二十話『撃つ』
「なん、で…ここに、こいつ、いる?」
「嫌だなぁお嬢。あいつは我々にとっての仇ではないですか」
少女の手の先が急速に冷えていった。
どうしてこんなに簡単なことに気づかなかったのだろうと後悔している。
神崎は『鬼』という組織を好きではなかったが、『鬼』の在り方は気に入っていたはずだ。
それを壊されて愉快なはずがない。
この男は執念深い。自分のプライドが傷つけられたならば、容赦なく相手を傷つけ返していた。
ならば、城野だって例外ではない。
「組織を潰して、あまつさえボスの娘を攫った恥知らず。放置することは出来ませんから、ね」
『鬼』を潰した報復は、城野の命を奪う事。
何とちっぽけな代償だろう。
たかが一人の人間の命で、組織が一つ消えたことによる穴埋めは出来ないというのに――。
それでもせずにはいられないのだ。
夜弦が『鬼』の壊滅、それを『終わり』としてひとつの区切りにしたいように。
神崎もまた、『鬼』を始めるためにはまず組織を潰した城野の命を潰さなくては区切りとできない。
「…どうするんだ」
「あれ、お嬢ならもう分かっていると思いますけど」
神崎はすっとぼけた態度で首を傾げる。
黒々としどんよりと澱んだ人殺しの目を見て、少女は気付く。
城野と少女は二年間も共に生きてきたのだ。その間柄にある程度の愛着は湧いている。
その程度がどれほどのものかを神崎は図ろうとしている。
「殺します」
あっさりと告げられた言葉に、城野の表情が歪んだ。
「テーマパークにご招待しておいて、ずいぶんなご接待だな」
神崎は無言で手を振る。すっとガタイのいい男が城野に近寄り、そのわき腹を蹴り飛ばした。
笑い声がさざめく。
「ぐっ――!」
「残念ながら客人と話すほどサービスは良くないものでね。黙っていてもらえるとありがたい」
「ずいぶん横柄なホストだな、質の悪さガッ!」
頭を踏みつけられた。
神崎はやれやれと首を振る。
「お嬢も大変でしたね、こんな輩の下で二年間も」
城野の命を掌握している男は、わざとらしく肩をすくめてみせた。
答えられない。少女は震える手を隠すことで精いっぱいだった。
…この場で神崎に鞍替えすることは難しくはないはずだ。
むしろ圧倒的な不利の状態の城野の味方をし続けることは愚かでしかない。
だけど。
この二年間は、あっさりと捨てるにはあまりにも――楽しすぎた。
「殺すため、わざわざ、こんな大掛かりに?」
「こんなの一匹殺すためなら手間かけませんよ。コイツを餌に魚を釣るつもりなので」
十中八九、夜弦のことだろう。
城野と記憶を取り戻しただろう夜弦がどのような話し合いをしたかは不明だが、城野が生きているということは穏やかな着地はできたのかもしれない。
「そうか」
思えば、ずいぶんと濃密な二年間であった。
城野と毎週見ていたテレビ番組、買い物に連れ出してくれる百子、アイスを一つずつ買って咲夜と分け合ったこと、ゲーム盤の向こうでほほ笑む夜弦。
命は、代えられないものだ。
だけれどこの記憶だって代えることはできない。
「……」
何度も生唾を飲みこむ。
幾度も心の中で天秤を揺らす。
何が正しくて、何が間違えているのか?
少女の選択は合っているのかを採点してくれるのは未来の誰かだ。
――少女は、決めた。
最低な女だと罵られても構わない。
少女にとってこれが最善の手段なのだから。
夜弦には悪いが、一足先にここで終わりにしてしまおう。少女は胸の中でこっそりと青年に謝る。
もともと許される存在ではないのだからそこまで心苦しくはなかった。
「神崎」
「なんですか、お嬢?」
「武器、寄越せ」
「おや」
神崎は瞬きをする。
「どうするんですか?」
「決まっている。あの男、殺す」
「お嬢が?」
予想外のことであったか、周りがざわめいた。
当然城野も驚愕で目を見開いている。
「仇だ。私の役目だろう?」
「――なるほど。ナツミ、それちょうだい」
神崎の横にいた女――ナツミが眉間にしわを寄せる。
「ちょっと。信じるの?」
「もちろん。おれはお嬢を信じるよ」
文句を言い足りなさそうであったが、神崎の目を見るとそれ以上は逆らわずに拳銃を渡した。
軽く動作を確認した後に神崎は少女へ手渡す。
ずっしりとした重さの鉄の塊、そのグリップ部分を両手で包み込む。
その様子を見て察した城野が息を細く長く吐きだす。
「撃つなら撃てばいいさ。元から俺はあんたのことが嫌いだったんだ」
城野は乾いた笑い声をあげた。
「俺の親父もお袋も奪った組織、そこで一等大事にされたお姫様。憎んでいないわけがないだろ」
「……」
「利用してやろうと思ったのに遅すぎたな。死ぬのは悔しいが、あんたの顔を見ないで済むんだからこれでやっとせいせいする」
二年間も一緒に暮らしてきたのだから、分かる。
偽りだらけの遺言だ。
少女が撃ちやすいように、わざと怒らせるようなことを言っている。
城野はそういう男だ。自分にヘイトを集めて犠牲になろうとする。
「殺れよ、『鬼姫』。銃の撃ち方は教えたはずだ」
「ああ…しっかりと、習った」
実弾は初めてだ。だけどうまくやるしかない。
セーフティを外す。引き金に小刻みに震える人差し指を当てる。
ゆっくりと銃をあげた。
狙うは―――神崎の頭。
銃口を突き付けられても神崎は変わらぬ笑みで少女を見ていた。
どうして、笑っていられる?
疑問に思いながら、少女は引き金を引いた。
これで終わる。
はずなのに。
――カツン、と軽い音だけが響いた。
「困った。どうやら装弾していなかったようです」
ひょうひょうと、神崎は嘯く。どこも撃たれていない。
「なに…?」
「ですから、うっかりと弾を込め忘れていたようです。申し訳ありません、お嬢の一大決心を無駄にして」
にこやかな表情のままに、未だ構えたままの少女の手首へ神崎は触れる。
脳内で警報が鳴り響く。
「ただ、危ないことをしたことに対しては怒らなくてはいけませんね」
神崎の掴む手が少女の手首を万力のような強さで締めあげた。
ミシミシと骨が軋み声を上げている。
「ヒメ! 振りほどけ、今すぐ!」
城野は叫ぶ。
だがすでに遅すぎたし、少女の腕力でどうなる力でもない。
木の枝が折れるような乾いた音が、少女の手首からした。
少女は茫然と自分の折れ曲がった手を見る。そして、直後に襲ってきた激痛に声にならない悲鳴を上げた。




