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長谷の話 前

 アリスは白兎の後を追って不思議の国へ迷い込んだ。

 では長谷純ハセジュンは何を追って裏社会へ迷い込んだのか。


 長谷自身、よく覚えていない。

 確かなのは小さなころから生き物を解体するのが好きだった。

 足をいでも虫は死なない。だが首を捥ぐと死ぬ。それでは、それ以外ではどこを捥いでいけば死ぬのだろうか――という素直な好奇心が、彼のその後の人生を異質にした。

 虫に飽きると標的は猫に変わった。だが猫はかわいいし、可哀そうだからすぐに鳥へと変わった。やがて近所で解体された小動物が見つかり、うわさになると長谷は一端手を止めざるを得なかった。

 そこで罪の意識に目覚めていれば、話は終わる。

 だがそうはならなかった。長谷という人間には良心が存在しなかった。

 大きくなるにつれて身近な対象――人間への興味が湧いてきた。多感な時期の中学生が見るような有名どころのグロテスクな写真は見てきたし、樹海で死体を探しに行きたいと思ったことも一度や二度ではない。彼はいびつな心を抱えたまま成長していく。


 人を殺したいわけではない。

 どうすれば人は死ぬのかを知りたかった。

 人を解体して何が出てくるのかを見たかった。


 やがてそれは行動へと変わる。

 ある雨の日に長谷は独居老人の家に忍び込み、殺した。それが最初の殺人だった。彼の好奇心を満たしたかといえばそうではない。なにせ騒がれたのでとっさに首を絞めて息の根を止めてしまったのだから。

 我に返ってみれば、死体をどう処分すればいいかという難問にぶち当たった。

 死体を溶かす薬など手に入るはずがない。――というより、そのような薬を持っていれば山に埋めるよりも早く足がつく。燃やすのは楽だが得策ではない。

 長谷は、解体してバラバラにすることに決めた。苦労して死体を風呂場に引きずり込んで包丁で肉を削いでいった。包丁はすぐに駄目になったからスコップやお玉でこそげ取らなくてはならなかった。

 骨は売りに出されている古い家の庭に埋めた。肉は近くの公園の池にばらまいたり野良ネコのえさにした。

 風呂場を念入りに掃除して、後にした。その犯行はいまだにバレていない。ただの失踪で片づけられてしまったから。


 そうやって、彼は殺人を犯していった。

 上手に人を死なせていくうちに、長谷は突然脅しと言う名の勧誘を受ける。


 裏社会の組織、『鬼』。

 彼にとって聞いたこともない組織だった。当然だ。長谷はただ私欲のためだけに殺していたのだから、裏社会との付き合いがあるわけではなかった。


 断ることは出来なかったが、同時に魅力的でもあった。

 人を解体しやすくなるのならどこにだって行きたい気持ちが強かったのだ。

 そうして、長谷純と言う男は表社会から姿を消した。両親は彼を探さなかった。『鬼』に入ると決めた夜に、長谷の手によって殺され解体されたからだ。


 そうして、彼は『鬼』に入った。

 やがては『解体鬼』と呼ばれ仲間からも忌避されるようになっても、彼はこれを天職と疑わなかった。


「つまりさぁ、おれにとっては死体が白兎だったわけだよ!」

「へー」


 興奮気味で意味がよく分からないことを口走る長谷の傍で、寝転がりながら小難しい本を読む神崎は生返事をした。

 長谷はむくれて神崎の手から本を取り上げた。


「おれの話とこの本、どっちが大切なんだよ!」

「こっち」


 即答で本の方を指さした神崎に長谷はチョップを食らわせようとしたが、逆に頬にグーパンチを食らい床にもんどりうつ。本がその横に落ちた。


「弱いんだよクズ。そんなトロいとミンチになるまで殴られるぞ」

「そんなミンチにするまで殴る人間いるわけないよ! 肉屋じゃあるまいし」

「いちいち上げ足取るんじゃねえよ」


 不機嫌そうに神崎は本を拾い上げた。古本屋から買ったのだろう、カバーはなく表題は擦り切れていた。それをベッドに放り投げ、座る。

神崎がベッドに、長谷が床に座っていることになる。犬のように長谷は神崎を見上げる。


「神崎もたくましくなったなあ」

「ああ?」

「ボコボコにされてここに連れてこられた時は普通に死ぬかと思っていたけど」


 神崎のことは、長谷は詳しくは知らない話だ。なにせ、噂を話してくれる友人がいない。そして神崎も自分から話そうとしない。

 ただ、どうやら『鬼』の幹部の愛人を寝取って、報復に来た幹部を殺したらしい。それを認められたのか何なのか(瀕死に近い状態にされたとはいえ)神崎は『鬼』の一員になっていた。ただ、長谷と同じように命と天秤をかけての加入だったようだが。

 死にかけていた神崎を世話していたのは、長谷だった。恐らく下っ端で反抗しなさそうだったからだろう。解体してもいいという意味でもあったのかもしれない。


「それは昔の話だろ」

「やっぱりおれが世話係したからかな? だってしばらく食事からシモの世話までブォワッ!?」


 顎を蹴られ長谷はまたしても床を転がった。


「昔の話だろ死ね」


 ぎり、と歯ぎしりをする神崎に長谷はこの話題は止めようと思う。

 起き上がり乱れた前髪をかき上げた。少しうねりのある長谷の髪とは違い、神崎の髪はストレートだ。少し羨ましいと長谷はなんとなく考えた。


「それで?」


 神崎は足を組んで長谷を見下した。見下されることには慣れているので長谷は何とも思わなかった。というか、神崎は何かとこのような目をする。


「大事な話があるんだろ」

「ないよ」

「ある」

「ないってば」

「ある。さっさと吐け、爪はがすぞ」

「分かったからナイフしまって。…よく分かったね」

「すぐに顔に出るんだお前」

「そうなの? おれ、分かりにくいって言われるよ?」

「普段からイかれた顔してるからだろうよ。飽きるほど顔突き合わしてりゃ分かる」


 彼は煙草を取り出し火をつけた。煙草の先端が燃える。

 神崎は少し姿勢を変えて、紫煙を長谷に吹きかける。思わず長谷は目をつぶる。煙が目に染みた。


「ねえお嬢怒るよ、煙草嫌いだから」

「お前より機嫌の取り方はうまい。今はお嬢ではなく長谷、お前の話だ」


 どうやら逃げ場はないようだと長谷は悟った。

 長谷は、覚悟を決めることにした。神崎の逆鱗に触れたとして、彼ならあまり痛くせず殺してくれるだろう。

 極限まで小さくした声で長谷は答える。


「『鬼』から逃げたい」




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