十話『惑』
眠っていたのか、気絶していたのか。どちらでも寝ていたことには変わりない。
寒くて布団を手繰り寄せる。うっすらと目を開けてカーテンに視線を向けると、洩れる光は明け方だと僕に伝えていた。
ぼんやりとしながら天井を眺める。
今日は何をしようか。趣味らしいものがないので困る。
なんとなく携帯を気にしてみるも連絡は一通も入っていなかった。まあ、僕も子供ではないから過保護にされる謂れはない。
目を閉じて息を吐く。もう少し寝よう。
「子守歌でも歌ってあげようか? それともマザーグース?」
少女の声がせっかく呼び戻した睡魔の邪魔をする。
僕は目を閉じたまま言う。
「きみ、あの箱庭で歌を歌ってもらったことあるの?」
「うん。小さい頃は寝るときに女のひとが来て、たくさん歌ってもらったよ」
「おかあさんじゃなくて?」
「そういう存在はわかんないなあ。みんな信者だって言っていたし、みんな髪は黒かったから違うんじゃないかな」
「ふうん……」
姫香さんによれば、かみさまは実の親に捨てられ坂本に拾われたそうだ。
そうしたら信者の中に親がいたというのはないのだろう。どうかな。坂本が本当のことを言っていたとは限らないが、今となっては知りようがないしそこまで興味があるわけでもない。
「…じゃあさ、聖歌。なんでもいいから」
「えー。それは歌えないよ」
「なんで?」
「だってそれ、べつの神様のための歌だよ。わたしも神様なんだからねっ」
そういえばそうだった。この幻覚のもととなった少女は、神として崇められていた存在だ。かみさまかみさまと呼んでいたのに頭から抜け落ちていた。
本当に聖歌歌われたらまた泣いてしまいそうでもあるので良かったけれど。
「そういえば僕、きみの信者だいぶ殺したな…」
「むっ、そうだよ! ひどいことするね!」
「信者のいなくなった神様ってどうなるんだろう」
「がらんどうになるだけだよ」
静かに、かみさまは答えた。直前の言葉とは真逆のテンションだ。
僕は驚いて目を開けるが白い少女の姿は見えない。それでも確かに声はする。
「おしまい。それだけ」
「……」
復讐の末路と同じだと思う。
目的が果たされてしまえば、がらんどうになる。そこでおしまいだ。
その先の未来を考えていなければ永遠に空っぽのこころを抱えて歩く羽目になるだろう。
僕も、復讐を果たしたあとのことを――…いや?
おかしいな、おかしい。復讐のために生きてきたのに、僕は肝心の復讐を出来たのだろうか。なぜそのことに疑問を抱いている?
僕は『鬼』を殺せていない?
なんで? 殺しそこなった? でも『鬼』は壊滅したと聞いた。何が起きている?
記憶を失ったのは、そこが理由か?
「ぐうっ」
頭が太い釘を何本も差し込まれたように痛む。
確信に近づいている。もっとも僕が触れたくない部分に!
思い出せ! 思い出したくない。思い出さないと!
このまま何者でもない僕のまま生きたくはない。記憶を取り戻さないと。戻さなくていい。今の僕のままの方が幸せに生きられるはずだ。
『夜弦、ここに隠れて。大丈夫、お母さんがなんとかするから』
僕の時間はどこで止まったのだろう。
記憶を失ったとき? それとも、お母さんを亡くしたとき?
進めなくてはいけない。でもその方法が分からない。
『生きて、夜弦』
生きている。
ただ、それだけ。
お母さんが望んだようには生きられていないはずだ。
「ここにいるだけでいいって言ってくれる人が居ればよかったのにね」
まったくその通り。自分ですら今の僕の存在理由を求め続けている。
思考のキャパシティーを越えた。締め上げるような頭痛を感じながら、僕は意識を失った。
激しいチャイムの音で目を覚ました。
時計を見れば昼を過ぎもうじきおやつの時間だ。いやいや、何時間寝ていたんだよ。眠りすぎて逆に気分が悪い。
立ち上がり水を飲み干すと玄関に向かう。小窓をのぞいてみると、チャイムを押されているのは僕の部屋ではないことが分かった。
顔を洗って着替えてもまだチャイムは鳴っているので仕方なくドアを開ける。
岩木さんの部屋の前で四人、若い男性が立っていた。めいめいが重そうな荷物を背負ったり手に持ったりしている。
友幸くんのバンドの仲間かな、と予想をした。
「…どうかしました?」
一人が困ったような顔で言う。
「ここにウテナエル…新木場友幸って人が彼女と一緒に同居しているんですけど…」
「は? ああ、はい」
ウテナエルが強力すぎて一瞬何も頭に入ってこなかった。
「昨日の晩から連絡が取れなくて…。今日ライブなのにメールにも電話にも出ないんですよ。何か知りませんか?」




