他所へむけると、神崎が倒れているのが見えた。ざまあみろ、お前なんかに姫香さんは渡さねえよ。


 更に向こうから所長と咲夜が駆けてきたのが見えた。

 ふたりともすごく慌てた顔をしているのが可笑しくて、笑おうとして――そこで意識が途切れた。

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