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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
七章 カウントダウン
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十三.五話『二人』

「うわあああおおぉぉぉっ!!」


 今まさにニンジンの皮むきをしようとしていた前原は突如として聞こえた奇声に手を止めた。一瞬判断に迷った後に同居人の様子を見に行くことにする。

 足にまとわりついてくる犬――名をカエサルという――を踏まないように気を付けながら前原はリビングを覗きこんだ。


「…なにしてんだ、咲夜」


 彼の同居人はほんの数分前まではテーブルにノートパソコンを置いて動画を見ていたのに、今は床の上で何とも言えないポーズを取ってぶつぶつと何かを呟いていた。新手のヨガのようにも思える。

 カエサルが遊んでくれるのかと無邪気に絡みに行く。

 それどころではないと押しのけられるがそれすらも楽しいらしくカエサルは咲夜の服を引っ張る。咲夜は犬との攻防戦に負け、ついには床に突っ伏した。


「夜弦兄さんがあ…」

「夜弦さん? 彼がどうしたんだ。またトラブルでも起こしたか」

「その『また』ですよ!」


 がばりと咲夜は勢いよく身を起こした。カエサルはころころと転がっていった。


「いきなり電話かけてきて挨拶も抜きに人を調べろですって! 昔っから人使いが荒いんですよあの人は! 所長の比じゃありません!」

「お、おお」

「しかもこれからどこかに行くとかなんとか…! あの体調でいったいどこに!? しかも電源切ったみたいで今は電話も何も通じないんですよ! 信じられます!?」

「信じられないな」

「でしょう!? これで夜弦兄さんの身に何かあったら叱られるのは私なんですよ! そんないつもいつも見張っているわけないじゃないですか! 彼は成人男性なんですから自分の行為に責任持たせないと駄目です!」


 苦労している、と前原は胸の中で思った。

 早口でまくし立てる咲夜が珍しかったのもあり、前原は落ち着くまで相槌を打つのみにとどめているが。


「ほんと、記憶が戻ったら何か奢って――…」


 ぴたりと咲夜は動きを止めた。

 そして口元に手をやり、今の自分の言葉を反芻する。


「記憶が…?」

「咲夜?」

「まさか、記憶が戻った…? 確かに『咲夜』と私を呼んでいた…」


前原はカエサルを呼び戻し抱きかかえた。

 そしてカレンダーへ何となしに目をやる。今日は久方ぶりの、国府津の仕事も探偵事務所の仕事もない日だった。休日出勤の流れになりそうな同居人がいつか過労死しないか心配になってくるも、こればかりは仕方がない。

 勢いよく咲夜は立ち上がる。その目には焦りが浮かんでいた。


「ボスに連絡しなければ」


 放り出していたスマホを手にして爪を噛む。


「車は出したほうがよさそうか」

「お願いします」

「分かった」


 ラフな格好をしていることに気づき、咲夜は前原の横を通り過ぎてぱたぱたと自室に向かう。

 その背中に向かって前原は「ブラウスはアイロンかけしてハンガーに掛けてある」と声をかけてからカエサルを下ろしキッチンへ向かう。出していた食材と調理道具をしまい、エサ皿にドックフードを入れた。


「もしもし、夜風兄さんですか。咲夜です。…ええ、緊急です。ボスにレベルAとお伝えしていただければ分かると思います。はい」


 自分も外用の羽織りものに代えて咲夜を待つ。


「――行先については不明です。それから電話が繋がらなくて…はい。あ、あと調べてほしい人がいて、情報調査チームに回していただきたいのですが」


 着替え終わった咲夜が部屋から顔を出して玄関を指さす。

 前原は手を振り車のキーを手に取った。手持ち無沙汰を感じたので煙草に火をつける。


「では後程。…お待たせしました」

「行先は?」

「ボスに呼ばれたのでそこへ。あっ、煙草ください」

「ん」


 煙草の箱を差し出すと咲夜はそれには手を出さず、前原の吸っている煙草を奪い取って咥えた。


「おまえな…」

「こういう焦っている時にタバコ吸おうとするとライター壊してしまうんですよ。力入れすぎて」

「義手じゃないほうで火ィつけろ」

「いいではないですか、減るものではないし」

「減っているんだよな」


 ぽかんと玄関で立ち尽くしているカエサルに二人は「いってきます」と声をかけて外に出る。

 空を見れば、今にも雨が降りそうな曇天だった。


「事務所にも連絡をして…ここから忙しくなりますね」


 遠くで喧しくひびくパトカーのサイレンの音を聞きながら咲夜は憂鬱気に紫煙を吐きだす。

 前原はその横で新しく煙草を咥える。


「どこへでも付き合うさ」

「ええ、どこへでも付き合わせますから」

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