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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
八章 ファム・ファタール
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七話『よいマンションですね』

 神崎元が生きていることは知っていた。

 そして、動き出していることも薄々感じていた。

 だがこうして姫香の前に現れるとは、予想をしていなかった。

 二年間もの間、神崎からはまったく音沙汰がなかったため、てっきり捨てられたのだろうと考えていたのに――。


「…迎え?」


 どうか義兄が今戻ってこないようにと祈りながら、姫香は努めて冷静に聞く。

 神崎はにこやかに返した。


「ええ。ようやく準備が終わったので――遅くなって申し訳ありません」

「なんの、準備だ」

「組織としての『鬼』をもう一度作っていたのですよ」


 姫香はめまいを覚える。

 『鬼』を、再建していた?

 それを聞いたときに城野と夜弦はどんな顔をするのだろう。かつてボスだった男の、実の娘ですら困惑しているというのに。

 自分の親を殺した組織が、破壊したはずの組織がもう一度目の前に現れたら?


「…もう、ボスは死んだ。今更、何を、する」

「あ、けっこう話せるようになりましたね、お嬢。その話をするにはここはあまり落ち着きませんから」


 マンションの出口を指さした。


「車の中で話しましょう」

「……」


 直感が動いた。というより、経験則だ。

 伊達に二回も誘拐されていない。

 一回目は、そうなるように動いた。二回目は、そうなってしまった。

 そして、今回は――。


「いいマンションですね。防犯カメラはエレベーターだけ。右の住人は子供を入れて三人、左の住人はふたり暮らし。この階合わせて十四人。もっとも、今の時間帯はあなたを入れて五人しかいません」

「だから、なんだ」

「四人ぐらいなら『国府津』の坊ちゃんでなくても殺せますよ、おれは」


 ストレートな脅しだった。

 姫香が従わなくては殺害するという、姑息にして効果のある脅し。

 以前の自分なら、いや白い少女に会う前の自分ならこの状況をどうしていただろうか。

 死の恐怖を、誰かが死ぬという恐れを、感じなかった姫香ならば。

 手が震えるのを感じながら彼女は努めて平然としながら答える。


「…行けば、いいんだろう」

「よかった。おれとしても抵抗するお嬢を引きずっていくのは嫌だったので」


 姫香はするりと玄関から出てドアを閉める。鍵は閉めない。そうする暇もないし、おそらく姫香が居らず、鍵もかかっていない状況に義兄は異変を感じるはずだ。ドアに鍵をかけることに関しては、城野にずっとうるさく言われてきたから。

 見とがめられないように姫香はせかす。


「おまえ、運転、するのか」

「実のところ、ここらの地理は詳しくないんですよ。だから他に運転をする奴がいますが、お嬢は気にしなくてもいいですからね」


 つまり神崎は常に姫香へと意識を向けていられる。どうあがいても逃がす気はないということだろう。

 何故姫香をここまで欲しているかは現地点で不明とはいえ、ろくでもないことが起きるのは確実であった。

 それをどうにか事務所の面々に伝えたいが、携帯は家の中でもはや通信手段が残されていない。ただ一人、姫香が消えたこと以外にはなにも情報がない。


 ――覚悟を決めなくてはならない。

 おそらくこれは、人生の分岐点なのだ。

『鬼姫』と『アンティーク姫』、どちらに区切りをつけるべきなのか。

 夜弦に殺されるためにはどう動けばいいのかも――。


 道路に出、車のドアを神崎が開ける一瞬の隙を狙って姫香はイヤーカフを外してアスファルトに放った。

 よほど激しい動きをしなければ取れない代物がこんなところに落ちていれば妙に思うだろう。ただならぬことが起きたと察してくれるとよいのだが。

 意図を正確に読み取ってくれたり、誰が見つけてくれるのかも分からないが、それは賭けるしかない。


そうして、人知れず少女は消えた。


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