五話『いつかの約束と説得』
対話できているようで、出来ていない。
話がまるで通じていないともいえるか。
会話が出来ているように思えてしまうのが厄介だ。
「電話だと? なんで」
「置いてきてしまって。覚えてないんですよ、姫香さんの電話番号」
「どうして姫香の電話番号を」
「しらばっくれないでくださいよ。もう全部分かっているくせに。呼ぶんですよ、ここへ」
「……」
「住宅街で騒ぎを起こすとめんどうじゃないですか」
常識人のような口ぶりでありながら、言っていることは狂っている。
城野は顔をしかめた。
これが素の夜弦だというならひどい暴君っぷりだ。これで次期当主なのだろうか。
いや――『残虐』と二つ名のついている『国府津』のことだから、むしろこういう性格のほうがやりやすいのかもしれない。
過去の無かった夜弦にもちらちらと非道な行いはあったが、元の性格がそれ以上だとはさすがに城野も予想していなかった。
「貸さないし、ヒメはここに呼ばない。あいつはただ『鬼』のもとに生まれただけで、それに罪はないだろ」
「罪があるかないかは僕が決める」
「ずいぶんと自己中心的な思考だ。いや、それはもともとだったな」
「貸してくれないの? ――まあいいや、順番が変わっても」
一度は収まったように思えた殺気が、再び夜弦の身体から放たれる。
まずいと思うも身体が動かない。
咲夜よりも早くばたばたと百子が駆け寄り、夜弦と城野の間に割って入る。視線が交差した。
「どいて、『鴨宮』。また『国府津』の邪魔をするの?」
「どくわけにはいきませんよ。殺すつもりでしょう、憲一を」
「ならばどうする。あなたが死ぬか?」
「それで終わるなら、ぼくはそうします。なにより、首を差し出すつもりですから」
まるで演劇のセリフのように、ふたりは淡々と言葉を紡ぐ。
百子は、夜弦がどうやっても殺すつもりだと分かっていた。
夜弦は、百子がどうやっても城野を庇うつもりだと分かっていた。
分かり切っているからこそ、この場での言葉に意味があるとはみじんも思わず、ただ相手を揺らがせるための切り口でしかない。
「『鴨宮』に似合わず、立派な自己犠牲の精神をお持ちのようだ」
「ぼくは誰の味方にもならないといった。今だってそうです」
「では何故その男を庇う? 味方でないとするなら、その行為の理由は?」
「対価ですよ。彼にはぼくの命を二度救われた。ぼくは今ここでその借りを返すだけだ」
「待てモモ! 俺はそんなつもりであんたを助けたわけじゃないんだぞ!」
「憲一は黙っていて」
「モモは流されただけだ! 『鴨宮』の人間でもない! 夜弦、分かってんだろ!? あんたが殺す人間ではない!」
「憲一!」
百子の手は、足は、震えていた。額には汗が浮かび顔色は蒼白だ。
夜弦は苦い表情を作る。
「対価ね…。命の対価は命で支払う、か…。支払わせるなら分かるけど。とんでもない覚悟だね」
「案外、一人殺せば落ち着くかもしれませんよ?」
「…あなたが死んでも僕の心が変わらなかったら? 僕はそのまま他の人たちを全員殺すかもしれないのに。あなたがしていることは自己満足だよ、椎名百子」
「うん、自己満足でしょうね。――でも、死ぬ前に少しぐらい説得させてください。約束、破ってしまうから」
命の保証なんてどこにもない。それでも、彼は説得をしようとする。
かつて、己の記憶が戻ったときのことを考えて暗い気持になった夜弦へ向けた約束を愚直に果たそうとするために。あれはスナッフムービー事件だっただろうか。
「『記憶が戻ったとき、僕は僕でいられるだろうか』。そうぼやいていたことを、覚えていますか?」
「…うん。言っていたね」
「その時、ぼくは…あたしは、言いました。『今』のあなたに賭けると」
「…うん」
「目を覚ましてって、言うから。その時はお願いねって」
「まさに今が目を覚ましている状態なんですけど…」
「ロマンだよ、ロマン。…ねえ、夜弦くん。目を覚ましてよ。あたしの首あげるからさ、そしたらそれなりに頭もスッキリするんじゃないかな」
夜弦は片手でこめかみを押さえた。
まるで糸が切れたように、肩が脱力する。
「僕、百子さんはもう少し慎重で賢いと思っていたんですけど…馬鹿ですか」
「頭がよかったらとっくに『鴨宮』潰しているよ」
「……ああ、もうヤダ。忘れようとしていたのに。記憶が戻ったときの恐怖なんか、全部真っ白にしてしまえばいいって思っていたのに」
夜弦はその場に蹲った。
「なんでさあ、百子さんは昔のこと引っ張り出して、所長はそうやってこんな時でも人を庇おうとして、咲夜は負け試合に必死になるのさ。なんか、僕が悪い人みたいじゃないか」
深々と彼はため息を吐く。
「僕、『国府津夜弦』としては二年も空白なんですけどぉ。ちょっとそこらへんどうしてくれるんですか、所長」
「…正直、すまなかった。ごめん」
「あー、もうヤダ。疲れた。帰る。帰るとこないけど。ヤダヤダ。二年って。ああもう、ちくしょう」
頭を抱え、呪詛のように呟き始めた。
さすがにその場の全員がぽかんと彼を見る。
「勝手にみんな僕の知らないところで死んでくれ…。めんどくさい。もうヤダ、ほんと。『鬼』殺しそこなって、記憶失くして、二年も空白で、そんでもって殺す気も失せちゃうし。あー、最悪」
次第に涙声になっていくことに、城野は気づいた。
「僕は何も終わらせられない…」
すすり泣く声だけが、事務所に響いた。




