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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
八章 ファム・ファタール
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十三話『切り捨て』

 どうしてこんなに絶望的なことが立て続けに起きるんだ。

 ドミノ倒しのようにひとつのピースが倒れたらなすすべもなく続けて倒れていく。そして僕は止める手段を知らなかった。

 ただ倒れたピースを見て愕然とするだけ。そうしている間にも、ピースは倒れる。

 手を付けるべき場所は、どこなんだ?


 こんな時、「僕」だったらどうするだろうか。

 記憶を失う前、憎しみと怒りに背を押されて生きてきた僕なら、どんな判断を下すだろう。


「切り捨てていたよ」


 窓の外、ガラスを挟んでにこにことかみさまが笑っていた。

 魚のように、ふわふわと浮きながら視線だけはまっすぐに僕を射抜く。


「国府津夜弦。『残酷』という二つ名に恥じない判断で、姫香ちゃんも、姫香ちゃんのおにいさんも、切り捨てていたはずだよ」

「……」

「目指すは神崎元の首一つ。そうでしょう? 目標の達成のためなら、少しの犠牲ぐらいどうだっていいあなただもの」


 諭すように、あやすように、白い少女はささやく。

 生きていたころの彼女は、こんなことを言うだろうか――いや、あの子には知識がなかっただけ。ともすれば人の真理に触れるようなことを平然と口にするところはオリジナルといっしょではないか。

 僕の幻覚なのだから、僕にとって痛いところを突いてくるのは当たり前だ。


「夜弦兄さん?」


 咲夜が眉をひそめて僕の名を呼ぶが、それどころではない。


「うふふ。神崎に勝ちたいなら、全部捨ててしまおうよ。お兄さんに残った善性をすべて排してしまうの」


 ガラスをすり抜けて、少女は僕のもとへ滑るように移動してきた。

 そして物体のない白い腕を伸ばし、僕の頬に触れるそぶりをする。


「城野憲一を見捨て、椎名百子を見捨て、前原咲夜を見捨てるの」


 赤い瞳が細くなり、瞳孔がきらめく。

 神様というよりは、悪魔のように僕には見えた。


「そして『鬼姫』と『鬼神』を殺す。もとからゼロだったんだもの、さいごにまたゼロに戻っても同じこと」


 ね? とかみさまは小首をかしげて美しく微笑んだ。


「使い捨ての駒は幸いにもそこにふたつ。どう使おうか、お兄さん?」


 僕は――。

 僕は、思いっきり自分の頬を叩いた。乾いたいい音がする。同時にじんじんと痛みが生まれた。

 危うく得体のしれない思考に染まりかけた脳みそが目を覚ました。

 呆然とする咲夜と百子さんを横目に、僕はかみさまにはっきりという。


死んだ人間が・・・・・・生きる人間に・・・・・・指図をするな・・・・・・


 この命の使いどころは、生きた人間が決めるものだ。

 死んだ人間があれこれ言うことは許されない。許されてたまるか。

 僕は二人に顔を向ける。

 奇抜なものを見るような目をされているのはちょっと傷ついたけど、僕だけにしか見えない幻覚とおしゃべりしていたので仕方のないことではある。あきらめよう。


「…大丈夫、夜弦くん?」

「大丈夫です」


 なにも大丈夫ではないが、意地でもそう宣言しておく。


「事務所に行きましょう。事態はなおも進行中、僕たちも動かなければ」


 視界の端でかみさまは相も変わらず笑っていた。

 



 僕たちは急いで事務所に戻ると、ロッカーの後ろに隠された武器庫を開けた。

 以前所長に見せてもらった時よりも減っている気がする。


「少しずつ処分しているんだよ、ケンくんは。いざという時のためにってちょっと残しているけど…」


 銃火器の出番が必要な『いざという時』をこれまでさんざん見てきたので、今更突っ込みはしなかった。

 記憶を取り戻してもう一度思うけど、探偵事務所の域を超えているだろ。


「先代所長のものとはいえ、さすがに思いっきり銃刀法違反だから…」

「そうですね。所長はあくまでも一般市民、見つかったら厳しい追及は避けられません」


 銃刀法違反の塊であるような女がなんかしたり顔でうなづいている。

 最低でもナイフを二本は常備しているくせして…。

 とにかく、拳銃、小銃、散弾銃の各二丁ずつと弾薬を取り出す。定期的にメンテナンスをしているという話は本当で、しっかりと整備されていた。それにしてもちょっとってなんだよ。がっつり残してるじゃねえか。

 一般市民の持ち物としては物騒すぎるが、今から数も練度も不明な敵と対峙するにはこころもとない。


「咲夜、この付近にセーフティハウスは?」

「そういうと思ってすでに連絡してあります。場所は病院のそばなので、移動時間はそうかからないでしょう」

「すごいね、『国府津』ってセーフティハウス持ってるの…」

「『鴨宮』もあるはずですよ。身を隠さなきゃならなかったりする必要があるとき用に…。もっとも、武器庫と化しているのは僕たちだけかもしれませんが」


 …僕とおかあさんが『鬼』に襲撃されたのも、セーフティハウスでだったんだけどね。

 当時、『国府津』が『鴨宮』を潰さんばかりに制裁を加えたのは、妻を亡くしたこととそのような重要な情報を引き抜き『鬼』に売ったからだ。ほかの二家が止めなければ共倒れしていたはずだ。

 百子さんの前ではそんなこと口外しないけど。


 ひととおり事務所での準備を終えて前原さんを待っている間、僕たちはとある音を聞きつけた。

 一階から二階への外階段をあがる音――。


「…来客ですね」

「ケンくん、何も言っていなかったし、たぶん依頼も断っていたはず…」


 反響する音から察するに、三人ほど。ゆっくりとのぼってきている。

 ただの依頼者だと能天気に構えるほど、僕らはバカではない。


「咲夜、殿しんがりを。僕は百子さんと先に行く」

「了解」

「な、なに? どうするの、ふたりとも…」


 僕は黙って足首を回し、軽く柔軟体操をする。

 咲夜はナイフを一本取りだした。


 足音はドアの前で止まり、中の様子をうかがっているようだ。

 静かにノブが回される。薄く開いた時を狙って、僕は事務所の椅子を投げつけた。

 突然の衝撃に来訪者は驚いたらしい。動きが一瞬だけ止まった。


「行きますよ!」

「え!?」


 僕は百子さんを抱え上げて、ドアまで一直線に走る。

 破るようなイメージでドアに蹴りを入れる。嫌な音ともに自由への道は開いた。


「せいっ!」

「ぎゃ、ぎゃあああああああああ!!」


 外階段の手すりを乗り越え、僕たちはそのまま二階から文字通り飛び出した。

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