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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
九章 ヘルタースケルター
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十話『鬼窟』

 緩い坂を転がるように僕は駆けていく。

 先ほどの大人数が嘘だったかのようにあたりは静まり返っていた。


「おにいさん、ボロボロねえ」


 かみさまが視界の端でケラケラと笑う。


「いよいよなのに、そんな状態で神崎を殺せるの?」

「殺せるかどうかじゃない、殺すんだよ」

「無謀さはいつになっても変わらないのね」


 馬鹿にしているのかと言いかけたけど、そもそも彼女は今まで僕に親身な言葉をかけてくれたことが無い。

 僕の幻覚なんだからもう少し僕に優しくたっていいのになあ…。

 そうこうしているうちに一番下まで降りた。あたりを警戒しながら店への入口へ近寄る。

 ガラスの自動ドアが割られていた。…いつ割られたのかは分からないな。

 ぱきぱきと破片を踏みつけながら中へ入っていく。非常灯がついているので辛うじて周りはぼんやりと見える。…人の気配がいくつかあるな。

 遠くの方で銃声と叫びがさざ波のように聞こえた。その音の位置で所長と咲夜が戦っているはずだ。


「次会うときは死体だよ、城野憲一と前原咲夜は」


 僕は聞かないふりをする。


「いくら武器があっても、いくら戦闘技術があっても、いずれ体力の限界は来るもの」

「……」

「それと椎名百子も前原籠原も、きっと今頃内臓を晒しちゃっているよう」


 くすくす。くすくす。

 僕の畏れていることを彼女は言葉にする。それが言霊になってしまいそうで、僕は「違う」と否定する。

 みんな生きている。まだ戦っている。生きて帰るんだ。


「おにいさんがいれば、生きていたかもしれないよ」


 黒々とした空間の中、彼女だけが発光しているように輝いている。

 ――まさしく、『神さま』のように。

 神託をくだすように、おごそかに少女は僕に告げる。


「見殺しにしたね」


 ふわふわとかみさまは僕の頭上を漂う。

 気持ちよさげに泳ぐ魚のようにも、縛りつけられた風船のようにも見えた。


「でも、それでいいんだもんね。最初はひとりだった。最後もまたひとりに戻るだけ」

「姫香さんは…」

「『鬼』を殺すんでしょ?」


 かみさまが僕の傍に寄り、体温も質量もない手を僕の頬に当てる。

 その赤い瞳の向こうに母さんの首が落ちていた。


「鬼退治しようよ、おにいさん。桃太郎がひとりだけ残っても、おはなしはめでたしめでたしで終わるんだから」


 僕はホルスターから銃を取り出して安全装置を外し、かみさまの心臓部分を狙って引き金を絞った。


「ぎゃ」


 胴体を撃ち抜かれたかみさまが床に崩れ落ちた。その頭を足で押さえつけてもう二発撃ちこむ。

 僕の足元に鉛玉がめり込んだ。そちらの方向へ銃口を向けて撃つ。当たらなかった。とりあえず何度か撃つとうめき声がした。

 いつのまにかかみさまが横に立っていた。ご丁寧に胸元が赤く染めて。


「下手くそー。それでも暗部かー」

「うるさい」


 かみさまに見えていた、足元で事切れたばかりの男を踏み越えて衣擦れの音がしないか耳を澄ませる。

 囲まれているが…あちらも僕の出方を探っているようだ。さきほどの馬鹿の大群よりは頭を使っているらしい。


 ふいにジジ、と頭上で音がしたかと思うとすべてではないが電灯がついていく。

 頼りない光ではあったが、その明るさに僕は僅かばかりに安堵した。

 電気が復旧した――というより予備電源だろうか? 百子さんがやってくれたのかもしれない。となるとあの二人は無事だ。


「今死んだって可能性もあるよ?」


 銃底で彼女の頭を殴る。当然のことながら空を切った。

 奇声と共に駆ける音が背後で響く。僕は振り向かずに銃を持つ手とは反対の手でナイフを掴み、後ろへ振り抜ける。切り裂いた感触。

 生死の確認も出来ないままにまた一人、今度は正面から迫ってくる。そいつを倒すと次、また次だ。

 みなクスリを体内にいれているのか焦点が合わず、動きもどこかおかしい。そして痛みも恐怖も鈍っているようで完全に息の根を止めないと立ち上がってくる。

 瞳孔が開いて眩しいのか伏し目がちで、こちらの攻撃が当たることが多いのは幸いではあるが…。いくらかはマシ、ぐらいでしかない。

 次第にめんどくさくなってきた。しつこい。一気に来いとはいわないけど、これはこれでねちっこさがすさまじい。

 しかもさっさと倒さないと次が来て徐々に多数を相手にしないとならなくなる。苦手な銃を使いどうにかいなしていくが――いや。

 …なぜ銃を使わない? 神崎サイドも銃を持ってきていると所長から聞いたけど、ここでは最初の一人以外は誰も撃ってこない。

 フレンドリーファイアを避けているのか――? そんな繊細な心遣いを神崎がするだろうか。


 ――まさか。

 近接戦で武器をとにかく使わなければならないように仕向けられているのではないか?

 いずれナイフも耐久性が落ちるし、折れる。弾だって無限ではない。

 そして…いずれ体力の限界は来る。


 最後まで抵抗を続けていた敵の首をへし折り床に落とした瞬間、ぞっとする殺意を向けられた。

 とっさにそちらに身体を向ける。

 サービスカウンターに人影。そこまで認識した瞬間、破裂音が響いた。同時に僕の右耳がカッと熱くなる。

 たたらを踏みどうにか持ちこたえて耳に手をやる。生暖かい液が手にべったりと付着した。

 …血だ。

 遅れてずきずきと痛みがやってくるが、アドレナリンが出ているためかそこまで激痛ではない。

 ゆっくりと耳の形を確認する。――下半分が、無くなっていた。


「…最初はおさげから落とすのがセオリーってもんだろ」


 吐き気を抑えながら僕はサービスカウンターへ悠長にもたれる男に言う。 


「おさげがあればそこから撃ったさ。お前よりも射撃の腕はいいものでね」


 僕たちは視線を交差させる。








「月がきれいな晩ですね、国府津夜弦」

「僕には月が見えないな、神崎元」









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