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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
七章 カウントダウン
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十六話『叫』

 あふれ出る感情が僕から言葉と体温を奪い取っていく。

 呼吸が苦しくなって、それでも喘ぐ息を神崎には絶対に聞かせたくなくて自分の手の甲を噛んだ。


『こんなこともあるんだな。おれ直々なら言うこと聞いてくれる連中だからさ、めんどくさくてもおれが対応してやってたんだけど――まさか国府津クンが出てくれるとは思わなかった』

「神崎…お前ッ…」

『うんうん、言いたいことは分かるよ。なんでこんな、まだるっこしい真似をしているのか、とかだろ?』


 手の甲の皮膚が噛みきれ、血の味が一気に口内に広がる。


『ほんとはさ、運転担当の男がいたと思うんだけど。そいつが国府津クンに携帯渡して、こんな感じに話す予定だったわけさ。でもお前が電話をとったってことは、どうせ殺したんだろ?』

「……」


 足元に目を落とす。

 首を絞められて口から泡を出し眼球が飛び出さんばかりに目を見開いている男。こいつのことを言っているわけか。

 かみさまを探すとボンネット部分に腰かけて僕をニコニコと見ていた。


『ああいや責めていないよ。今更人殺しに人殺しの罪を説いても意味がないし』

「……」

『あれ、返事がないけど生きてる? まさかと思うけどあんな雑魚相手に苦戦して大怪我でもした?』

「…うるさい。続けろ」


 電話口の向こうで神崎が満足げに笑ったのが聞こえた。

 むかついて仕方がない。その饒舌さに腹が立つ。

 今すぐにでも殺してやりたい。四肢を捥いで、内臓を取り出して、歯をゆっくり抜いて、爪に針を刺して、いたぶりながら殺してやりたかった。

 おかあさんを殺した罪は償わせてやらなければならない。

 国府津に手を出したことを、後悔させなければいけない。


『それで、ここに呼び出した理由か。国府津クン、記憶喪失らしいからさ。だからきっかけとして軽く運動でも・・・・・・すれば・・・記憶が戻るかなって。どうやら上手い事行ったみたいで安心したよ』


 その理論なら僕はもう少し前に記憶を取り戻していたのだが。

 まあいい、こいつに言う必要もない。


『あと邪魔されずにこうして話をしたかったんだよね。お前の今いる仕事場の連中、絶対に邪魔してくるから』

「…それだけの理由で?」

『ん?』

「それだけの理由で岩木さんたちを殺して晒したのか?」


 ほんのわずかな時間だったが、神崎は黙った。


『まあね』

「岩木さんは、お前の妹ではなかったのか。僕をおびき寄せる、そのためだけに殺されないといけない人だったのか!」

『どうどう。落ち着け、国府津クン。少なくともあいつらの首でお前が来てくれたんだ、その価値ぐらいは認めてるよ』

「この野郎…!」

『ま、可哀そうだとは思うよ。国府津クンと関わらなければ今も幸せに生きていたかもしれないのに。その点で言えばそっちも同罪だろ』


 こいつは、僕をわざと激高させるつもりだ。

 意識的に深呼吸する。頭は全然冷えなかったけれど、今の自分の感情について知れただけでもマシだ。


「…話したいのは、それだけか?」

『いやまさか。ここからが本題だ』


 神崎は、焦らすように二拍置いて話し出す。


『城野憲一。アイツ、とんだ食わせものだよ。ああ、もう知っていた?』

「…どういうことだ?」

『過去時代はどうってことない。かっわいそーな家庭事情はあるけど、本人は特段なんてことない経歴を送っている』

「それで?」

『大問題なのがその周りだよ。ハハッ、いやあ、意図的かは知らないけど良く集めたもんだな』


 探偵事務所のメンバーのことも嗅ぎまわっていたらしい。

 岩木さんたちと僕のかかわりを知っていたぐらいだ、そのぐらいは余裕だろう。

 ただ――こちらの情報は抜かれるだけ抜かれ、神崎のことはさっぱり分からないのはやはり気持ちが悪い。後手になっていることが我慢ならなかった。


『まず椎名百子。どういう事情があったかは知らないが、あれは『鴨宮』直系の女だ』

「かものみや…」


 百子さんが『鴨宮』の人というのは知っていた。

 ――『鴨宮』だと?

 あの裏切り者の?


『首に布を巻いている女はよく分からない。まあでも、碌なヤツではないだろうな』


 十中八九、咲夜だろう。

 彼女のことが表に出ないのは当たり前だ。『国府津』は情報流出に敏感で、とにかく高いセキュリティを張っているし、そもそも暗部所属の咲夜のことが表に出ることはない。

 …何故咲夜があの事務所にいるんだ?ボスのボディーガードが主な任務のはずなのに、どうして…。

 ふと、何度か彼女の視線に見張られているような感覚を覚えたことを思い出した。

 まさか、咲夜は――僕が記憶喪失になってからずっと監視のために同じ職場に居たのか? 僕の正体には一切触れないで、何も知らないふりをして。


 信じていたものが足元から崩れ去っていくような感覚。

 そこに神崎がとどめを刺しに来た。


『それから、えーと、キョウカとか名乗っているんだっけ?』


 何の話かと思ったが、あのパーティーで姫香さんが名乗っていた偽名だ。

 あの時に僕と神崎はファーストコンタクトを果たしたわけだが、他にも仲間がいたのだろうか。


『いや、正直気が触れていると思うよ。あの子の正体、知っている? 知っているわけないよな、そうでなかったら今頃殺していても不思議ではないから』

「もったいぶるな。――あの人が、なんだって言うんだ」


 聞いてはいけない。

 そう思っても携帯から指を引きはがせないままだ。

 耳鳴りがひどくなる。僕は今立っているのか座っているのか。

 手が末端から急速に冷えていく。


 聞くな。

 聞かなくては。

 聞いたら終わる。

 だめだ。

 聞かなくては。

 僕は、もう、立ち止まっている暇はない。



『かつてお前の母親を殺し、そしてお前がつぶした組織『鬼』。そこのボスの、一人娘だよ』


 ずいぶんとクリアに聞こえた。

 『鬼』という言葉が、なんの苦痛もなく僕に入り込む。


 同時にびきりと携帯がひび割れる音がした。


『初耳かい? じゃあいいことしたね。ずーっと、騙されていたんだよ国府津夜弦。隠されて、口を閉ざして、大事に大事に時間を無駄遣いさせていたってわけだ』


 その言葉は甘く、毒のように僕の心に入り込む。


『記憶喪失だって考えてさ、こんなことだろうと思ったんだ。自分の正体を一つも知らされずに過ごしてきたんだろ?』


 否定ができない。


『あの時パーティーの時に言っていたかな? まあいいや、もう一度言うよ。この事実を知って、誰の下につく? 今ならおれはお前を歓迎するぜ』

「…ふざけるな…」


 ミシミシと携帯が悲鳴をあげる。


「僕は誰の下にもつかない! お前にだって、事務所にだって!」


 目の前が赤く染まっていく。

 遠くの方でおかあさんの死体に縋って幼い頃の僕が泣いていた。

 別のところには最後の目的を達成できず、呆然と横たわる僕がいた。


 泣き声が、恨み言が、僕の耳の中でわんわんと反響する。

 閉ざされていた過去が、僕に縋ってきている。


「所長も、鴨宮も、あいつも、仇敵の娘も! それからお前もだ、神崎!」


 神崎は声を出さず笑っているようだった。

 構わず、僕は叫ぶ。


「全員残らず殺す! 今度こそ全部終わらせる! 首を洗って待っていろ神崎ッ!!」

『いいねえ。そういうところ愛しているよ、国府津クン』


 続きの言葉はあったのかどうか。

 僕は携帯を潰していた。


 息も絶え絶えに地面に座り込む。ここを離れなければ。

 そう思ってはいるが、少し休みたい。


「殺しちゃうの?」

「殺すよ」

「ふうん」


 僕が着く頃には事務所は開いているだろうか。

 みんな揃っていたら、手間が省けるんだけどな。

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