十一話『本当に消しますか?』
事務所内に沈黙が落ちた。
百子さんの言っていることを、ありえないと一蹴できてしまえばどれほどよかったか。
だが、現実はこれだ。
あの男を見くびっているつもりは全然なかった。だけど、動きが予想外すぎる。
僕を殺そうとしているのは明白だ。
しかし、実家にまで手を出すか? 普通。
自分だったら憎い相手にどんな手を使うか考えて、確かに実家とか友好関係を壊すだろうなと結論が出た。そのほうがすぐ殺すよりも、相手を長く苦しめることが出来るからだ。
いったいどれほど前から準備していたのだろう。僕を貶めるために、どれだけの時間を費やしたのだろう。
…めちゃくちゃ気持ち悪いぞ、あの男。今すぐ心臓爆発して死んでくれないかな。
咲夜が電話を終えて長くため息を吐く。
時計を見れば所長が出てから30分以上たっていた。そろそろ病院についているころか。
殺気立ってモニターを見る百子さんに恐る恐る話しかける。
「百子さん。所長には、伝えますか?」
「まずはあっちの用事が済んでからにしてあげたいな…。正直、四家とケンくんは関係ないし」
「そうですね」
『国府津』と『鴨宮』を雇っている時点で…と思わなくもないけど。
よく考えたらとんでもないメンバーだな。日本の裏組織の集まりかよここは。
第一波は越えたのか、百子さんはごしごしと目をこする。
「…どうですか」
「どうなんだろうね。侵入してきたプログラムにウイルス突っ込んで返品したけど…そんなの、焼け石に水だろうし」
こめかみをぐりぐりと押しながら、百子さんは独り言のように呟く。
そのそばで彼のスマホが着信を伝えた。電話を取る前に切れてしまう。
「ケンくんが病院についたみたい」
何事もなく到着したのか。良かった。
そこで、ふと疑問が湧く。
「渡会さん、ICU送りですよね」
「だろうね…。今は手術中だとして、そのあとは絶対ICUだと思うよ…」
「所長って親族ですか?」
「え?」
「渡会さんの親族ですよね?」
百子さんはしばらく黙る。思い出しているようだ。
「んー、まあそうだけど…。結構遠い血縁ではあるだろうね」
咲夜も同じ考えに至ったようだ。
ハッとした目で僕を見る。
「私、そのような経験がないのでわかりませんが、家族以外の面会もできるのでしょうか」
「…家族以外?」
「あのようなところは、よほど近しい関係でなければ容体が安定するまで面会できないと言います。遠縁の所長が、面会を許されるのでしょうか」
「でも、藤岡さんが言うにはケンくんを呼んでいたって。だから入れてくれ…いや、確かにおかしいね」
言いながら百子さんも違和感を覚えて顎に手を添える。
そして再度スマホを手にして、所長に電話をかけはじめる。呼び出し音が無機質に漏れている。
「なんせ、あたしまで呼ぶように言うぐらいなんだから…。そんなに大事なことなら、門前払いのリスクを考えて藤岡さんに話しているはずだし――なにより死にそうなときにどうして真っ先にケンくんとあたしが出たんだろう」
「だから『誘きだされている』と言ったのでしょうか、所長は」
「誰に?」
僕はあの性格のきつい眼鏡の男性を思い浮かべる。
不正なんてしたこともないような顔をしていたけど、心の中までは分からない。
「…藤岡という男が、渡会さんをエサにして、所長を呼び出したということでは?」
「もしその通りだとしたら……」
繋がらない電話にそわそわと焦りながら、百子さんは泣きそうな表情になる。
「今からケンくん、どうなってしまうの?」
〇
某国立病院前。飛ばしたおかげで想定よりも短い時間で来ることができた。
城野は三コールきっちり鳴らすと、電話を切る。それから以前百子に貰ったアプリケーションを表示させた。
スマホ内のデータをすべて消去することを目的とするものだ。
何かの折に百子が作ってくれたオリジナルのもの。恐らくは先代所長の携帯にも入っていたし、百子のものにも入っている。
真っ白な画面に、黒文字で質問が浮かぶ。
【本当に消しますか?】
城野は「はい」を押した。
病院の裏口に位置する緊急外来。そこにあるドアの横にはインターホンが設置されていた。
【本当に消しますか?】
城野は「はい」を押した。
インターホンを押すと、すぐに接続されて女性の声で『こんにちは。お名前をお願いします』とノイズ交じりに聞かれる。
唾を一度飲み込んだ。
「城野憲一です。こちらに、渡会という人が運ばれてきたと聞いて…」
『少々お待ちください。…城野さま、ですか?』
「そうです」
『申し訳ありません。ご家族様のみの面会となっております』
「…城野を通してほしい、という言付けなどは?」
『申し訳ありません。ああ、いま、待合室の方にご家族の方がいらっしゃいますのでお呼びいたしますね』
「いえ、大丈夫です。また日を改めてきます」
インターホンから逃げるように離れ、城野は下唇を噛む。
分かっていたはずなのに、期待してしまった。
【本当に消しますか?】
城野は「はい」を押した。
背中に視線が突き刺さる。ここについた時からずっと、見られていることに気づいていた。
【実は酔っぱらっている?】
城野は「いいえ」を押した。
罠だと分かっていても、渡会が危機的状況で自分を頼ろうとしているのではないかと、一瞬考えてしまった。
そんなことはありえないのに。渡会は、城野のことをビジネスとしての相手であり、孫とは扱わない。
渡会の周りには多くの家族がおり、頼れる人間がいる。その中に城野はいない――それでも、期待してしまったのは確かだ。
【本当に消しますか?】
城野は「はい」を押した。
【ばいばい】
その一文字が浮かんだと同時に、画面がブラックアウトする。
「…ばいばい」
消え去ったデータに思いをはせて城野は駐車場へと向かった。
平日ということと、少し奥まった駐車場に車を止めたからか、あたりには人はいない。
そのはずだった。
「城野憲一さん」
車のドアが開く音と共に、背中から声がかかる。どうやら今しがた通ったスモークガラスの車に人がいたようだ。
振り向こうとすると、背中に固い感触がした。――銃の感触。
先代所長に「こういう感覚だぞ」とやられたことがある。その経験が今はじめて生きたが、生きたところでどうしようもない。
「物騒なモンお持ちで。何の用だよ、藤岡」
横目で睨みつける。
眼鏡をかけ、スーツ姿の男が城野のすぐ後ろに立っていた。
「ジジイは俺になんて言っていたんだ? 教えてくれよ」
「椎名という女は、結局いないようだな」
「質問に答えろよ」
「あの人の直接の孫でもないくせに呼ばれると思っていたのか? おめでたい脳みそだ」
銃が無ければぶん殴っていたところだ。
「わざわざジジイを囮にして俺に会いたかったようだが、愛の告白でもするのかな?」
「残念ながら俺は伝書鳩だ。おとなしく付いてきてもらうぞ」
「嫌だと言ったら?」
「今、病院内に俺の部下がいる。あとのことを考えなければICUに入ってあの人の首を絞めるのだって難しくはないんだ、城野」
城野は舌打ちをした。
大人しく指示に従って後ろに手を回す。かちゃんと手錠をはめられた。
車内に押し込められながら、城野は考える。
スマホ内のデータはすべて消えた。だから知り合いたちに迷惑がかかることはない。
GPSもバレない限りは位置情報を流してくれる。
事務所メンバーは助けに来てくれるだろうか。
まあ、その時はその時だ。自分が死んでも世界は回る。姫香も、百子も、なんだかんだうまく生きていけるはず。咲夜も本来の仕事に戻るだけ。夜弦にも真実を言うことが出来た。それが、今の救いだ。
「飲め」
「身体が小さくなる代物じゃないだろうな」
顎を掴まれて問答無用で薬を飲まされた。
徐々に思考が鈍くなり、重い眠気がやってくる。
「…死にたくねえ」
朦朧とする意識の中、口の中でつぶやいた言葉はエンジン音にかき消された。




