長谷の話 後
「ふうん」
長谷にとっては決死の告白だったが、神崎の反応は淡白だった。
「お前、天職って言ってなかったか」
「それは解体する行為がだよ。場所としては最近ちょっとやだな~って思ってきた」
「どこらへんが?」
「職場改善運動でもしてくれるの?」
「バーカ、そんなことしたら確実に殺されるだろ。お前みたいな脳みその足りないキチガイがこの現状から抜けたいっていうことに興味があるだけだ」
「言うよね。――んー…どこらへんがかあ」
長谷は首を掻く。
その間に神崎は二本目の煙草に火をつけた。
「生きてる人間バラバラにするの好きなんだけど、そういうのが少ない。特に神崎は息しているやつを連れてきたことないよね」
「生け捕り難しいんだよ。勝手に死ぬ方が悪い」
「あとは解体に注文が多いんだよね。おれは自由にやりたいんだけど、あっちはそれを許してくれない。ストレスたまりまくり」
「パトロンともめる芸術家かよ。仮に『鬼』から逃げた後どうするかは考えているのか?」
「あんまり…。あっ、スナッフムービーとか作りたいな。需要ありそうだから」
神崎は紫煙とともにふかぶかとため息をついた。
「本当に逃げたいのかよ…」
「逃げたいけどさー。おれそんなに友達いないからすぐ足付きそうじゃん。捕まったら三日間ぐらい拷問だろうし、痛いの嫌だし。無理無理」
「気持ちはあるんだな」
「あるよ。ん? なに神崎、一緒に逃げちゃう? 逃避行のちランデブーしちゃう?」
「誰がお前みたいな変態とすると思ってる」
お嬢もいれて三人で逃げるのは楽しそうなのに残念だ。勝手にお嬢を抱えていくのも面白いとは思うが、直後に神崎に殺されそうだという結論が出た。
そういえば、と長谷は思う。
神崎こそ逃げたいと思わないのだろうか。長谷は口にこそ出さないが、神崎は鰓呼吸ができないのに水の中で暮らしているような、いつも苦しそうな生き方をしているように見えていた。
長谷から見た神崎は飄々とした態度が似合いそうな男なのに、実際はいつも何かを耐えているような顔をしている。――あの人間不信のボスの下についているのだから、変に軽い態度だと勘繰られてしまうのでそれでいいのだろうが。
神崎は煙草を吸いながら何か考えていたようだが、やがてまとまったのか指先で煙草の火を消した。
「手助けしてやる。それで今までのおれへの貸しはチャラにしろ」
神崎がそう宣言してから一週間たった。
あれ以来、長谷は神崎に会えていない。忙しいのだろうと特に気にしていなかった。
深夜、ほころびの目立ち始めた肉切り包丁を砥石で研いでいると少女がテテテと長谷のもとへ走っていた。
ボスの娘だ。名前のない少女。
「お嬢、こんばんは。眠れないんですか?」
少女は首を振り、掌を見せる。
つられてその掌を見る。子供特有の柔らかい手だ。
「いくぞ」
「え?」
「にもつ、まとめろ。にがす。かんざき、いってる」
すぐに理解した長谷は何も言わずに立ち上がり、マメの多い手で少女の手を握り締めた。
彼らは静かに長谷の使う部屋へ急ぐ。
途中で他の構成員に見つかったがまだ行動を起こす前であるし、長谷と少女の組み合わせを見ると相手は顔を引きつらせて逃げてしまった。関わると面倒だと思われているのだ。
長谷の持つ荷物は少ない。リュックに適当にそこら辺のものを詰め込んでいく。
「お嬢の写真もってこうかな」
「?」
「神崎には言わないでください、ぶっ殺されるから」
リュック一つの身軽な体で長谷は少女の案内通りに歩いていく。
ほとんど使われない通路、その外と繋がるドアの前に神崎は立っていた。
「神崎!」
「黙れ」
緊張しているのかあたりを鋭く見渡しながら長谷の耳に自身の口を近づける。そして、小さく早口で言った。
「よく聞け、長谷。ゴリウスと言う宗教団体がある。そこは『鬼』とか『虎』みたいな組織から逃げたやつらのセーフティハウスだ」
これが住所だといって神崎は長谷のズボンに紙きれを突っ込む。
「そこに半年は潜伏してろ。坂本というそこを取り仕切っている男の機嫌を損ねなければ上手くいくはず。特にお前は裏方だから他の組織に顔はバレていないはずだ」
「今まで調べていてくれたの?」
「貸しがチャラになるならいいんだよ。行け、いつ人が来るか分からん」
長谷は頷いた。足元の少女が自分を見ていることに気づき、屈みこむ。
虚ろな目で長谷を見返す少女は「いってらっしゃい」とそれだけ言う。
「最後にさあ、お嬢の耳たぶぐらい食べてっていい?」
「ここで死にたいか?」
「ええ…。ケチだなあ…」
殺気を感じて長谷はしぶしぶやめる。この流れなら許してもらえると思ったのに。
いずれ何らかの奇跡があってお嬢に再会したときやっぱり耳たぶぐらいなら許してくれるといいのにと思いながら、長谷は少女の髪を一房手に取った。
やさしく口づけをして名残惜しく髪を離す。
「神崎の言うこと聞いてくださいね、お嬢」
「うん」
「じゃあね、神崎」
「ああ」
さっぱりとした別れの言葉をし、長谷は振り向かずにその場を後にした。
〇
夜の風が少女の髪を揺らす。
さきほど口付けられた髪をいじりながら少女は神崎を見上げ、袖をくいくいと引いた。
「どうしました、お嬢? あ、このことボスには言わないでくださいね。どんな殺され方するか分かりませんから」
「おまえ、にげる、しないのか」
少女に向けていた柔和な笑みの端に、ヒビが入った。
それを自覚しながら神崎は長谷の消えた暗闇に視線をやる。
「どこにも行くところなんてありませんよ。おれたちには」
まるで自分に言い聞かせるような物言いだった。
少女は首をかしげる。なぜ神崎がそのような表情を作るのか理解ができないのだ。
寂しそうな、諦めているような、とにかく希望を持たない顔。少女が普段見ている、常に涼しい笑みを浮かべている神崎には珍しいことだった。
「でも、はせ」
「長谷はカードを与えられた状態でなくても生き抜くのがうまいんですよ」
神崎はしゃがんで少女と目線を合わせる。
ヒトの罪を視る異能の力を持った瞳の奥を見透かすように、じっと彼は彼女を見つめた。
「おれは、土台がないと何もできない。それを知ってしまったから余計に『鬼』から抜け出せなくなってしまった」
「…?」
「例えるなら、家の建て方を知らないんですよ。雨風を防ぐ家をどう作るか知らないから、どんなに劣悪な環境の家から逃げ出したところで待ち受けるのは凍死だけです。シャクですが、長谷はうまくしのぎながら生きていけるタイプです」
「……」
「一番簡単なのは乗っ取ることなんですけどね」
少女にはよく分からないことだ。それでも神崎はここから出られない事だけは理解した。
小さな手で神崎の手を握りしめて少女は言う。
「じゃあ、わたし、いっしょ、にげよ?」
少女とてそれが叶うと妄信するほど馬鹿ではない。それでも言わずにはいられなかったのだ。
神崎はふっと笑い、少女の額にかかる髪をかき分け、そっとキスをする。
「あなたはここから出られない。それが『鬼姫』さま、あなたが生まれ持った呪いなんですよ」
二人はそれ以上言葉を交わさなかった。
ただ、夜明けのまだ来ない空を静かに眺めていた。




