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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
七章 カウントダウン
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七話『死』

 ぽろりと箸から白菜が落ちる。


「…え?」

「顔に出てるよ」


 確信に満ちた顔で岩木さんは軽く身を乗り出してきた。

 所長と悪い関係であることを岩木さんに百子さんか咲夜さんが言ったのか――? いや、あの二人に限ってそのようなことは外部には漏らさないはずだ。自ら火種を撒いて痛い目に合うのは自分たちなのだから。


「そんなことはありません」


 震える頬をごまかしながら僕はきっぱりと否定した。

 一瞬の静寂。

 つぎの瞬間には岩木さんはケラケラと笑った。

 訳も分からず僕がきょとんとしていると友幸くんが肉を取りながら言う。


「気にすんな、こいつの悪い冗談だよ」

「冗談…?」


 お玉を元に戻して「うん」と岩木さんは素直に頷いた。


「だいたい占い師とか詐欺師とか使う手段なんだけど…。悩みがあるのはみんな共通しているからまず揺らぐよね。そこから『顔に出ている』と言うことでさらに揺さぶりをかけるの。そこから自分から話してしまう人はぺらぺら話してしまうってわけ」


 つまり、「誰にでもあてはまること」を言うことで「見透かされている」と思い込ませるわけか。

 それにしても焦った。読心術が使えるのなら――あまりよくない状況だった。


「なんでそんなことを?」

「んー? 今まで見たことがないほどひどい顔をしていたから」


 やっぱり普段と違う様子だったことには気づいていたか。


「だから口に出せば楽になれるんじゃないかなぁって考えて引っ掛けてみたの。もし悩み事があるなら言うだろうから。でも今ので分かったよ、相当触れてほしくない何かがあるんだなって」


 僕はあいまいな表情を作る。


「触れてほしくないというか…うーん、まあ、そうなんでしょうね。僕の中でも整理がついていないというか」

「腹の決まらねえ男だな。スパッと判断しろよまどろっこしい」

「友幸はバイト辞めるときは即断する男だからね」


 撃沈する友幸くんを横に夢の中でお告げのごとく聞いたかみさまの言葉を思い出していた。

 ――今のために過去のじぶんを殺すか、過去のために今のじぶんを殺すか。

 まるで、僕が一人ではないような言い方だと振り返ってみて思う。


「……にぎやかし程度に聞いてほしいんですが」

「うん、なに?」

「僕の友人に事故で記憶喪失になってしまった人がいるんです」

「あらま。ずいぶんなダメージだったんだね」


 岩木さんは外傷の方をイメージしているようだが実際は心理的なものだ。

 それは話の上で大事なものではないから補足はしない。


「そうみたいです。昔のことをすっかり忘れてしまって…でも、最近記憶が戻ってきているみたいなんですけど」

「けど?」


 相槌を打ちながら岩木さんがカセットコンロの火を消した。

 ぽこぽこと鳴っていた鍋の音が次第に遠く小さくなっていく。


「…怖がっているんです」


 そうか。

 僕は、記憶が戻ることが怖いのか。


「どうして怖いの?」

「記憶喪失する前と後、やっぱり変わったところはあるみたいで…。過去を捨てて今のまま生きていくのがいいか、今を捨てて過去を思い出したほうがいいのか分からないって言っていました」

「なるほどねー。それはなかなか、聞かされているほうも困ってしまう問題ね」

「そうですよね」


 百子さん、めちゃくちゃ困っていただろうな。

 どうにも僕は百子さんを困らせてしまう傾向にある。愛想をつかされないといいけど。


「好き勝手なこと言っていい?」


 春菊をかじって思案気な顔をしていた岩木さんは、整理ができたのか箸をおいた。

 友幸くんは我関せずで誤って掬ってしまった野菜類を僕の皿に捨てている。食えよ。


「どうぞ」

「記憶喪失って、人格の死だと私は思うの」


 息が、詰まった。

 人格の死?


「例えば、記憶を一本の糸とするじゃない。それをAとする。記憶喪失は一本の糸を二回切って三本にして、そのうち一本を取り上げる。それをBとする。そして、Bの糸をどうにか元通りにくっつけたもの――記憶を取り戻した状態。これをCとする」


 一息ついて岩木さんはイメージできる確認してきた。

 言いたいことは分かる。僕は黙って頷いた。

 友幸くんは隣で豆腐を掬い取っていった。話を聞く気はないようだ。


「全部、一見すれば見た目こそ同じものじゃない。でも形は一度なりとも変質している。その変わったものをすべて同じと言えるか?ってことを私は考えたの」

「……」

「持論だし、整理しきれていないから分かりにくくてごめんね。AからBを経てCになった人は、「元通りになった」のではなく「新しいものになった」ということを考えている」

サキが言いたいのは『変化したものは死である』って言いたいんだろ?」


 友幸君が突然口をはさんできた。

 聞いていないようできちんと聞いていたようだ。


「そう。すでに出ているもので言えば、スワンプマンだとかテセウスの船だよね」


 思考実験か。内容なら僕も知っている。

 どちらの問いも、シンプルに言ってしまえば「元々のものオリジナルと変わらないと言えるか?」だ。


「…彼の記憶が戻ってしまったら、今の彼は死ぬ…ということですか?」

「端的に行ってしまえばね。そしてそこから新しい友達の人格へと変わる」


 僕が黙っていると岩木さんは「脅しすぎた?」と笑う。


「なーんて、ややこしいこと言ったけど人は常に変化していくものだよ。記憶喪失になったことはないけど、そんな目に遭ったら確かに怖いよねえ」

「…ですね」

「あんまり構えすぎないで、ありのままを受け止める姿勢でいいんじゃない? 周りまであわあわする必要はないよ」


 事務所メンバーと僕をいさめる言葉に聞こえて、苦笑いした。




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