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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
八章 ファム・ファタール
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五.五話『かつて彼女が彼女ではなかったころ』

『…××』


 ママが、私を抱きしめて耳元で囁く。

 すぐに夢だと気づく。そして、これが昔の記憶だということにも。


『××、よく聞いて』


 ノイズ交じりの単語は、たぶん私の名前だ。

 もうずいぶんと前に呼ばれなくなって、いつのまにか忘れてしまった単語。


 ママの肩越しに周りを見る。

 どこかの部屋で、男たちが私たちを囲んで立っていた。

 そして、ママにとっては背中に、私にとっては正面にいる男の顔をよく覚えている。

 ――『鬼』。自分の手で人を殺せない、それでいて命を紙屑のように消費する人間。

 ママにとっては、愛した男。

 私にとっては、父親。

 その人が近くにいる男に何かを命じる。あまりよく覚えていないからか、顔は黒く塗りつぶされている。


『パパを一人ぼっちにさせないでね』


 今まさに自分を殺そうとする男の心配を、ママはしていた。


いっしょに・・・・・死んであげて・・・・・・


 それが、彼女の最期の言葉。

 頭に銃弾を撃ち込まれ、ママは床に倒れこむ。さらに心臓へ二発。

 どろりと流れ出した血が流れだして私の靴を濡らす。

 それを見下ろして、私は何を思っていたのか。

 あの時、私はママの死を認識できだのだろうか。出来ていなかったかもしれない。今となっては、どうでもいいことだ。


『ガキはどうしますか?』


 誰かが言う。

 周りがさざめいた。


『…当分の間は、生かしておけ』


 父はそれだけ吐き捨てると、さっさと部屋を出ていってしまった。

 頭に風穴があいている。兄さんに撃たれた時と同じ姿に変わっているのに平然と歩いていた。

 彼に近しい者たちは周りの人間に指示を出すとやはり部屋を出ていく。

 私は吹き飛んだママの顔を見る。


『神崎、子守りなんてしたことあるの?』

『したことねえよ。妹の面倒をちょっとやってたぐらいだ。長谷は?』

『一人っ子でーす』

『クソ、使えねえな』


 目の前に男が二人並んだ。私は顔をあげる。

 初対面の――今、夢を見ている私からしたら懐かしい顔ぶれだ。


『はじめまして、お嬢さん。あー、今日からきみのおうちはここだよ』

『…学校、とおい』

『もう通わなくてもいいんだ。…そうだね、明日は学校に行く代わりに何か美味しいものを食べに行こうよ』

『ママはどうしちゃったの?』

『死んじゃったよ~。もう動かないし。解体してもアデッ』


 長谷が横から口を出して、神崎が蹴り飛ばした。


『そう、死んでしまった。喋ることもない。きみが泣こうが喚こうが、もうお母さんはいない』

『どうすればいいの?』

『これからどうなるかは分からないけど、しばらくはおれたちと暮らそう』

『お兄さんたちと?』

『うん。おれは、神崎元。こっちは』

『長谷純でーす! よろしくね、お嬢ちゃん!』


 あの二人は、この時から私の名前を呼ばなかったのか。

 そういう指示だったかは知らないけれど。

 別に、名前があってもなくても私は困らなかった。『姫香』という名前を自分に与えるまでは、ずっと『お嬢』だった。


 長谷の顔が崩れていく。

 次第にあざだらけになって、肉が露出し、ぐちゃぐちゃになって床に落ちた。

 夜弦に殺されたときと同じように。


『大丈夫。守って差し上げますよ』


 私の横で神崎が口元だけで笑う。

 見上げたその輪郭がぼやけていく。


『パパと一緒に死んでって、言ったのに』


 突然、ママの死体がしゃべった。

 いや違う。もうそれ・・はママではない。

 白髪の少女が、静かに目を閉じて――死んでいた。 


 私が生きているだけで、みんなが死んでいく。


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