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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
八章 ファム・ファタール
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十二話『行方不明の兄妹』

「電話が繋がらない……」


 青を越して真っ白な顔色で、百子さんは呻いた。


「それどころか、データ削除をしている」

「なんのことですか?」

「あたしが昔作った、情報デバイスのデータを完全に消すアプリ。先代所長時代に、いつかろくでもないことが起きそうだから緊急時用に作ったの」


 何してたんだよ先代所長。

 呆れる僕の横で咲夜は聞く。


「そのことをなぜ百子さんが知ったのです?」

「データ削除したら通知が来るようにしたから。あの人は知らないだろうけど…。あたしになんとかできることなら、助けに行けるように」


 ケンくんが無理ならあたしにも絶対無理なんだけどね、と眉を下げた。

 そうしている間にも百子さんは自分のカバンから引っ張り出したタブレットを操作していた。一秒でも時間を無駄にしたくないと、言外で表している。

 画面を目を皿のようにして眺めた後、彼は首を振る。


「GPSを見て見たけど、ケンくんの足取りが病院敷地内で消えてる…」

「機器の故障とか、充電切れの可能性は?」


 むしろそうあってほしいけれど、そんな奇跡はないと頭の隅で分かっていた。

 事態が起きる時は、どんなに祈っても起きるのだ。


「これを見て」


 僕の楽観的な意見には答えず、百子さんはタブレットを指し示す。

 地図が表示されており、道路に沿って線が引かれていた。そこを彼は指先でなぞる。


「これが彼の辿ったルート。でも、病院についてしばらくした後、不自然に消えている。そこからはこの通り、どこにも線は伸びていない…」

「所長が意図的に電源を切ったということですか?」


 咲夜が首を傾げる。

 今までの彼の秘匿体質を考えればそれもあり得そうなのが悲しいところだが。


「たしかに否定はできないよ、咲夜。たけど他の可能性もある。…電波ジャマーだ」

「電波妨害ですか」

「そうだ。意図的にしろ、電波ジャマーにしろ…分かることはひとつ。所長はもうここにはいない」


 自分の意思で、というのは不自然だ。

 僕と一応の和解は出来たから今更逃げる理由がない。発狂寸前になりながら百子さんを助けに行く所長が、百子さんを置いていくとは考えられない。

 それに二年の間、僕を保護だか監視だかする指示を出していた『国府津』から逃げ出さずに全うした彼だ。こんな時に身を隠すような馬鹿ではない。

 だとしたら――。


「ケンくんの『誘き出されている』っていうのは、間違いじゃなかった。そういうことだよね」

「…はい」

「おそらくは」


 百子さんは目を閉じる。

 僕は慰めの一つでもかけるべきなのだろう。だけどそうしている時間があるなら、動かなければ。

 もはや時間は待ってくれない。


「病院に行きましょう。所長がどこへ行ったかの手かがりがあるかもしれません」

「それしかないね…」

「私も同意します。――その前に、姫香さんも連れていきましょう。このまま一人にしておくのはリスクが高すぎる」


 僕の顔色をうかがうように咲夜は提案する。

 落ち着いたとはいえ、僕が姫香さんを殺さないか不安があるんだろうな。

 実のところ自分自身でも不安ではある。彼女の顔を見た時に殺したいという衝動を抱かないか――。しかし、思い悩んでいても仕方ない。


「決まったね。まずは姫香さんのところへ、それから病院に行こう。咲夜、車の手配は?」

「同居人に頼みます。すぐに出せるでしょう」


 同居人…。前原さんか。いつも酷使していて申し訳ないな。


「なら城野家に行っている間に車の準備はできるか。こっちに車をまわすよう言ってくれ」

「了解しました」


 所長の住むマンションは職場から徒歩十分という便利なところにある。

 僕たちが早足で進んでいると、遠くでサイレンの音がした。

 …そういえば、岩木さんたちの件はいまどのような処理をなされているんだろう。身元が分かり次第、事情聴取が始まるはずだ。その時に隣に住む僕も参考人として浮かんでいるのは確実。アパートには帰っていないし、まだ事務所に警察が来ていないからこれからなのかな。

 その時に僕が行方知れずだったら、被疑者候補の扱いをされるのだろう。事が終わるまで警察に見つからないようにしないと。


 マンションにたどり着いた。

 中へ入ろうとしたところで、足元で石ころとは違う固いものを踏んだ。

 足をずらすと、アスファルトの上で仰々しい飾りのアクセサリーが輝いている。一気に体温が下がる感覚がした。

 摘まみ上げて無言のままに二人に見せる。


「…姫香さんの、イヤーカフ?」

「夜弦くん、それどこで?」

「ここに落ちていました。どうして、こんなところに…」


 イヤーカフを握り締め、階段を一息に上る。

 咲夜と百子さんを待たないまま、何度か尋ねたことのある部屋番号のドアの前にたどり着く。

 インターホンを押した。反応はない。

 インターホンを押した。反応はない。

 インターホンを押した。反応はない。

 インターホンを押した。反応は、ない。


「姫香さん! 僕です、夜弦です!」


 反応は無い。耳をドアに当てて中の様子をうかがってみるが、物音は一つも聞こえない。

 いっそのことドアを蹴り破るか。

 その前に開いていないかを確かめようと、ノブを回した。


「…え?」


 抵抗もなく、ドアは開いた。

 ようやく、わずかに呼吸を乱した咲夜が追い付いた。その後ろから遅れて肩で息をする百子さんが現れる。


「いましたか?」

「いや…」


 僕は土足のまま、室内へと入る。

 玄関に置きっぱなしの鍵。激しい抵抗の跡はない。人気のない廊下。半開きの部屋から、きちんと畳まれた布団が見える。リビングまで進む。沈黙したテレビ、テーブル、流し台に並んだふたつのマグカップ。

 片隅に置かれた小さな机には、花と線香立て、そして二つの写真が飾られていた。

 夜になればまた部屋の主が帰ってくることを疑っていないような、そんな光景だ。

 すべてのドアを片っ端から開けていく音がする。しばらく待っていると、湿り気を帯びた声色とともに百子さんがリビングに来た。


「どこにもヒメちゃんがいない…」


 所長は鍵を閉めず出かけようとする姫香さんに辛抱強く言い聞かせ、今はきちんと鍵をするようになった といつか聞いたことがある。そんな彼女が鍵を置きっぱなしにしてでかけるだろうか。

 それに、イヤーカフ。ちょっとしたことでは外れないようになっているこれは、どうして道路に落ちていたのか。

 姫香さんが、意図的に落としたものだとしたら?


「どう判断しますか、夜弦兄さん」

「一足遅かった。彼女が望んだかどうかは不明だが、これだけは言える」


 どんどん、後手になっていく。

 その事実が悔しくて僕は腕に爪を食い込ませた。


「神崎は、『鬼姫』を手に入れた」


 僕と所長が潰した組織――『鬼』。

 それが息を吹き返そうと蠢いているような気がして、吐き気を覚えた。


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