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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
八章 ファム・ファタール
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十八話『出発へ』

 張りつめた空気をごまかすように僕は笑った。

 もし所長がここに居たらフォローの一つはしてくれただろうか。


「…咲夜が言っていた通り、感情のままに動くのは僕の悪い癖だな」


 実家のことを心配していないわけではない。

 僕が死んだときに『国府津』の後継ぎがいなくなってしまうという不安も分かる。

 養子を迎えようにも、諜報部という特殊な立場ゆえに多くの条件を設けなくてはいけない。そこをかいくぐったとして、果たして国と組織の為に人の命を潰す役職をまともな思考で行える人間は何人いるのか。

 いや、まあ、まともな人間なんていないけどさ。諜報部と言わず、裏社会で生きる人間には。


 父さんの気持ちは分かる。

 ひとり息子が、記憶を失った原因の男を助けに行くだなんてーーしかも命の保証がされていない場所に飛び込もうとしているなんて、正気の沙汰ではない。

 もしも僕が父さんと同じ立場だったならやはり同じように止めたはずだ。諦めろと怒鳴るかもしれない。

 確かに所長と姫香さんが欠けたところで、社会は変わらず回っていくのだろう。何人かの人間に変化を与えるだけで、それすらも全体には何ら影響はない。


 だけど、僕の世界には大きく影響する。

 僕の手の届くところで起きている出来事ならば、僕は手を伸ばす。

 おかあさんが死んだあの時、僕には力もなければ手を伸ばす勇気もなかった。ただ、おかあさんの命を犠牲にして生き延びた。胸にぽっかりと空いた穴を抱えながら、生きてきた。

 今の僕には力もあるし勇気もある。例えそれが蛮勇と言われようと、知ったことか。もう、失いたくない。


「自分の命を犠牲にしてでも取り戻すに行くの?」


 くすくすとかみさまは無邪気に笑う。

 赤い目が僕をじいっと見つめている。僕は真っ直ぐに見かえした。


「無力だった昔の自分を恥じて、その汚名を返上しにいくの?」


 そうだよ。

 僕はもう後悔したくないんだ。出来ることがあるなら、やりたい。


「たくさん迷惑かけて来たのに、さらに迷惑をかけていくの?」


 数えきれないほど迷惑をかけて来た。なら、これだってそのうちの一つだ。


「逃げ道もあるのにさっさと塞いじゃって。そんなに自分で終わりにしないと気が済まないのね」


 当たり前だろ。

 そもそも、神崎が誘ってきているんだ。それに乗ってやらないとかわいそうじゃないか。

 二年前の続きだ。

 終わったと思っていた。だけど何も終わっていなかったんだ。

 だったら、きっちりと息の根を止めてやる。


 僕は、所長と姫香さんを取り戻して、神崎を殺して、『鬼』を跡形もなく潰す。


「――終わったら、お兄さんはどこに行くつもりなの?」


 どこに? どこにって、そりゃあ…。

 僕は――


「夜弦兄さん?」


 はっと我に返る。

 気づけば咲夜が僕の顔の前で手を振っていた。かみさまは部屋の隅っこにいつのまにか移動し、にこにことしている。


「大丈夫ですか?」

「あ、うん…」

「当主様の件なら、非常事態ということで許してもらうしかありません。謝るのが怖いなら私も一緒に行きますから」


 先生に叱られるのが怖い学生みたいな扱いを受けている。

 父さんの折檻の過激さは咲夜も知っているのでそういう提案をしてくれているんだろうけど。

 そういうことじゃないよと話していると、百子さんが椅子ごとくるりと振り向いた。


「ごめん、話を遮るよ。いっちゃんから報告があったの。ウイルスに感染したコンピューターが数字の羅列を表示して固まっているって」

「数字の羅列?」

「うん、どうやらただの羅列ではなさそうで、それを解読したいけど…『鴨宮こっち』の当主がまだ不安定なままで手を離せないんだって。だからこっちにまわしてきたんだけど」


 そうか、小杉さんが…。

 うまく嵌った組み合わせの印象があったし、彼が死んだショックは大きいのかもしれない。

 …『鴨宮』当主にも人間らしいところがあるな。百子さんを殺そうと躍起になっていた人間と同一人物とは思えない。

 逆に百子さんは冷めた風に話をしている。


「神崎って人を知っている夜弦くんが、この数字に見覚えないかと思って」

「いやあ…あいつのほうが僕を知っているでしょうし、僕はあいつの事なんにも…」


 言いながらデスクトップを見る。

 添付されていた画像は、黒字に赤文字と目に痛い配色だ。ちかちかと見辛いし疲れる。これを作ったやつ、眼球が破裂してくれないかな。

 ざっと目を走らせた。

 円周率の一部と言われても信じてしまうぐらいに、びっしりと数字が表示されている。ところどころ区切るようにスペースがある。


「特に見に覚えが…いや、」


 ある。


「座標だ…! この部分、アミューズメント施設跡の座標です!」

「アミューズメント施設跡地? …それって、『鬼』の本拠地があったところだよね!?」

「そうです! 昨日の深夜にここに呼び出されて神崎の刺客を四人殺しました」

「え、うん、そっか」

「何してるんですか本当に…」


 咲夜が後ろで頭が痛そうな顔をした。

 言ってなかったっけ。言う暇がなかったんだな。


「じゃあ他のは…?」

「すいません、それしかわかりません」

「調べるね。罠とかないと良いんだけど」


 検索エンジンにかけると答えはすぐ出た。


「遊園地跡、今改装中のショッピングモール、廃工場。とりあえず出てきたのはこの三つだよ」

「どういう意図があってこの場所を出したのでしょうか」

「決まっているよ。この中のいずれかに奴らがいるってことだ」


 アミューズメント施設跡地を出してきたあたりで大体察してはいた。

 呼ぶなら呼ぶでまどろっこしい真似しないでほしいものだが。本当に神崎ってめんどくさいやつだな。

 この場所のチョイスは、部外者の乱入をできる限り最小限にしたいからだろう。こういうところならやりたい放題できそうだし。


「…全部回るころには夕方になるぞ。ひとつひとつの距離が長い」

「あたしも出来る限り情報を集めてみます」

「場所が分かったなら動こう。時間が惜しい」

「はい。武器の準備は完了しています」


 僕はポケットに入れたままのイヤーカフを取り出した。

 耳にかける。さすがにサイズは小さかったけど、これなら落ちることはないだろう。


「行こう」

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